(旧奥州街道有壁宿、いつものポルシェです)
実況見分は何とか終わった。というか、私の思い込みの予想より災害の規模は大きかったのにもかかわらず、短時間にそして適確に終了したと言って良いだろう。これは、立会人(工場長)の真摯な姿勢と新監の協力によるものである。私は、残念ながら、新監の現場対応力の優秀さを認めなければならなかった。
会社事務室に戻り、工場長さんから色々と事情を伺った。災害発生会社(A社と呼ぶこととする)は、海洋工事専門の建設会社で、大手ゼネコン各社の仕事を請負っていた。従業員は15人ほどだが、全員が潜水士や他の資格を取得している海洋工事のエキスパートである。事務室の壁には、A社がかつて建設に携わった「海洋風力発電所」「サンゴ礁の防潮工事堤」「養生建造物」等の写真が飾られ、所有する海洋工事専門の船舶の模型が置かれていた。また、労働安全衛生を重視する会社らしく、壁には安全標語が記載された安全ポスターが掲示され、各ゼネコンから授与された、「安全工事推進への協力」に関係した感謝状も飾られていた。
工場長さんは、事故と被災者たちのことを説明した。
「わが社では次の海洋工事が5月の連休明けから開始されるので、今日は、その準備のさらに準備ということで、U君とN君に工場で作業をしてもらいました。工場といっても、工事に使用する資材の仮置き場といったところですが、機械の整備等はそこでできます。被災したのは、この両名ですが、U君はもう30近い、経験は10年以上になるベテランです。彼が中心になって、工事に必要な備品をチェックしていました。そのU君がN君に命じて、部品入れにするドラム缶の半缶を作っている時に、今回の事故が発生したものです。U君の指示といっても、工場長の私も作業内容を把握していたことですし、現場も見ていますので、今回の事故の全責任は私にあります。U君とN君には、まことに申し訳ないことをしました。
まさか、ガス溶断中の空のドラム缶が爆発するとは思いませんでしたが、あのドラム缶は以前ガソリンを保存しておいたもので、私がもっとそのことを意識していたら起きなかった事故だと思います。」
工場長さんは、言い訳することなく、自分の全責任を認めた。謝罪の言葉が自然に出てくるその姿に、調査官の私は何か清々しさを感じた。