賃金不払い事件

(パリ・ダカに出場のポルシェ、by T.M)

こんな新聞記事がありました。 

9月12日ー時事通信 晴れ着の着付けやレンタルを手掛ける「はれのひ」(破産)が、従業員に定められた賃金を支払わなかったとして、横浜南労働基準監督署は12日、最低賃金法違反(不払い)容疑で、同社と元社長の篠崎洋一郎被告(56)=詐欺罪で起訴=を横浜地検に書類送検した。認否は公表していない。 送検容疑は、東京や神奈川、福岡など5都県にある事業所の従業員計27人に対し、昨年8月1日から31日までの賃金計約510万円を支払わなかった疑い。

 横浜南署の担当の方、お疲れ様でした。この件はマスコミ等の対応が相当たいへんだったと思います。通常なら、本件のように「法的破産が成立し」「国による未払賃金の立替払いの事務処理を破産管財人が行っている」ケースでは送検しません。倒産がらみの賃金不払い事件で監督署が送検するのは、「事業主が法的破産もせずに、立替払いの事務処理を労働基準監督署が行った」ケースです。まあ、破産手続きという事業主の「最後の責任」を果たせば、未払い賃金は国により、(原資を労災保険の資金から)立替払いがされるから、まあいいかという考えです。もっとも「立替払い」といっても、事業主から後日返済されることはありませんけど・・・

検事の中には「賃金不払い事件」の送致を嫌がる方もいます。そして、送致してもほとんどは起訴されることはありません。大抵は「起訴猶予」という処分になります。賃金不払い事件は初めてという若い検事の方に次のような質問をされたことがあります。

「労働基準法に規定はあるけど、『賃金不払い』がなぜ犯罪なんですか。」

私は、家族を養う労働者が生活の糧である賃金が払われずに、どのような悲惨なことになるかを説明しました。すると、その検事は次のように答えました。

「あらゆる『債務不履行』について、そんな悲劇の側面はあるじゃないですか。私が尋ねているのは、債務不履行は通常は民事事件なのに、なぜ賃金不払事件だけは刑事事件なんだということです。」

検事の指摘どおり、例えば日本では「手形の不渡り」は犯罪事件として取り扱われません。いくつもの会社が連鎖倒産したり、自殺者がでたとしても、最初に手形の不渡りを出した会社の社長は、そのことにより処罰されることはないのです。

今回の「ハレノヒ」の事件で、社長は成人の日に、多くの成人式を向えた方とその親御さんと迷惑をかけた行為について、刑事罰を問われることはありません。被害者の方は、「債権者の一人」という立場に過ぎないのです。

また、「てるみくらぶ」のように、倒産により旅行中のお客様に帰りの飛行機の手配ができなかったことについても、そのこと自体は犯罪行為ではありません。

債務不履行は詐欺事件にまで発展しなければ犯罪にはなりません。つまり、経営者が最初から「客をだます」つもりで、その行為を行わなければ犯罪行為とならないです。「何とかなると思い」あるいは「倒産を回避しようとギリギリまで努力」している限り、無能な経営者に損失を被った債権者の自己責任とされてしまうのです。

つまり、「ハレノヒ」も「てるみくらぶ」も、法的責任を問われているのは、新聞記事に取り上げられた「事件」ではなく、「賃金不払い」であり「銀行に対し、虚偽作成した帳簿を示し融資を受けた詐欺行為」についてなのです。

                           (続く)

 

 

退職代行?

(いつも写真を提供してくれているT.M氏が長崎出張したそうです。そんな訳でしばらく「長崎シリーズ」をします)

yahooニュースにこんな記事がありました。

「明日から会社に行かなくてOK!」――。こんな過激な売り文句が公式サイトに並ぶ「退職代行サービス」が、インターネット上で注目を集めている。 2017年春にサービスを開始した「×」のことだ。電話やLINEで依頼者の希望を伝え、料金を振り込むだけで、退職にあたっての会社とのやり取りを全て任せることができるという。なんと、「即日」での対応も可能だそうだ。

ため息がでそうな記事です。確かに、「勤務していた会社が暴力的で退職できない」という労働者はいると思います。でも、出社しないで欠勤したままずるずると辞めてしまった後に、最後の月の給料が払われないというトラブルを、私はいくつも知っています。

元々、賃金は本人に直接払いが原則です。銀行振込をする場合は、「労使協定」と「労働者との合意」が必要です。「労働者との合意」については、雇用開始時の労働契約書で証明することができますが、多くの会社は「労使協定」を作成していません。ですから、このような会社の「賃金の銀行振込」は違法だということになるのです。

退職を通知された会社が、「最後の給料は取りに来い」と労働者にいうことはよくある話ですが、それは労働基準法第24条の直接払いの原則で言えば当たり前のことになってしまうのです

私は、賃金不払い事件を主任捜査官として20件以上送致してきました。強制捜査(ガサ入れ)の指揮したことも何回もあります。多くは、「ハレノヒ」や「てるみくらぶ」のように倒産がらみの案件です。

前述のように無断欠勤のうえ退職(業界用語でこれを「ケツ割って逃げた」と言います)の末に賃金不払事件は、申告者がどうしても告訴するということで送検した1件だけです。検事に「どうしてこんなもの告訴受理した」と怒られました。即刻、検察庁は不起訴(不起訴理由「罪とならず」)としました。「銀行振込」でなく「直接払い」が原則なので、「会社が給料日に会社で支払うと通知しているのに、取りに行かない労働者が悪い」という理屈になってしまったのです。

もし、ブラック企業に勤務している方が、「恐くて退職できない」というなら、取るべき方法は2つです。1つ目は労働基準監督署と相談すること。2つ目はどこかの労働組合と相談することです。ただし、2つ目の方法を取る場合は注意して下さい。労働組合もピンキリです。本当に労働者のことを思い親身になって活動してくれるところもあれば、ただの金目当てのゴロツキもいます。そのへんの見極めは自分がしなければいけません。

(補足説明)

昭和50年2月25日付の通達・基発112号により、賃金の銀行振込について、「労使協定」が必ず必要とされていました。ただし、昭和63年に労働基準法施行規則の改正があり、それ以降は同規則第7条の2により「労働者の合意」だけでよいと考えるのが一般的です。

ただし、この昭和50年の通達はまだ生きていて、現在でも厚生労働省のHPや地方労働局のHPでは、「労働者の合意」と「労使協定」が必要とされています。

https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/roudoujouken02/chingin.html

 

賃金不払い事件について(4)

(湘南国際村から、by T.M)

倒産、しかも事業主行方不明という事件が発生した時に、労働者が一番しなければならないことは、「賃金台帳」と「タイムカード」の確保です。この2つがあれば、前の記事で紹介した未払賃金の立替払(賃確)ができます。ところが、いざ倒産という時には債権者がやってきて、事務所や工場の備品や設備を持っていってしまって、事業場内は荒らされてしまい、労務関係の書類はどっかへ行ってしまうことがほとんどです。

事実上の倒産とは、2度目の「手形の不渡り」を出し、銀行取引停止処分となる時です。もっとも、初回の不渡りが出た時点で事業主は以後の金策がつかないので、姿を消してしまいます。その手形は、通常「あぶない手形を取扱う人たち」の手に落ちています。ようするに、「危ない会社の手形」を専門に「買い取る人たち」が世の中にいるのです。そういう手形の価格は「表書きの金額」の10分の1、場合によっては100分の1だそうです。

その方々の仕事はとても手早く、慣れています。ある朝、労働者が会社事務所に出勤する、ドアに「何人も立入り禁止。××興業」と書かれた文書が貼られていて、労働者が始めて経営者の行方不明を知るケースも少なくありません。なかには、「事務所内のすべての物は処分してもらってかまいません」という経営者の署名押印がある念書を入手している手際の良い回収業者もいます。

そんな世界があることを、私は監督官になって初めて知りました。「融通手形」という言葉を知ったのもその頃です。

手形を買取る人たちは、もちろん合法的にお仕事をされている方々です。何も悪いことはしていません。一度、そういう人たち(回収業者)の事務所を訪問したことがあります。持っていった物品の中に「タイムカードと賃金台帳」があることが分かったので、提出のお願いに行ったのです。

(このような場合、業者に対し提出を強制する権限は、監督官にありません。監督官が権限行使できるのはあくまで「事業主」か「労働者」に対してのみです)

その回収業者の事務所の入口には金色の大きな紋章が飾ってありました。私は、業者の担当者に事情を説明し協力を依頼したのですが、担当者は「従業員の賃金を払わないなんて悪い社長ですね」と述べ、すぐに必要な書類を提出してくれました。担当者以外はタトゥーが垣間見える方が多かった事務所ですが、筋は通すところだなとしみじみ思いました。

次回から、「働き方改革について」。少し思うことを書きます。

賃金不払い事件について(3)

(先日は私のペットの3回忌でした)

監督署が倒産事業場に対し、前回説明した未払賃金の立替払いの事務手続きを行う場合、一番の障壁となるケースは「未払賃金額を証明する書類」が散逸してしまうことです。労働者個々の未払賃金額が確定できなければ、公的資金(労働保険料)で救済できません。そのためには、「賃金台帳」や「タイムカード」の確保が必用です。

(注)過去には、「事業主」と「労働者」が結託して、この制度を悪用して不正受給をした者もいました。立替払いの上限金額は「296万円」ですから、悪い事をかんがえる奴もでてきます。

事業場が手形の不渡りを出し、銀行取引停止処分となると、事業場の事実上の業務停止となり、破産が決定します。事業主はこの手形の決済日前日までは、何とかしようと金策に走り回ります(この辺の状況は、「陸王」や「半沢直樹」の原作者である、元銀行マンの池井戸潤氏の小説に鮮やかに描かれています)。そして、万策尽きた時に、経営者は「弁護士に依頼し倒産するか」か「夜逃げするか」どちらかを選択するしかないのです(お気の毒なことですが、「自殺」してしまう人もいます。実を言うと「はれのひ」の経営者についても、私はそれを心配していました)。

不渡りの情報が公けになると、債権者が事業場の事務所に押しかけます。そして、債権を回収しようと、事務所に金目のものを片っ端からもっていってしまいます。これが、法律に違反している行為であるかどうかは微妙な所です。

あるヘアーサロンが倒産した時のことです。事業主が行方不明となり、賃金不払いが発生しましたが、そこの雇われ店長が私(監督署の事件担当者)に尋ねました。

「レジの中に、売上金が残っているのですが、どうしましょうか。」

私は答えました。

「あなたが、責任をもって預かっていて下さい。そして、事業主が現れた時にどうするかを相談して下さい。あなたの身の安全のために、そのお金があることは他の債権者に黙っていた方がいいです」

でも、その時私は内心こう思っていました。

「何て正直な人だ。そんな金、未払賃金のかわりにもらっておけばいいんだ。私や事業主には事後報告でかまわないのに・・・」

役人である私は、声に出してそれを言えないのです。

賃金不払い事件について(2)

(旧岩崎邸、by T.M)

「はれのひ」の社長が記者会見をついにしました。破産手続きが開始されるそうです。

実は、労働基準監督署が取扱う事件の中で、「はれのひ」のように「賃金不払いが何ヶ月も続き、ある日突然社長が経営を放り出し逃走する」といった事案は珍しいことではありません。現場の監督官なら1回か2回は必ず経験しているはずです。

そのような場合はどうするのか。前回ご説明したとおり、そうなる前に強制捜査、(もしかしたら逮捕)そして検察庁へ事件送致というケースが、一番の正道です。ただ、その機会を逃すということも多々あります。賃金未払いはあっても、「遅払い」や「一部払い」があり、事業主が何とか経営を立て直そうとしていることが垣間見える時、監督官の決断は遅れるのです。そして、行方不明になってくれると、意外とほっとすることがあります。

これで、「賃金の支払の確保等に関する法律」に基づいて、未払賃金の立替払いの手続きに移行することができるからです。(この事務手続きを「賃確(チンカク)」、前述の法律を「賃確法」と呼びます)

賃確とは、事業場閉鎖(倒産)により未払賃金が発生じた場合、「労災保険の予算(労災保険料)」から支出し、立替払いを行う制度です。未払賃金を事業主に替わり支払う訳ですから、当然回収を後から行うのですが、倒産した企業から回収はほぼ不可能です。だから、回収率は数パーセントいうことを聞いたことがあります(この回収業務は厚労省系の独立行政法人が行っているので、私は詳しくは知りません)。

賃確の事務手続きは、事業主が夜逃げ等を行い法的措置を何もしていなければ監督署が行います。また、「はれのひ」や「てるみクラブ」のように、法的な倒産ですと裁判所が選任した破産管財人がそれを行います。

ですから、今回の「はれのき」の賃金不払事件は、裁判所が未払賃金の立替払い手続きをしてくれて労働者の救済がされる予定なので、監督署それを理由として事件を終了させることができます。

しかし、社会的にこれだけの話題となった事件を書類送検もせずに終えてしまって良いものなのか、現場の監督官は苦しい決断を迫られていることでしょう。