コロナと派遣労働者(1)

(山神の碑・栃木県田代山林道入口、by T.M)

先日、ショックなことがありました。私の知人が派遣切り(派遣先から派遣元への契約解除)にあったのです。コロナ禍による人員削減のあおりを受けてのことです。彼女は常用型派遣社員なので、これを機に有給休暇を消化して、少し気分転換をするとのことです。同じ派遣でも、「無期雇用常用型」と「登録型」では影響度が格段に違いそうです。

私が、監督官になった昭和59年から退職するまでの32年間には、色々なことがありました。バブルが絶頂になったかと思うとその崩壊。阪神淡路大震災とリーマンショック。そして、東日本大震災です。

社会の労働者を取り巻く環境も大きく変化してきました。と言うより、悪くなる一方のような気がします。その中でも、最も大きな変化は「派遣労働者」の登場かもしれません。派遣法自体は1985年に成立していますが、1999年の「派遣対象業務の原則自由化」と2004年の「製造派遣解禁」が転機となりました。

特に2004年の製造業派遣解禁はショックでした。それまで、労働基準監督官は「労働基準法第六条 何人も、法律に基いて許される場合の外、業として他人の就業に介入して利益を得てはならない」(中間搾取の禁止の条文)」の遵守を企業に呼びかけ、場合によっては当該法違反について書類送検をしていました。その監督官の目の前に、突然に「派遣労働者」という人たちが登場したのです。当時は派遣元も法律を分かっていないせいか、大手派遣会社であったとしても「データ装備費」等を賃金から控除するといった、とても恥ずべき法違反を犯していました。労働基準法遵守の優良雇用先と思っていた製造業の大企業に、そのような労働基準法違反を行う企業の被害労働者がいることが信じられなかったのです。

ただ、製造業における派遣労働者の存在は、それでも「多様性のある雇用」のためという建前でなんとか理解しようと思いましたが、私が驚いたのは「登録型派遣労働者」という雇用形態が表れたことです。

「派遣先が決まったら雇用する。派遣先から契約が切られたら契約終了」

こんな就業形態って何?というのが私の感想です。昔は派遣先が、労働契約期間を定め直接雇用をしていました。そのため、企業は派遣元に支払う分を労働者の賃金に還元できたのです。

のような就業形態を認めることは、ハローワークの業務放棄であり、厚生労働省の考えがわからないと当時は思っていました。そして、私の想像を超えることが起こりました。私が労働相談に乗った多くの労働者たちが、この雇用形態を当たり前のことだと思いだしたのです。なかには、この制度は「便利だ」という考えもあるようです。

先日、カミさんが観ていた韓国ドラマを眺めていたら、こんな場面がありました。派遣先から、契約を切られた女性派遣労働者が派遣元に行って、担当者を問い詰めています。

「なぜ、私が派遣先に嫌われたのか、あなたが行って聞いて来い」

カミさんは、ドラマを観ながら私に言いました。

「韓国の人って、アグレッシブルよね」

私は答えました。

「韓国の人がアグレッシブルかどうかは知らんけど、これが派遣労働者が取るべき正しい態度だ」

登録型派遣労働者の方はおとなし過ぎます。「派遣元と派遣先が締結した派遣契約」と「派遣元と労働者が締結した労働契約」は別ものです。私が受けた多くの労働相談で、派遣労働者は派遣元から「派遣先から契約が打ち切られた。労働契約は派遣契約が終了したからこれで終わり」と言われて引き下がっていた人が多くいました。このケースは違法な解雇となる場合が多いのです。

遣労働者の方、年末に向かいもし派遣切りに会ったら、一度労働局に相談してみて下さい。もしかしたら、いいアドバイスが頂けるかもしれません。

次回は、派遣業界の最大の問題点、「労働組合の設立」及び「労働者代表の選出方法」について書きます。