バイトテロとコンビニ(5)

(足柄峠から見る夕暮れの富士山、by T.M)

さて、「バイトテロとコンビニ」の第5回目ですが、前回書いたように、イタズラをした者に対する厳罰は仕方がないことと思います。

よく、「時代」という言葉を使う人がいます。このような犯罪行為を起こす原因を「時代」とか「社会」に求めてしまう人のことです。今回の事件についても、

「非正規職員の低賃金が問題だ。」とか「先行きの不透明な時代に、雇用の不安定な労働者が自暴自棄になっている。」

とかいう意見をネット上で散見します。

何を馬鹿馬鹿しいと思います。これらの事件は、「時代」が引き起こしたものでなく、何千年も変わらない、若者の「幼稚」さと「世間知らず」が原因と思います。もし、40年前にスマホと動画投稿サイトがあったら、「愚かな若者」であった私も事件を起こしていたかもしれません。

第一、この事件を「時代」のせいにして、「非正規労働者のモラル」の問題とすることは、非正規労働者の方にとても失礼だと思います。

監督署の窓口や労働の現場で、多くの若者労働者と接してきましたが、「気質」は変わってきたと思いますが、その「本質」は変わっていないように思います。「世間知らず」ですが、「諦めている大人(あるいは、覚悟した大人)」より、「変化する可能性がある」という部分で、「教育のしがいがある」と思います。

(もっとも、最近は「生意気な若者」や「礼儀知らず」「常識知らずの若者」が増えている気もしますが、これは、単に、私が「分別のある大人」でなく「依怙地な老人」になってきたためと思えます。)

今回の、バイトテロについて「見た目は大人」だが、「中身は子供」が起こした事件だからといって、その処分を軽くする訳にはいきません。「子供」が「オフザケ」で人を殺した場合、「子供」だからといって、結果責任は厳しく問われるべきだからです。

「バイトテロ」の最も重罪なところは、企業が一番大事にしているもの、企業の命というものを破壊したからです。それは、「社会的信用」です。

これを破壊した者については、企業は徹底的に報復する権利を持つと、私は思います。

私は、「我が子」を殺された親は、その殺人者を「殺す権利」を持っていると思います。それを、「寛大な心で、その権利を行使しない人」も世の中にはいると思いますが、それを他人には強制できないと思います。

しかし、再発防止対策については、また話は別です。企業にとって、「社会的信用」がもっとも大事なことであるなら、バイトに対する「処遇」「教育」を含め、その対策を取ることは、それこそ、企業の社会に対する責任だからです。

その対策を取るにあたい、現在のコンビニに不足しているものは何でしょうか?

(続く)