ある質問

(チューリップとハナモモ・山梨県勝沼ぶどう郷、by T.M)

 

皆さま、暑中お見舞い申し上げます。

本来は「残暑」と書かなければいけないのでしょうが、今年は梅雨が異常に長く、今がとても暑いので、立秋を忘れてしまいそうです。

先日、ある方から、監督署の業務について次のような質問を受けました。少し、専門性が高い質問で、何を言っているか分からない方もいらっしゃるかもしれませんが、私にとっては、元監督官として興味がわいてきた質問であったため、ここに紹介します。

(質問)ある有名料亭の話です。そこの料理の評判を聞き、全国から多くの板前さんや地元の調理師学校の生徒さんが修業に来ます。

料亭側は、修業中の者だから給与は支払わないのが当然だと考えています。しかし、修業といっても、板前さんたちを板長が教育する訳ではありません。料亭側は、板長が板前さんたちの料理をひと口味見をして、その感想を述べるだけで「修業」だと考えているようです(もっとも、板長は、味見をした料理について、それが不満だからと言って、板前さんに作り直させることはしません)。

修業中の板前さんたちは、シフトの空き時間に他のレストランへアルバイトの行き生計を立てていました。どの板前さんも、有名料亭でシフトに入るくらいですから、腕は良く、どこのレストランでも歓迎してくれました。このような、修業のシステムは、この有名料亭では何年間も続いてきたものでした。ただし、板前さんについては、時間外の深夜に急に常連客が来た時だけ特別な手当が貰えるケースもあるようでした。

調理師学校の生徒さんについては、シフトに入ることもありますし、掃除等の雑用をやらされることもあります。

この有名料亭に1年以上前に監督署が調査に入りました。しかし、板前さんや調理師学校の生徒さんの待遇について、何の改善もありません。

私(質問者)は興味をもったので、監督署の担当官にこのことを問い合わせてみました。しかし、監督署は「調査中なので答えられない」と返答されました。監督署は、相手が有名料亭だから遠慮しているんじゃないのかと私は不信感をもちました。

私はこの質問に対し次のように回答しました。

(回答)監督署は、相手が「有名料亭」だからといって遠慮することはありません。かえって、遣り甲斐を感じる職員はいるでしょう。監督官の誰もが考えても、板前さんには賃金が支払うべきだと考えます。遅れている理由は、多分、板前さんの問題でなく、「調理師学校の生徒さんたち」の件が問題であり、結論がでないのではないでしょうか。

さらに、質問者から詳しい状況を尋ね、次のように回答を続けました。

監督署が労働時間等を調査する時にぶつかる問題として、「どこからどこまでを労働時間と見なすのか」、つまり「労働時間の確定」の問題があります。上記のケースで言うと、「調理師学校の生徒さん」たちは、料亭で掃除等の仕事もさせられていましたが、その時間は労働時間と見なせ、賃金は支払われるべきだと思われます。そして、調理場にいて、板前さんたちの仕事を手伝い、調理の仕方を学んでいた時は、やはり調理学校の授業時間だとみなせるような気もします。では、調理がすべて終わり、料理の後の鍋や窯を洗っている場合は労働時間でしょうか?難しいところです。

調理師学校は、料亭側に、生徒さんたちを受け入れてくれる見返りに、どのような金銭的な遣り取りや、取り決めをしていたのかも、労働時間の確定の大きな要素となりますが、上記のケースでは、「料亭」と「調理師学校」が経営的に系列関係にあり、正式な契約もないまま、慣習として生徒を料亭に派遣していただけということなので、そのような事情も問題を複雑にしていると思います。(ただし、その調理師学校は、有名料亭で研修を受講できることを、宣伝としていた部分もあります。)

このような事件で監督署が行うべきことは、次の2つです。

①過去の未払賃金の遡及是正

②今後、同種の法違反がでないように、料亭に研修システムの改善を行わせること

今回の事件で、監督署の処理が遅れているということは、①の遡及是正について、「労働時間」の特定ができないためだと思われます。そしてそれは前述の「調理師学校の生徒さんの労働時間が確定しがたい」ためだと思います。

いっそのこと、明確な賃金不払いである板前さんたちに遡及是正をさせ、調理師学校の生徒には「労働時間不明」で遡及是正を命じないという方法もあります。しかしそれでは料亭が、「板前さん」については法違反であるが、「調理師学校生徒さん」については法違反でないと勘違いする可能性があります。

もし、私がこのようなケースの担当官であるなら、①の遡及是正は一切行わずに、②の料亭での研修システムの明確化を行わさせるといった方法を検討します。具体的には、「板前さん」のシフト勤務に対しては、今後全て賃金を支払うこととし、「調理師学校生徒さん」については料亭の経営上に必要な業務に対しては賃金を支払わせ、「授業料を支払っているので、権利として料亭の業務に参加させる時間」の明確化といった方向性を目指します。

上記のケースで悪質なのは、「賃金不払いの料亭」もそうですが、「授業料をとっていながら、生徒に上記のような業務」を行わせる調理師学校でしょう。

さて、いずれにせよ冒頭の「監督署の申告処理がなぜ遅れているのか」の質問については、「これは、けっこうやばくて、難しい事案だから」というのが回答となります。とは言っても、申告処理に1年以上かけるのは異常です。監督署担当官の熱意を疑われても仕方ないことと思われます。

コロナ禍の現在において、無給の板前さんや、調理師学校生徒さんが職場内でコロナに感染した場合、本来なら労災となるところが、無給の方は「労働者でないので労災認定の対象でない」とされる場合も想定できますので、監督署の早期処理が求められます。

さて、質問された方はこんな質問もされていました。

「現在、飲食店・レストラン業の恒常的な長時間労働が話題となっていますが、今回の料亭の事件のように、業界の体質として何か問題があるのでしょうか。」

私は次のように答えました。

「業界の中の方が特殊な考え方をするというのはよくあるケースです。ただ、個別のレストランの長時間労働と、今回の料亭の事情は、関連性は低いと思います。個別のレストランの長時間労働については、人を増やす等の方法で改善はできると思います。もっとも、改善の方向性は分かっていても、それが難しいことは事実です。今回の料亭の件は、解決への方向性が定まらない難しさがありますが、それが明確になれば、意外と解決も早いと思われます。だからこそ、監督署の早期の是正勧告が必要だと思います。」