今年を振り返って

(枯山水の中庭がある龍野城、by T.M)

今日は労災について、この1年間で考えたことを書きます。

まずは労災の統計とコロナの統計の比較です。

日本での労災での死亡者数は、2019年は史上最小値で845名でした。最高値は、1961年の6712名です。要するに、日本の労災の死亡者数は約60年間で1/8まで減少した訳です。

コロナでの死亡者数は、本日現在で3186名です。これは、今から約40年前の1970年代後半の労災における死亡者数とほぼ一緒です。

1960年代から比較して、日本の労災死亡災害が減少し続けてきた一番の大きな理由は、建設業・製造業を中心に職場の安全文化というものが育ち、安全環境が整ってきたことです。

日本の職場の安全文化とはなんでしょうか?それは、日本型労働安全衛生マネジメントシステムの規格JISQ45100の付属書Aで示されているもので、次のようなものです。

①ヒヤリハット活動 ②危険予知教育(KYT) ③4S活動(整理・整頓・清潔・清掃の徹底) ④安全提案制度 等

これらは、各職場の安全スタッフが頑張ってきたことを、中災防・建災防等安全衛生団体が体系として集約しプラットフォーム化したものです。

さて、コロナによる死亡者数の件です。今年の死亡者数が1970年代の労災死亡者数に匹敵するなら、来年は現代2020年代の労災死亡者数としなければなりません(要するに、今年の1/3から1/4)。そして、再来年は死亡者ゼロが目標でしょう。それには、「3蜜対策」「飲食店対策」等、ある程度の基礎的な対策についての社会的な合意形成が急務であり、ワクチン接種の方法を含めた究極のプラットフォーム化である法整備が必要と思います。やはり政治に期待するしかありません。

さて、安全文化に期待できる建設業・製造業とは違い、なかなか労働災害が減らない業種があります。それは、貨物運送業です。平成30年の災害発生千人率(労働者1000人に対する災害が発生件数)は、製造業2.3、建設業4.5に対し陸上貨物運送業は8.9です。要するに、貨物運送業では製造業の3倍以上、建設業の2倍の割合で災害が発生している訳です。

原因は分かっています。「宅急便」等の小口配送の増加です。旧来型の「大型トラック運転手の長距離運転による過労を原因とした事故」ではなく、「小口配送の配送センター内等の災害」が増加しているのです。これは、「配送業界」のブラック企業化による安全モラルの衰退が原因ではないかと、私は推測します。

現在、「宅急便」等の小口配送の現場では急激に「個人事業主」が増えています。映画「家族を想う時」で描かれていたような悲惨な労働現場が日本にも登場しているのです。そして、労災発生の責任をすべて「個人事業主」に押し付けています。こんな職場の体制が、職場全体の安全意識の低下に繋がっているのではないでしょうか。これは、1960年代の労働者の悲惨状況を言い表した「ケガと弁当は自分持ち」の世界の再現に他ありません(当時は、労災保険の認知度も低く、日雇い労働者は、そんな扱いをされていました)。

さらに、これは運送事業ではありませんが、「ウーバーイーツ」を代表とする「マッチングアプリ」を利用した個人事業主の増加があります。「ウーバーイーツ」は自らを「プラットフォームビジネス」と自称しているそうですが、「労働力提供」のプラットフォーム化とは、すなわち「搾取」以外の何物でもありません。

スマホの連絡だけで、「仕事を紹介」するといったビジネスに代表されるプラットフォームビジネスは、働く人の労災補償が確定されない以上は早急に規制されるべきでしょう。来年がそうなることを、政府には期待します。

それでは、皆様、よいお年をお迎えください。

 

公務員と酒(2)

(関ケ原古戦場跡に咲くコスモス・岐阜県関ヶ原町、by T.M)

谷口一刀氏を悼む

私がよく訪問するサイトに「chakuwiki」というものがありました。ここは、「wikipedia」のパロディーのようなサイトで、色々な「ワード」について、誰もがその説明を書き込むことができますが、ユーモアを交えた投稿が掲載条件でした。なかでも「ご当地の噂」は傑作ぞろいの書き込みが多く、私は、自分の住居の横浜市上大岡周辺の噂や近隣都市の評判を暇に飽かせては読んでいました。このように読者に書き込みを許すサイトは「荒れる」ことが多いのですが、ここは管理人がしっかりしているので、いつも知的で楽しい書き込みを楽しめました。

そんなサイトが急に12月初めからアクセスできなくなってしまいました。調べてみると、このサイトの管理人は谷口一刀という40代のウェブデザイナーの方であり、今年の7月に亡くなられて、約20年間続いていたサイトが閉鎖してしまったものだと分かりました。

「chakuwiki」のユーモアでどれだけの者が楽しみ、勇気づけられたことかは、ひと月300万回を超えるアクセス数が証明しています。因みに、これだけのアクセス数がありながら、サイトの中に広告のような者はなく、管理人にはサイトからの収入が一切なかったものと思われます。

そんな素晴らしいサイトを運営していた谷口一刀氏に、敬意と哀悼の意を表すとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。

さて今回は、前々々回に記載した「公務員と酒」の続きです。反響があったもんでやります。(要するに、知合いから「あんなこと書いて大丈夫か」という忠告と、「昔一緒に働いていた人に悪くない」という意見の2件があったもんで、反響があったと判断しました。)

何度もこのブログで書いてきたように、私がこのブログを書く目的のひとつは、労働行政の最前線に立つ労働基準監督署の職員にエールを送るためです。だから、逆に現場の職員の士気や誇りを挫く者は、厚生労働省の幹部であろうと、労働組合の者であろうと、外部の者であろうと、遠慮なく批判します。

私が、公務員の飲み会がいやなのは、「それに出席することが仕事だ」なんぞという説教たれる、勘違いしている者がいることです。職場のコミュニケーションを取ることは大切なことです。しかし、仕事中に個人的な感情を捨て、「報連相(ホウレンソウ)」を行うことは当然なことであり、それが必要なコミュニケーションと言えるでしょう。

労働局や監督署では、「飲み会が仕事」という感覚が蔓延してますから、その仕事の段取りをする人も決められています。小さな課制署では庶務係、大きな方面署では業務課長、労働局では課長補佐等がその役をします。そして回りの者は、その担当者が宴会の支度をするのを当然だと思っています。担当者が宴会好きならまだしも、自分が飲むことをそれほど好きでない人にとっては、それは決してやりがいのある「仕事」ではなかったと思います。辛そうに「宴会」の準備をしていた庶務の方を思い出すたびに、頭が下がります。

そんな役所の体質に、一人反乱をした者がいます。誰かというと、私です。監督官は、退職するまでに、そういう「宴会」を準備する役につかない者もいますが、私は2度ばかりついています。40代前半で某労働局の監督課の末席にいた時と、50代前半で、これもまた某労働局の安全課にいた時です。

監督課にいた時は職場放棄を1回そのことでしています。労働局の基準部の幹部職員が宴会をやった後で、その会費を私に集めて来いと上司である監察官から言われました。私は次のように答えました。

「何で私が、出席もしていない宴会の会費を集めて来なければならないのですか」

監察官は次のように私を叱りました。

「仕事なんだから集めてこい」

この「仕事」という言葉に私は切れました。私は「仕事」というものは、税金で給料が支払われているものだと思っています。公務員どおしの飲み会、それも内輪だけの会(いわば部下が上司にゴマするための会)が仕事になるはずはないと思っています。

私は監察官に、

「今日は気分が悪いから帰る」

と言って、有給休暇取得の手続きをしないで、その日は帰宅しました。職場放棄した訳です。私は頭を冷やして、次の日に出社しましたが、「職場放棄」については不問に処されました。そして、「会費を集める仕事」というのは、その監察官がしていました。

私は、正々堂々と人事上の「処分」というやつを受けてやろうと思っていましたし、その時に一緒に、「勤務時間中に出された宴会の費用を集めて来いという命令」を問題とするつもりでした。でも、監察官の上司である課長は、事実関係を把握していて、私に「職場放棄」の注意さえ与えませんでした。(でも、これって、私が「職場放棄」した時間の給与をもらっているんだから、何の処分もしないことは、おかしいことですよね。)

要するに、みんな分かっているんです。「宴会」を「仕事」と称することはヤバイことであることを。

でも何で、監察官は私に、「頼むから、宴会の会費を集めてきてくれ」と言えなかったのでしょうか。それなら、別に私も集めてきたのに・・・。

公務員にとって、「飲み会」や「宴会」が仕事となるのは、国家公務員倫理法の届け出をした上で、外部の人間と会食する場合だけです。

この「飲み会と公務員」の話題は、今後も時々やるつもりです。

コロナと派遣労働者(2)

(竹中半兵衛の像・岐阜県垂井町、by T.M)

年の瀬も迫りつつありますが、皆様はどうお過ごしでしょうか。私はネットフリックスに再加入しました。これで年末から正月にかけて、映画三昧・ドラマの一気見の準備も整いました。完全巣ごもりの準備万端です。

さて、「GOTO―」についてですが、コロナの第三波との関連性はまだ不明だそうですが、ひとつ分かっていることは、最前線で働く医療関係者の士気を挫く制度であるということです。今春以来、寝る間を惜しんで戦ってきた医療関係者の前に、「GOTOで安かったから旅行にいったら感染した」「GOTOを利用して宴会をしたらクラスターが発生した」という患者が多数現れたとしたら、最前線の者たちはどう思うでしょうか。
彼らには誇りがありますから、患者を責める言葉は決して口にしないでしょう。だからこそ、政府は医療関係者の士気を思い、「GOTO―」に対し思い切った見直しをすべきではないでしょうか。(もっとも、政府はそんなことは承知していて、あえて「経済」のことを優先させているのでしょうか)

今日は先週予告したように、派遣労働制度の抱える「闇」の話です。

例えば、使用者は、残業命令を拒否した労働者を懲戒解雇できるでしょうか。この事案について、有名な「日立武蔵工場事件」という裁判がありまして、平成3年に最高裁から判決が下っています。結論は
① 36協定の締結
② 就業規則に残業があることの記載
③ 合理的な残業命令であること
この3点が揃っていれば、残業を命令した労働者への懲戒解雇は有効であるということです。

36協定とは労働基準法第36条に基づく労使協定なので、そう呼ばれています。その職場の労働者の過半数で構成される労働組合か、労働者の過半数を超える者の代表者が、その職場の使用者と協定を締結し、「1日何時間残業するか」「ひと月何時間までの残業が可能であるか」「一年間に最大何時間まで残業できるか」を決めるものです。つまり、36協定の締結をすることにより、労働者は自分たちが選んだ代表を通し、自分たちの残業時間をコントロールすることができるのです。「36協定制度の形骸化」なんてが言われていますが(確かにその通りですが)、労働者代表を選んで36協定を締結するということは、とても大事なことです。

派遣労働者(特に「登録型派遣労働者」)は、この労働基準法第36条を無視して残業をさせられている現状があるのです。派遣労働者の36協定は「派遣元」で締結されています。派遣元は、「派遣労働者」を含む労働者から労働者代表を選んでもらわないと36協定が締結できません。ところが、派遣労働者たちは、それぞれ別々の事業場に派遣されていますので、お互いに面識はなく、自分以外の労働者がどこに何名くらい派遣されているのかは知らないので、自分たちの代表を選出することが物理的に不可能なのです。また、自分が労働者代表に立候補しようとしても、他の労働者に呼びかける方法もありません。

それでも、毎年1回必ず派遣元から36協定が労働基準監督署に提出があります。そこに記載されている労働者代表は、派遣労働者でなく、ほとんど(というか私の知る限り「全て」)派遣元の事務員です。これは、派遣元が登録型派遣労働者を雇用するときに、派遣労働者から、36協定をそのような処理をすることの承諾を得るからです。これで確かに36協定の法的な要件は具備しますので、法律的には問題がなくなります。

でも、これっておかしいでしょう。そもそも、36協定の労働者代表って、労働者からの意見を取り上げる人のことですよ。優越的な立場にある派遣元の事務員が、選挙をやる訳でもなく、個別に派遣労働者の意見を求めてそれで終わりってことはどうもおかしいことです。

もちろん、これは派遣元事業場が悪い訳ではありません。彼らは、何とか法を守ろうとして、このような方法を取っているだけです。悪いのは、このような無意味な法制度が残っていることです。
「派遣労働者の残業時間については、労働契約時の労使合意による」とでも規定しておけば、なんら問題はないのです。

派遣労働者(特に「登録型派遣労働者」)は自らの代表を選挙することができないから、自らの残業時間を管理できる法的手段をなくしていること、この実態については、関係者なら誰もが気付いています。でも、誰も何とかしようとしていないから、こんな個人ブログで愚痴るのです。

 

コロナと派遣労働者(1)

(山神の碑・栃木県田代山林道入口、by T.M)

先日、ショックなことがありました。私の知人が派遣切り(派遣先から派遣元への契約解除)にあったのです。コロナ禍による人員削減のあおりを受けてのことです。彼女は常用型派遣社員なので、これを機に有給休暇を消化して、少し気分転換をするとのことです。同じ派遣でも、「無期雇用常用型」と「登録型」では影響度が格段に違いそうです。

私が、監督官になった昭和59年から退職するまでの32年間には、色々なことがありました。バブルが絶頂になったかと思うとその崩壊。阪神淡路大震災とリーマンショック。そして、東日本大震災です。

社会の労働者を取り巻く環境も大きく変化してきました。と言うより、悪くなる一方のような気がします。その中でも、最も大きな変化は「派遣労働者」の登場かもしれません。派遣法自体は1985年に成立していますが、1999年の「派遣対象業務の原則自由化」と2004年の「製造派遣解禁」が転機となりました。

特に2004年の製造業派遣解禁はショックでした。それまで、労働基準監督官は「労働基準法第六条 何人も、法律に基いて許される場合の外、業として他人の就業に介入して利益を得てはならない」(中間搾取の禁止の条文)」の遵守を企業に呼びかけ、場合によっては当該法違反について書類送検をしていました。その監督官の目の前に、突然に「派遣労働者」という人たちが登場したのです。当時は派遣元も法律を分かっていないせいか、大手派遣会社であったとしても「データ装備費」等を賃金から控除するといった、とても恥ずべき法違反を犯していました。労働基準法遵守の優良雇用先と思っていた製造業の大企業に、そのような労働基準法違反を行う企業の被害労働者がいることが信じられなかったのです。

ただ、製造業における派遣労働者の存在は、それでも「多様性のある雇用」のためという建前でなんとか理解しようと思いましたが、私が驚いたのは「登録型派遣労働者」という雇用形態が表れたことです。

「派遣先が決まったら雇用する。派遣先から契約が切られたら契約終了」

こんな就業形態って何?というのが私の感想です。昔は派遣先が、労働契約期間を定め直接雇用をしていました。そのため、企業は派遣元に支払う分を労働者の賃金に還元できたのです。

のような就業形態を認めることは、ハローワークの業務放棄であり、厚生労働省の考えがわからないと当時は思っていました。そして、私の想像を超えることが起こりました。私が労働相談に乗った多くの労働者たちが、この雇用形態を当たり前のことだと思いだしたのです。なかには、この制度は「便利だ」という考えもあるようです。

先日、カミさんが観ていた韓国ドラマを眺めていたら、こんな場面がありました。派遣先から、契約を切られた女性派遣労働者が派遣元に行って、担当者を問い詰めています。

「なぜ、私が派遣先に嫌われたのか、あなたが行って聞いて来い」

カミさんは、ドラマを観ながら私に言いました。

「韓国の人って、アグレッシブルよね」

私は答えました。

「韓国の人がアグレッシブルかどうかは知らんけど、これが派遣労働者が取るべき正しい態度だ」

登録型派遣労働者の方はおとなし過ぎます。「派遣元と派遣先が締結した派遣契約」と「派遣元と労働者が締結した労働契約」は別ものです。私が受けた多くの労働相談で、派遣労働者は派遣元から「派遣先から契約が打ち切られた。労働契約は派遣契約が終了したからこれで終わり」と言われて引き下がっていた人が多くいました。このケースは違法な解雇となる場合が多いのです。

遣労働者の方、年末に向かいもし派遣切りに会ったら、一度労働局に相談してみて下さい。もしかしたら、いいアドバイスが頂けるかもしれません。

次回は、派遣業界の最大の問題点、「労働組合の設立」及び「労働者代表の選出方法」について書きます。