公務員の残業

(緑の洋館ダイセル異人館・姫路市、by T.M)

「飲み会は全て断らない」

これを声高々に若者向け動画に述べている、現在話題の中心の偉い役人さんがいるけど、この言葉って昔から言われている役人の処世術なんですよね。私も若い頃よく聞かされました。しかも、この言葉を口に出す時は、みんな冗談ぽく言うのが常でした。この言葉の裏には、よく言えば「協調性」、悪く言えば「阿り」があることをみんな気づいていたからです。それを堂々と自らの誇りのように言う人がいるとは、少し驚きです。

国家公務員に残業代「適切」支給 河野氏が1月に要請・日本経済新聞・2021年2月18日

国家公務員制度を担当する河野太郎規制改革相が1月に中央官庁の残業代の適切な支給を閣僚に要請して最初の国家公務員給与が支払われた。霞が関の各府省は長時間労働の常態化が問題になっている。残業代にあたる超過勤務手当が実態に即して支払われていないとの指摘がある。

河野氏は16日、自身のツイッターに「本日、霞が関の残業時間を厳密に反映した給与が支給されることになっている」と投稿した。「もしそうなっていない場合は内閣人事局に通報を」と呼びかけた。

ツイッターで国家公務員とみられる人による手当が増えたとの報告もあった。

加藤勝信官房長官は18日の記者会見で「徹底した業務の見直しと効率化、勤務時間管理のシステム化、さらには超過勤務そのものの縮減を進めてきた」と語った。「政府全体で国家公務員の働き方改革を進める」と強調した。

公務員の残業代の支払いというのは、古くて新しい問題です。約40年前に、民間企業から公務員に転職した私は、その時間管理のルーズさに驚きました。というか、残業代の、予算が最初に決められているのですから、それを超えることはできません。かと言って、予算どおりに仕事をしていたらとても間に合いません。そこで、40年前は、多くの労働基準監督署が、「残業代の自主規制」をやっていました。残業代が上限を超えないように、勤務記録を作成していたのです。(これはあくまで私が経験した地方労働局での話です。当時、霞が関がどうだったのかは私は知りません)

エクセルもワードもない時代です。というか、コピー機すらろくになく、青焼きコピー機が主流の時代です。役所にはタイムカードもなく、勤務記録はすべて手書きでした。

思えば長閑な時代でした。高校生が、深夜10時過ぎまで働いている飲食店があるという通報を受けて深夜臨検をするのに、勤務終了時間の5時から食事をして、深夜臨検出発まで署で将棋を指していたこともありました。そんな時代だから、大雑把な時間管理許されていたのです。残業代が満額払われないことは、みんな不満でしたが、安定した公務員の村社会の中で、みんな「予算がないなら仕方がない」と諦めていました。

このような、ある意味異常な制度は平成の初めくらいまで続いていたと思います。ある年から、「残業代は勤務時間に応じて払われる」といったことになったのですが、なんとそれに労働組合が強く反対していたことを覚えています。

「残業代が全額支払われること」「時間管理が適正に行われること」のどこに労働組合が反対したかというと、そのかわりに当局は「勤務評価」を組織に持ち込んだのです。当時は「完全年功序列制」だったので、職員間で昇格昇給に差がつくことを組合は嫌ったのでした。

今組織に残っている者で、そんな「昭和の時代」の「勤評反対闘争」のことを知っている者はいないと思いますが、当時労働組合が主張していた、「勤評を取り入れれば職場はゴマすりだけになる」というのは、なんか当たっていたような気がします。(でも、だからと言って、誰でも平等な「完全年功序列」ていうのは、所詮「昭和の夢」でしょう)

時代は変わりました。今公務員は多くの民間企業の人事評価がそうであるように、年間の自己目標を立て、その達成度及び達成難易度で評価され、昇給昇格されるようになりました。その自己目標に、「年間の残業時間を〇〇時間以内とする」とする方が、私の知る範囲でたくさんいます。

さて、冒頭の新聞記事についてですが、河野規制改革相の発言は公務員にとってとても勇気づけられる発言ですが、公務員が労働時間の「自主規制」をしないように気を配って頂きたいと思います。