賃金不払い事件について(4)

(湘南国際村から、by T.M)

倒産、しかも事業主行方不明という事件が発生した時に、労働者が一番しなければならないことは、「賃金台帳」と「タイムカード」の確保です。この2つがあれば、前の記事で紹介した未払賃金の立替払(賃確)ができます。ところが、いざ倒産という時には債権者がやってきて、事務所や工場の備品や設備を持っていってしまって、事業場内は荒らされてしまい、労務関係の書類はどっかへ行ってしまうことがほとんどです。

事実上の倒産とは、2度目の「手形の不渡り」を出し、銀行取引停止処分となる時です。もっとも、初回の不渡りが出た時点で事業主は以後の金策がつかないので、姿を消してしまいます。その手形は、通常「あぶない手形を取扱う人たち」の手に落ちています。ようするに、「危ない会社の手形」を専門に「買い取る人たち」が世の中にいるのです。そういう手形の価格は「表書きの金額」の10分の1、場合によっては100分の1だそうです。

その方々の仕事はとても手早く、慣れています。ある朝、労働者が会社事務所に出勤する、ドアに「何人も立入り禁止。××興業」と書かれた文書が貼られていて、労働者が始めて経営者の行方不明を知るケースも少なくありません。なかには、「事務所内のすべての物は処分してもらってかまいません」という経営者の署名押印がある念書を入手している手際の良い回収業者もいます。

そんな世界があることを、私は監督官になって初めて知りました。「融通手形」という言葉を知ったのもその頃です。

手形を買取る人たちは、もちろん合法的にお仕事をされている方々です。何も悪いことはしていません。一度、そういう人たち(回収業者)の事務所を訪問したことがあります。持っていった物品の中に「タイムカードと賃金台帳」があることが分かったので、提出のお願いに行ったのです。

(このような場合、業者に対し提出を強制する権限は、監督官にありません。監督官が権限行使できるのはあくまで「事業主」か「労働者」に対してのみです)

その回収業者の事務所の入口には金色の大きな紋章が飾ってありました。私は、業者の担当者に事情を説明し協力を依頼したのですが、担当者は「従業員の賃金を払わないなんて悪い社長ですね」と述べ、すぐに必要な書類を提出してくれました。担当者以外はタトゥーが垣間見える方が多かった事務所ですが、筋は通すところだなとしみじみ思いました。

次回から、「働き方改革について」。少し思うことを書きます。

働き方改革について

(三浦市初声町の用水路のコサギ,by T.M)

賃金不払いの件は1回休みます。 

昨日、現職の神奈川労働局の職員と飲みましたが、興味深い情報を得ました。地方労働局内で大幅な機構改革が行われているようです。具体的に言うと、現在の「労災課」の人員の多くを「監督課」に回すそうです。

減員となる労災課は一人当たりの業務量がどれだけ増加するのか、友人は心配している様子でした。 

機構改革の目的は(これは私の推測ですが)、政府の「働き方改革」を加速させるために、「監督課」の長時間労働の取締りを強化するためのものだと思います。

昨年就職するまで、フリーのコンサルタントをしていましたが、「働き方改革」についての講演をよく依頼されました。確か、働き方改革の骨子は次のようなものだったと思います。

「日本はこれから益々少子・高齢化社会となり、生産者数の全人口に対する割合が減少する。この現象が生む緊急の問題は『介護』と『育児』である。社会の仕組みを働き方改革で変革し、同問題に対処しなければならない。その具体的な手段としては、1長時間労働をなくし労働生産性を高くし、2女性、高年齢者が活躍しやすい環境とし、3正規労働者と非正規労働者の格差をなくすことである」 

働き方改革の主旨に対する私の理解が正しいのであれば、私は働き方改革に賛成です。そして、労働行政の具体的な当面の方針として、「長時間労働の撲滅」と「(正規労働者と非正規労働者の)同一労働同一賃金」の2つとすることも合理的なように思えます。 

ただ、そのことを行政の課題とするために、行政内職員に長時間労働の懸念があるのでは困ります。もっとも、定年退職者の再雇用も増えていますので、当面はなんとかやり繰りは可能と思いますが、ただでさえ非正規職員の件で時限爆弾を抱えている現状で、行政内部でやっかいごとが起きないことを祈ります。 

酒を飲み、旧友の懸念と愚痴から、古巣の未来を思いはせた夜でした。

 

賃金不払い事件について(3)

(先日は私のペットの3回忌でした)

監督署が倒産事業場に対し、前回説明した未払賃金の立替払いの事務手続きを行う場合、一番の障壁となるケースは「未払賃金額を証明する書類」が散逸してしまうことです。労働者個々の未払賃金額が確定できなければ、公的資金(労働保険料)で救済できません。そのためには、「賃金台帳」や「タイムカード」の確保が必用です。

(注)過去には、「事業主」と「労働者」が結託して、この制度を悪用して不正受給をした者もいました。立替払いの上限金額は「296万円」ですから、悪い事をかんがえる奴もでてきます。

事業場が手形の不渡りを出し、銀行取引停止処分となると、事業場の事実上の業務停止となり、破産が決定します。事業主はこの手形の決済日前日までは、何とかしようと金策に走り回ります(この辺の状況は、「陸王」や「半沢直樹」の原作者である、元銀行マンの池井戸潤氏の小説に鮮やかに描かれています)。そして、万策尽きた時に、経営者は「弁護士に依頼し倒産するか」か「夜逃げするか」どちらかを選択するしかないのです(お気の毒なことですが、「自殺」してしまう人もいます。実を言うと「はれのひ」の経営者についても、私はそれを心配していました)。

不渡りの情報が公けになると、債権者が事業場の事務所に押しかけます。そして、債権を回収しようと、事務所に金目のものを片っ端からもっていってしまいます。これが、法律に違反している行為であるかどうかは微妙な所です。

あるヘアーサロンが倒産した時のことです。事業主が行方不明となり、賃金不払いが発生しましたが、そこの雇われ店長が私(監督署の事件担当者)に尋ねました。

「レジの中に、売上金が残っているのですが、どうしましょうか。」

私は答えました。

「あなたが、責任をもって預かっていて下さい。そして、事業主が現れた時にどうするかを相談して下さい。あなたの身の安全のために、そのお金があることは他の債権者に黙っていた方がいいです」

でも、その時私は内心こう思っていました。

「何て正直な人だ。そんな金、未払賃金のかわりにもらっておけばいいんだ。私や事業主には事後報告でかまわないのに・・・」

役人である私は、声に出してそれを言えないのです。

賃金不払い事件について(2)

(旧岩崎邸、by T.M)

「はれのひ」の社長が記者会見をついにしました。破産手続きが開始されるそうです。

実は、労働基準監督署が取扱う事件の中で、「はれのひ」のように「賃金不払いが何ヶ月も続き、ある日突然社長が経営を放り出し逃走する」といった事案は珍しいことではありません。現場の監督官なら1回か2回は必ず経験しているはずです。

そのような場合はどうするのか。前回ご説明したとおり、そうなる前に強制捜査、(もしかしたら逮捕)そして検察庁へ事件送致というケースが、一番の正道です。ただ、その機会を逃すということも多々あります。賃金未払いはあっても、「遅払い」や「一部払い」があり、事業主が何とか経営を立て直そうとしていることが垣間見える時、監督官の決断は遅れるのです。そして、行方不明になってくれると、意外とほっとすることがあります。

これで、「賃金の支払の確保等に関する法律」に基づいて、未払賃金の立替払いの手続きに移行することができるからです。(この事務手続きを「賃確(チンカク)」、前述の法律を「賃確法」と呼びます)

賃確とは、事業場閉鎖(倒産)により未払賃金が発生じた場合、「労災保険の予算(労災保険料)」から支出し、立替払いを行う制度です。未払賃金を事業主に替わり支払う訳ですから、当然回収を後から行うのですが、倒産した企業から回収はほぼ不可能です。だから、回収率は数パーセントいうことを聞いたことがあります(この回収業務は厚労省系の独立行政法人が行っているので、私は詳しくは知りません)。

賃確の事務手続きは、事業主が夜逃げ等を行い法的措置を何もしていなければ監督署が行います。また、「はれのひ」や「てるみクラブ」のように、法的な倒産ですと裁判所が選任した破産管財人がそれを行います。

ですから、今回の「はれのき」の賃金不払事件は、裁判所が未払賃金の立替払い手続きをしてくれて労働者の救済がされる予定なので、監督署それを理由として事件を終了させることができます。

しかし、社会的にこれだけの話題となった事件を書類送検もせずに終えてしまって良いものなのか、現場の監督官は苦しい決断を迫られていることでしょう。

 

賃金不払い事件について(1)

(横山大観邸、by T.M)

「はれのひ株式会社」の卑劣な成人式ドタチャン事件から、労働基準監督署が処理する賃金不払い事件について考えてみました。

この会社については、社長逃走劇の前に、事業場内で賃金不払いが日常的であったようで、監督署から是正勧告書が過去5回に渡り交付されていたそうです。

この点がどうも、社会的に不評です。労働基準監督署がきちんと指導していれば、今回の事件は発生しなかったという雰囲気です。

元監督官だから言います。この事件(社長逃走劇による成人式ドタキャン)は、監督署ではどうしようもなかったことです。

お前は、「身内」のことだからかばうのかと言われそうですが、これは「論理的」に無理なんです。是正勧告書が5回もでた時点で、監督署が「何とかする」ということは、つまり「強制捜査(ガサ)やって、会社を検察庁に書類送検する」ということを意味します。これをするということは、すなわち「会社を潰す」ということです。もちろん、「会社を潰す」覚悟で仕事をすることは必要です。従業員・顧客に一時的に迷惑をかけても、社会的に許せない会社については、国が責任を取り職務を全うすることが、「署」という名がついている役所の使命でしょう。

この「はれのひ」の賃金不払い事件については、担当署は司法着手を考慮していたでしょうし、あるいは既に司法に着手し、後は強制捜査の執行の準備中だったかもしれません。ただ、それを実行する時機については、署も十分に検討するはずです。そして出す結論は、「社会的な影響が少ない時を狙う」ということになります。それは、「成人式の後」ということになります。11月や12月にガサをやれば、会社は業務不能となり、結局はこの会社で「成人式の着付け」を予定していた方に迷惑をかけることになります。では、その前の7月、8月の時点でやればいいじゃないかという見方もできますが、さすがにそんな前の事件を、監督署は放置しておくはずもなく、その時期には事件は始まっていなかったと考えることが妥当だと思います。もっとも、100%「怠慢はない」と言い切れるかというと、アホな監督官はいますので、絶対とは言えませんが、そこは私は後輩を信じます。

監督署では、「成人式のドタキャン」までは、さすがに想定外だったというのが実情ではないでしょうか。