ゴーアプリ運営会社は転売屋だ

(正月の八菅神社、by T.M)

頭にきました。けっこう怒ってます。タクシーの「ゴーアプリ」についてです。

関東地方に雪が降りました。交通機関が滅茶苦茶です。仕方がないので、タクシーを利用することにしました。スマホに仕込んである、「ゴーアプリ(タクシー配車アプリ)」でタクシーを呼ぶと、「今日は大変混み合っているので、優先パスの人から配車します」との表示がでました。

要するに、「雪の日でタクシー利用者が多いので、配車をして欲しかったら追加料金を払え」とのことでした。横浜は坂の多い街です。雪の日に運転するのでは、タクシーの運転手さんも大変なんだなと思い、追加料金を支払うことにしました。

私がタクシーに乗る区間の運賃が900円、配車料金に300円、合計1200円が通常の料金です。その日は、それに追加して480円を支払うことになりました。

タクシーに乗った時に運転手さんと雑談をしていて、この追加料金のことに話が及びまして、私は言いました。

「雪が降った後の運転は大変ですね。でも、追加料金が支払われるから、運転手さんには得ですよね。」

運転手さんは次のように否定しました。

「とんでもない。追加料金はすべて、ゴーアプリの配車サービスがもっていって、運転手とタクシー会社には一円も来ないのです」

私は驚きました。そして、このことが事実かどうか、ちょうどその日は別のタクシーも利用したので、そのタクシーの運転手さんにも確認したところ、同様な話をしてくれました。

ひどい話だと思いました。「火事場泥棒」という言葉を連想しました。

「雪の日の運転」等について、通常の料金より高額の料金を求められることは仕方がないことだと思います。でも、それなら、運転手さんとタクシー会社に還元しろ。それが私の思うところです。

多分、ゴーアプリの会社は私の「感覚」など何も理解できないでしょう。「飛行機のチケット」ように、「需要が多くなれば、価格が高くなるのは当たり前」という理屈でしょう。でも、違うのです。「需要が多くなって、稼げるのは実際に動いている会社であって、汗をかかないアプリ会社だけが儲けること」は社会的に許してはいけないのです。

ようするに、この「ゴーアプリ」の商法は、テンバイヤーの商法なのです。「マスクが不足している時に、買い占め高く売る」、あるいは「コンサートのチケットを、転売し高く売る」、やっていることは一緒です。そして、「タクシーという公共交通機関」を相手にテンバイヤーをやっているのですから、より悪質です。

なんか、ITの利用が多くなると、格差が広がるという理屈が分かるような気がしました。要するに、こういうことだったのですね。

また、元労働基準監督官の立場から言わせてもらうなら、「労働の売買」にプラットフォームビジネスを使って欲しくないのです。

プラットフォームビジネスとは、アマゾン・楽天を筆頭にとても素晴らしくて、便利だと思えるます。でも、それが「労働の売買」と結びつくと次のようなものになります。

サイトに登録しておくと、マッチングアプリを経由して、単発の仕事が回ってきて、アプリの指示に従って現場に行って仕事をすると、後からサイト運営会社から入金される。

多分、派遣法違反している、そんなビジネスが実際にあるようですが、ピンハネするサイト運営会社だけが儲かるような仕組みではいけません。

そんな違法派遣のことと比較しながら、ゴーアプリ運営会社に怒りを覚えた雪の日でした。

このブログを観た人、「ゴーアプリ運営会社はテンバイヤー」という事実を拡散して欲しいと思います。

たまには悪口を!

(渋田川の芝桜・伊勢原市、byT.M)

ブログを書き始めた時に、ある人からこんなアドバイスを頂きました。

「ブログの品格を保ちたかったら、人の悪口は書くな。」

確かに、その通りだと思いました。このブログでも、今までは行政批判等は行っても個人攻撃は基本的に行ってはいないはずです。何やかんや言っても、私は現場の仕事が好きでしたから、現場で一生懸命仕事をしている監督署の職員の悪口は書きたくない(書けない)。その反面、現場の職員を犠牲にして保身だけを考えている局や本省の連中のことは、いくらでも書くつもりでいます。また、例え現場で働いている者であっても、他の職員の誇りを傷つけるような者は許せない気がします。

私に前述のアドバイスをくれた人はこうも言っていました。

「でも、人の悪口を書くことはとても楽だ。」

ブログを初めて4年目。ブログネタもそろそろ切れてきました。そして私も62歳。もういい頃だと思いますので、「悪口」を解禁したいと思います。

私がこいつは本当に許せないと思ったのは、東北のM局に勤務してた時の職員Yです。今から30年以上前のことです。彼は労働基準監督署とハローワークの職員で構成する労働組合の活動家でしたが、職場に出勤するのは週1度程度した。残りの日は、「有給休暇」ではなく「組合活動」を「業務」と称し、仕事に出てこなかったのです。他の組合執行委員も、業務の合間に組合活動をする時に職場を離れることはあります。でも、周りの者にすまなさそうな顔をして、自分の仕事を済ませてからいく者については周囲から不満はでませんでした。でもYは違いました。まったく仕事はせずに、組合活動のみをしていました。因みに彼は、「組合専従職員」では、当時ありませんでした。東北1の国立大学出身で、在学中からある政党の下部機関である学生運動に参加していたというYは、筋金入りの活動家でした。

(注)「組合専従職員」とは、「仕事を休職」をして組合活動に専従する人を言います。「休職期間」の給与は労働組合費から出ます。ですから、専従職員の存在は合法です。問題は「専従」でもない人も、仕事をサボるということです

Yは、F署の第一課長という職にいて、私の上司でした。F署は労働基準監督署としては、最小単位の署でした。監督官は「私」と「課長」と「署長」の3名だけでした。私は、「課長」が常時いないので、仕方がないので「署長」と相談しながら業務を進めていました。すると、時々出勤するYが、私の仕事をけなすようになりました。「君の仕事はいいところがひとつもない」というような、現在ではパワハラと捉えられるような暴言も浴びせられました。私は当時、自分で言うのも何ですが、仕事はかなりできました。と言うよりも、仕事ができる私ですから、そのようなYの下につけられたのです。

私は、Yに暴言を浴びせられるたびに、理不尽という思いよりも不思議な気がしました。「この人は、なぜ私を非難するのか。私がいなければこの署の仕事は回らないではないか」と思っていました。でもある時に気付きました。Yは私に、「もっと自分の顔を立てろ」と要求していたのです。サボっている自分を、かばう姿勢なく、署長と2人で仕事をしていることが面白くなかったのです。

ある時ついに私は切れました。「お前ふざんなよ」と、事務室で他の職員の見てる前で怒鳴る付けたところ、その後Yはおとなしくなりました。私は普段はとても穏やかな紳士なので、切れられてYも驚いたと思います。Yはその後、年度途中で仕事を放り出して、国公労連の専従職員として中央に行きました。

まあ、Yの横暴を見て見ぬふりをして、一課長という要職に付けた当局及び、Yに何も言えない署長もひどいのですが、私が労働組合というものに幻滅したのはYの存在が大きかったと思います。

この話には後日談があります。

東日本大震災の時です。私は震災からひと月後に、かつて勤務していたM局I労働基準監督署にお手伝いに行きました。I署は海辺にあり、津波に直撃され壊滅的な被害を受けた所です。監督署には、連日避難所で暮らす人たちが多く来署してごった返していました。M局に昔勤務していた私は、そこで多くの旧友と再会しました。

そのI署に、同じM局のF署から手伝いの監督官も来ていました。F署はI署と違い内陸の署なので被害がなかったのです。そのF署から手伝いにきている職員がこんなことを言いました。

「F署の署長から、頑張らなくていいから、適当にやっていろと言われました。」

ようするに、当局がF署の職員を激務のI署に派遣することはケシカランというようなことをF署の署長は言う訳です。しかし、神奈川局からバスを乗り継いで手伝いに来ている私の前で、よくそんな事が言えたものだと思いました。(当時、津波のため鉄道網は寸断されていました。)

そのF署の署長は誰かと尋ねたところ、何とYでした。私はYは、いつまでも変わらないなと思いました。

しかし、一課長時代に何の仕事もせずに、年度途中に中央の労組の専従職員となり、それから何年も休職していたYを労働基準監督署長に昇進させるとは、M局も相変わらずだなとしみじみ思いました。

(注) 現在の組合では、さすがに仕事をサボッて組合活動をしているケースはないと聞いています。