私の出会った人たち(4) - ドッック

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20年前に父が死んだ。膵臓ガンだった。
父は、死の数日前に、強い痛み止めのため朦朧とする意識の中で私にこう言った。「造船所のドックはね、船が出て行った後は水を抜くんだ。すると、そこにはね、魚がたくさんいるんだ。」 父は戦後、造船所の技術者として働いていた。父は私に似て、軽率なところがあるが、現場の仕事がとても好きな人だった。そんな、父が死の直前に思うのは、自分が一番楽しかった時のことなのだろう。私は想ってみた。長い仕事が終わり、いよいよ船が竣工して出て行った春のある日の、水を抜いたドックの中で泳ぐ魚。きっと、陽光の中に水しぶきをあげていたに違いない。

私は監督官時代におよそ千を超える事業場を調査したが、調査先の会社の自慢話を聞くことが好きだった。それは、売り上げがいいとか、急成長をしているとかを聞くことではない。どんな物を作り、どんなことをしていたか、担当者がもしかして、それを熱く語ってくれたら、私はとても嬉しい気分になる。ある鉄道の信号システムの製作会社では、会社が初期の頃作ったオート三輪が飾ってあった。オート三輪を作っていた会社がなぜ信号機を作るようになったのだろう。また、計測器を作成する会社は、明治時代にその会社が作成したという、造船用の巨大な計測器を展示する博物館まで所有していた。

そんな話には、仕事の形が確かに存在する。それはとても大きいものである。父の死後、仕事の帰り道に、ドックヤードガーデンの側を通る時にふと考えた。このドッグを残し、人々の憩いの場に提供した人たちは何を思っていたのだろう。多くは想像できないが、何万人かの働いた人の夢の跡が、とても誇らしいものであったのだろう。誇りある会社は災害が少ない。それは、事故は会社の恥であることを知っているからである。