労働災害が起きました(14)

CA3I0028
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(M氏寄贈、小湊鉄道・昭和の風景)

所長は話した。
「本日の監査は、従来よりも大変厳しく、深いものでした。しかし、それ故に原発のことをより知って頂いたのではないかと思います。ただ今、原発を巡る世間の目はたいへん厳しいものを感じています。この逆風の中で、原発に対する理解を得るために必要なことは、原発を皆様に見て頂く、知って頂くということが一番大切であると思います。私は、本日の監査について、皆さまが原発のことをとても勉強してきて頂いたと思います。私はそのことに深く感謝します。」
所長のスピーチからは、所長が自分の職業にかける誇りと信念が感じられた。

この所長の言葉が何を意味するのかは、後に監督官同士で話題となった。「意味のない社交辞令」「通常より時間が掛かり手際が悪かったことへの皮肉」という見方があったが、今までの「大名行列」はやはり侮蔑の対象だったのだなということで何となくみんな納得した。
こうして、「監督官は危ないところに行かないのですか。」という新聞記者の一言から始まった、原発監督は終了した。

(注)「3.11」のあった日に、その原発のある町にも津波は押し寄せ、町を壊滅的な崩壊へと追い込んだ。
その日の夜に、行き場のない人々は、建物がしっかりしていると思われた原発を尋ね、保護を求めた。その原発もやはり津波の被害にあっていたが、職員たちは100人以上の人々を構内に招き入れ、自分たちの毛布や食料を提供し、1ヶ月以上に渡って世話をした。
私はその話を聞いた時に、30年以上前の原発所長の話を思い出した。

(これで、私の回想は終わります。「危険なところに行くべきでない」という、他の職員が、新監へ述べた言葉について、私がどう思ったかについて、説明をしようと思ったら、「原発監督」ことを長く書き過ぎてしまいました。
今後、元のテーマに戻ります。もっとも、この章のテーマは、「傍若無人の新監」ということでなく、あくまで「労働災害が起きました」です。)