労働災害が起きました(8)

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(M氏寄贈、丹沢塩水川の滝)

さらに社長さんは続けた。
「足を怪我して、救急車で運ばれたN君は、今年高校を卒業してわが社に入社した子で、彼が実際にドラム缶の溶断作業をしていました。彼は海洋工事に憧れわが社を選んでくれたんですが、とても意欲的な子で、高校生の時に、ガスや潜水士の資格を取得してくれていたんです。
N君の親御さんには、ただいま連絡しました。これから病院でお会いすることとなりますが、何といってお詫びしていいか、本当に申し訳なく思っています。」
履歴書に添付されたN君の写真は、細めの美少年である。潮風で脱色しているように思えるサーファーカットから、その年齢で海の男の精悍を窺えた。

災害調査を終え、新監の運転するクルマで署に戻る途中で、私は尋ねた。
私 :「今日の災調どうだった。」
新監:「被災者の出血の跡が生々しかったです。でも、今日は災害調査の手順が覚えられて、本当に良かったです。一主任、ありがとうございました。」
私は、その優等生的な返答が少し物足りなかった。少しの沈黙の後で、新監が話かけてきた。
新監:「あの人、私と同期なんでよね。」
その言葉に、「オヤッ」と私は思った。
新監:「彼は私と同じ日に社会人になったんです。多分、とても努力して、自分がやりたい仕事を探して、あの会社に入ったと思うんですが・・・ 彼のケガはこれからどうなるんでしょう。」
私は、自分が新監だった時に、先輩から言われた事を思い出した。
― 監督官って、結局は想像力なんだ。例えば、被災者の立場を自分に置き換え共感ができる者は、きっといい監督官になる -
私はもしかしたらと思い、新監のことを少し見直した。

4月に実施した災害調査の復命書は、秋が過ぎ、12月になっても完成しなかった。肝心の被災者のN君から事情聴取ができないのである。
軽傷で休業もしなかった被災者のU氏からは、すぐに話がきけた。しかし、N君は「大腿部骨折」という重症で、その後2回手術をし、6ヶ月後もまだ入院していた。そしてメンタルが不調であるという理由から、親御さんからの事情聴取の許可が得られなかったのだ。ようやく、彼との面談の許可が下りたのは11月の終わりであり、私がお見舞いがてら、彼の入院している病院に行くこととなった。