労働災害が起きました(17)

%e5%a4%a7%e6%9c%88%e5%b8%82%e3%83%bb%e7%8c%bf%e6%a9%8b (M氏寄贈、大月市・猿橋)

私はこの若者をどうやって元気づけようかと迷った。
「事故じたいは運がなかったんだよ。こんなこと滅多にないよ。」
「会社も社長さんもいい人じゃないか。事故が起きたからといって、こんなに従業員のことを心配する会社はないよ」
「君は夢をもって就職したんだろ。海洋開発なんて、素晴らしい仕事だよ。うらやましいな。君は夢に向かって努力して、一生懸命勉強して、潜水士の資格も高校生の時に取得したんだろ。これは、凄いことだよ。」
「君がしっかりしないと、お母さんを益々悲しませるぞ。」
・・・・
どんな、慰めも励ましも彼には通じないような気がした。

私は話題を変え、災害発生状況の件について尋ねようとした。ベッドの上の簡易テーブルの上に実況見分時に撮影した写真を広げ、質問しようとしたが、彼はそれを嫌がった。
「そんなものしまって下さい。見たくありません。事故のことは思いだくありません。」
私は、自分の無神経さ恥じ、彼に詫びた。そして、写真を片付け始めるたところで、彼が1枚の写真を眺めていることに気づいた。
それは、新監が実況見分時に起点を指してる写真であった。

私は、もしかしたら、その写真から話のきっかけが作れるかもしれないと期待した。
「それ、うちの新人だけど、こちらの写真の方が大きく映っているよ。」
私は、新監が撮影されているもう1枚の写真を示した。新監は、借り物の大きすぎる作業服と安全靴、使い古したヘルメットを被り、いかにも現場に似合わない姿に映っていた。
「かわいいだろ。君のことを心配してたぞ。」
彼は、疑わしそうに言った。
「本当ですか。」
私は、説明した。
「彼女は君と同じなんだよ。君と同じ日に社会人になった。君が同期だから、今回の事故の件は、他人事に思えないそうだ。」
さらに、私は続けた。
「本当は今日一緒に来るはずだったんだが、どうしても抜けられない研修があって来れなかった。君が早く職場復帰できるか、とても気にしていたよ。」
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労働災害が起きました(16)

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(M氏寄贈、都留市・旧尾県学校)

さて、爆発災害の被災者への事情聴取であるが、11月も終わりのある日に、被災者が入院する病院に行くことで、被災者及びその家族の承諾を得た。その日は、あいにく新監の都合が悪かったので、私一人が病院へ行くこととなった。

その病院は三浦半島の主要都市にある Y共済病院だった。被災者のNは個室を与えられていた。看護人は誰もいなくて、私は一対一で彼と話しをした。
彼はまず、横になったまま話をする非礼を詫び、毎日リハビリはあるが車イスでなければ動けないという説明をしたが、そのことを話すのに2,3分はかかっただろうか、口ごもり、私に言葉を惜しむように訥々と話をした。
元々は快活な性格だが、事故の治療に精神的に相当まいっているという、事前の情報のとおりであった。

事故の前の彼の写真から、彼のことが想像できる。彼は海がとても好きで、スポーツ好きの健康な若者だったのだろう。そして、彼は夢を持ち、努力して就職した。その彼の肉体が、今彼を裏切り、コントロールできないようになってしまっている。鬱になるのは当然である。
(注) 私事であるが、私は3年前に、ようやく彼の当時の状況が実感できた。私はギランバレーという神経の病気になり、わずか3日で四肢が動かなくなった。その3日間に一睡もできず、4日目に意識を失ったが、その意識を無くしている最中に大声で喚き続けたということである。肉体が自由を失う時に人は発狂する。

具合はどうかと尋ねる私に対し、彼は「良くないです」と答えた。
職場の人は見舞いに来るかという、私の質問に対し、「週に2,3回は、社長さんか、専務さんか、工場長さんがお見舞いに来てくれます。」と答えた。
家族の事、生活の事について尋ねると、「母は毎日来てくれますが、泣いてばかりです。会社が面倒みてくれているので、生活に特に支障はありません。」ということだった。
雑談の後に、思い切って会社復帰の件について尋ねると、「今はそんなこと考えられません。職場のことはもう考えたくありません。やめようと思っています。」
と答えた。

労働災害が起きました(15)

CA3I0048
CA3I0048

(M氏寄贈、四国・剣山山系)

私は、B次長やY主任に「ガントリークレーンの検査で危ないとことに、行くんじゃない。」と注意されている新監に声をかけた。
「あのー、Tさん。今日の検査なんだけど。」
「分かってます。」
新監が私の話を何も聞かずにこう答えた。

私は驚き尋ねた。
「分かっているって、何が?」
新監は答えた。
「一主任は、監督官は最も危険な場所へ行くべきだと、おっしゃりたいんでしょ。そして、もしそこで労働者が本当に危険な作業をしているのなら、その作業について、『作業停止』を命じて来いという事でしょ。」
新監は、さらに続けた。
「一主任は今まで繰り返し、原発監督の話をしてくれました。それはいい話だと思います。だけど、『監督官の神話』も『美学』も、繰り返されれば、ただの自慢話です。」

そう言えば、「物忘れが激しくなり、同じ話を繰り返すようになった」と、妻に指摘されていたことを、私は思い出した。しかし、「監督官の神話」とはうまい事を言うと思った。「神話」がない仕事なんて、つまらないからである。

(注) 「作業停止命令」とは、労働安全衛生法第98条に基づく行政命令。命令には「使用停止」「変更命令」「立入禁止」と色々あるが、すべて同法に基づくものである。
この法の第1項及び第2項は労働基準局長と労働基準監督署長がこれらの命令をできることが規定されている。労働基準監督官は通常、行政内部で厳格に定まっている基準を適用し、現場で同命令を発する。
しかし、同法第3項は、「労働者に急迫した危険がある場合」に労働基準監督官が現場で同命令を行えることを定めたものであり、法理論上は労働基準監督官は、単独で「命令」を発することができる。例えば、洪水の危機にさらされている、工事現場の作業員に対し、独断で避難を命令できる。
当該命令に従わない場合には、刑事事件として、立件することとなる。
この「使用停止等命令権限」は「立入調査権限」「特別司法警察員権限」と伴に、労働基準監督官の権威を担保する権限である。
もっとも、現場でこの権限を行使しようとすれば、後から行政内部に対し明確な説明ができなくてはならず、全責任は当該監督官が負うので、辞表覚悟でなきゃ使えない権限でもある。
私も、退職まで「署長名」で、つまり行政内部の規範に従って、この命令を発したことはあるが、単独で使用したことはない。

労働災害が起きました(14)

CA3I0028
CA3I0028

(M氏寄贈、小湊鉄道・昭和の風景)

所長は話した。
「本日の監査は、従来よりも大変厳しく、深いものでした。しかし、それ故に原発のことをより知って頂いたのではないかと思います。ただ今、原発を巡る世間の目はたいへん厳しいものを感じています。この逆風の中で、原発に対する理解を得るために必要なことは、原発を皆様に見て頂く、知って頂くということが一番大切であると思います。私は、本日の監査について、皆さまが原発のことをとても勉強してきて頂いたと思います。私はそのことに深く感謝します。」
所長のスピーチからは、所長が自分の職業にかける誇りと信念が感じられた。

この所長の言葉が何を意味するのかは、後に監督官同士で話題となった。「意味のない社交辞令」「通常より時間が掛かり手際が悪かったことへの皮肉」という見方があったが、今までの「大名行列」はやはり侮蔑の対象だったのだなということで何となくみんな納得した。
こうして、「監督官は危ないところに行かないのですか。」という新聞記者の一言から始まった、原発監督は終了した。

(注)「3.11」のあった日に、その原発のある町にも津波は押し寄せ、町を壊滅的な崩壊へと追い込んだ。
その日の夜に、行き場のない人々は、建物がしっかりしていると思われた原発を尋ね、保護を求めた。その原発もやはり津波の被害にあっていたが、職員たちは100人以上の人々を構内に招き入れ、自分たちの毛布や食料を提供し、1ヶ月以上に渡って世話をした。
私はその話を聞いた時に、30年以上前の原発所長の話を思い出した。

(これで、私の回想は終わります。「危険なところに行くべきでない」という、他の職員が、新監へ述べた言葉について、私がどう思ったかについて、説明をしようと思ったら、「原発監督」ことを長く書き過ぎてしまいました。
今後、元のテーマに戻ります。もっとも、この章のテーマは、「傍若無人の新監」ということでなく、あくまで「労働災害が起きました」です。)

労働災害が起きました(13)

CA340186
CA340186

(M氏寄贈、「雨上がりの南アルプス」)

監査の最後は講評会である。
監査結果は当然、後日の行政側が交付する文書により明らかとするが、取敢えず当日中に会社側に監査結果を伝え、安全関係で緊急を要する措置が必要な場合等をその場で指示するのである。講評には、原発所長を頂点とした100人を超える会社関係者が出席する。それに対し、監査を行った行政側もまた全員が講評に出席し、気づいたことを指摘するのである。

講評会は、まず行政側の監査結果の発表から始まる。例年であれば、それは労働基準監督署長の仕事である。しかし、この時は署長が参加していないので、監督課長が発言した。

昨年までは、署長は話すことを事前に用意し、それを文書にし、10分間ほど読み上げた。つまり演説をしたのである。

しかし、この時の監督課長の発言は違った。監督課長は冒頭にこう述べた。
「さすがに、安全を重視する原子力発電所です。御社の安全管理体制については、他社の見本となる素晴らしいものでした。従って、重箱の隅をつくような細かい指摘となりますがご容赦下さい。」
そして監査を行った各監督官の指摘事項をメモしたものを、淡々と読み上げるたが、その指摘事項には、どこそこのボンベの転倒措置がなされていなかった、塗装の際の作業主任者名の掲示がされていなかった等の細かい指摘であり、それが30項目程度続いた。そして、監督課長は最後にこう述べた。
「細かい指摘が多いと思われるかもしれませんが、災害は細部から起きるケースが多いのです。これらの事項は我々が全力を挙げ調査した結果、指摘することです。」

監督課長の発言の後で、原発所長の返礼が行われた。所長は次のように述べた。
「本日はたいへんお忙しい中、わが所の安全衛生のため、御視察を頂き本当にどうもありがとうございました。」

ここまでは、昨年と一緒だった。例年なら、この後に次のように続く。
「ただ今、労働局及び監督署の方から、御指摘頂いたことを肝に銘じ、より一層の労働安全衛生の改善に努めてまいります。」
しかし、この時の所長の言葉は違った。