4年たちました

( サクラ・相模原林間公園、by T.M)

おかげさまで、当該ブログが4周年を迎えることができました。
4年前は、私が役所を辞めたばかりで労働安全衛生コンサルタント事務所を立ち上げた時でした。当時は週2回の更新をしていましたが、毎日のアクセス数が10件前後でして、どうなるかと思っていました。現在は、まだまだ弱小ブログですが、それでも週1回更新で、毎日400~600前後のアクセス数はあります。

よく「ブログを続けることで、どのくらい収入がありますか」と聞かれます。私のブログは広告等を掲載していませんので、そのような収入は一切ありません。毎月、レンタルサーバー業者に1100円を支払っています。

「何のために、ブログを続けるのか」と聞かれると、けっこう困るのですが、趣味が半分、いざという時の「すべり止め」が半分というところでしょうか。

このブログを初めてから、アクセス数が1日100件を超える頃になると、色々なところから仕事が舞い込むようになりました。企業からの安全講和の依頼、弁護士先生からの法律相談、雑誌からの執筆依頼、マスコミからの取材等々です。それらは2年半前に、私が今の職場に勤務するようになってから、断るようにしましたが、今でも時々は、色々な方から相談のメールを受けます。

正直に言って、このブログを続ける一番の理由は、「いつかまた、独立するかもしれないので、それまで名前を覚えていてもらおう」という意図です。
今の職場は、非常に居心地がいいし、給与もそこそこもらえるし、労働時間はけっこう自由だし、何より「会社の看板」でレヴェルの高い仕事ができます。そんな訳で、今のところ退職の予定はないですが、人間明日は何が起きるかわかりません。
そんな訳で、今後とも「労働問題」に係る情報を、私の独断で、今後とも緩く発信していくつもりですので、よろしくお願いします。

さて、本日は最後に、前回のブログで触れた「森友事件関係の財務省職員の自殺(公務災害)」について、少し補足します。私は前回の記事で、裁判は遺族の求めている「佐川氏が事件の全貌を明らかにする」ところまではいかないだろうと書きました。

ある人から、その件で質問されたので、それを少し詳しく説明します。ただし、これから記載することは、「労災事故の裁判を、労働基準監督官という立場で、少し見聞したことがある者」が、自分の経験の範囲で述べることです。私は、系統だった民法の勉強をしたことはありませんので、その辺は割り引いて読んで下さい。

民法第709条
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う
民法第715条
1 ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。
2 略
3 前二項の規定は、使用者又は監督者から被用者に対する求償権の行使を妨げない。

この2つの条文が、労災事件における損害賠償の基本となります。問題は715条の「被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。」という箇所と、その次の「、使用者又は監督者から被用者に対する求償権の行使を妨げない」という箇所です。

この2つの条文から、今回の裁判では
「自殺した職員への損害賠償は国が遺族に全額支払いなさい。佐川氏が不法行為をしていたというなら、国が佐川氏に、国が遺族に支払った部分の金銭の請求をしなさい」
ということになるのではないでしょうか。
民間企業の損害賠償事件では、これで終わりとなります。多くの労災事件では、例え職員に不法行為があって労災事故があったとしても、取敢えず会社が、被害者遺族に損害賠償を全額弁済することは合理的なことだと思われます。

もちろん、それが今回の「森友事件」のような特殊の事件に該当してよいかどうかは問題ですが、遺族の真の救済は、やはり遺族の求めているように「第三者委員会」による事実調査しかなく、民事裁判では限界があると思います。

もちろん、遺族側弁護士はそれを承知で、「第三者委員会設立」のための世論の喚起を目的として裁判を起こしているとは思います。

人事異動について

(京急線沿いの桜並木・三浦海岸〜三崎口、by T.M)

先日、ある地方労働局に勤務する友人と飲食を共にしました。その地方労働局では既に人事異動の内示があったということなので、その友人から詳細を聞こうとしたのですが、外部公開まだだからと口が堅く、まったく教えてもらえませんでした。逆に、その友人は私に尋ねました。
「退職して4年にもなるのに、まだ前職の人事に興味があるのですか」
この質問に、思わず私は苦笑してしまいました。
確かに、役人にとっては人事は年に一度の最大のイベント。昔の根性が抜けないと言ったら嘘になります。
それから、友人とは役所における人事の奇妙さについての話題で盛り上がりました。

さて、森友学園事件の公文書偽造問題で自殺された近畿財務局職員についてです。私も、亡くなられた職員の遺書が掲載された週刊誌を読みましたが、公務に追われ精神の均衡を失っていく様子が生々しく記録されていました。私は、この件について友人に次の質問をしました。(彼は、労災の問題に精通しています。)
「この事件は、既に公務災害として認定されている。今回、遺族からが、今後の展開としてはどうなるだろうか?」
(注) 「公務災害」とは、公務員における「労働災害(労災)」のこと。

友人は、次のように回答してくれました。
「財務局が早期に公務災害として認定したことは、少し意外な気がする。公務災害として認めることは、彼の死についての、国の安全配慮義務違反としての責任を認めていることになるからだ。でも逆に言うと、彼の死を公務災害として認めてしまったことで、損害賠償を支払う口実を作ったことも事実だ。国が損害賠償を支払ってしまえばそれで終了する。遺族としては、それで終わりにしたくないので、元上司の佐川氏を、国とともに被告に加えたのだろうが、佐川氏がダンマリを通したとしても、裁判所は国の責任だけを認めるのではないかな」

確かに、通常の労働災害の裁判としては、個人と会社に損害賠償を求めたとしても、会社側だけに損害賠償を認めるケースが多いような気がします。国としては、遺書があることでもう逃げれないと覚悟し、「公務災害」を認定することで、次善の手を打ったのかなと思いました。

それにしても、この職員が自殺した直接のきっかけとなったのは、文書偽造を行った他の職員はすべて人事異動で他の職場び配置転換となったのに、彼だけ後始末を押し付けられるように、その部署に留められたことでした(と週刊誌の記事では読めます)。
人事は人を殺す。
確かに、その様なことはあるなと友人と酒を飲みながらしみじみと思いました。

赤木俊夫様のご冥福を祈ります。

医療崩壊

(カステラの文明堂総本店・長崎、by T.M)

本日は近況報告から。

私の勤務する会社でも、コロナ対策として在宅勤務が始まりました。私は、先週の月曜日に会社に行きましたが、次に行くのは今度の木曜日です。つまり、中9日間での出勤となる訳です。

この中9日間のうち、4日間は自宅から直接に、お客様の工場に労働安全指導に行きます。直行直帰というやつです。ですから、中9日間のうちに土曜日・日曜日を挟みますから、残り3日が在宅勤務となります。

在宅勤務というものは、やってみると、通勤がない分楽なだけで、業務量は変わりません。勤務開始の朝9時と、終了の午後5時に会社に連絡をいれますので、その間はパソコンの前に座りっぱなしですし、在宅勤務明けには、自宅で何をしてたのかの報告書を会社に提出しなければなりません。

在宅勤務の業務中に私的行為がまったく入らないかというと、それは嘘になります。コロナ関連のテレビを付けっぱなしで仕事をすることがありますし、猫が仕事の邪魔をしにくることが時々あります。作業しているパソコンは、情報漏洩防止のため、会社から持ってきたものですが、それが猫の毛だらけになってしまいました。返す時にどうしようかと悩んでいます。

3月の仕事は、前述の工場訪問4件だけになってしまいました。安全講演ひとつ、安全診断2つ、法定教育ひとつが中止となりました。
工場訪問4件のうち2件は遠方の工場で、茨城県と群馬県にあります。そこでの、私が講師となる安全昼礼は中止になりました。この両県は、まだ発症者数は少数(特に、茨城県は3月14日現在でゼロ)ですので、安全昼礼ぐらい大丈夫じゃないかと思いましたが、「先生(私のこと)が問題です」と言われてしまいました。この両県の工場にとって、横浜からの訪問者である私は、充分にコロナの感染リスクの脅威者になるようです。

さて、多くの医療関係者が、コロナ感染となっているとの報道がありました。また、医療崩壊が現実に発生する可能性の指摘があり、現在の医療機関のマスク不足はその第一歩ではないか、とても不安な気がします。

このような報道に接すると、監督官時代に、3.11の後である医者からこう言われたことを思い出します。
「大きな災害が発生した時に、医者はまず自分の命を守らなければならない。医者が無事なら多くの命を救える。」
この言葉を最初に聞いた時は、医者という人たちは随分傲慢なのだなあと思いました。

でも、最近になって、この時の医者の言葉は、非常時にあって、人命を救助することへの覚悟の現れであることが理解できました。
現場で働く、医療関係者の方の無事を祈り、敬意を表したいと思います。

パンプス?

(伊豆の踊り子像・伊豆湯ケ島温泉、by T.M)

次のような新聞記事を見つけました。

安倍晋三首相は3日午後の参院予算委員会で、職場で女性にハイヒール着用を強制しないよう求める運動について問われ、合理性を欠くルールは許されないとの見解を明らかにした。小池晃氏(共産)への答弁。
  日本では女性のハイヒール強制反対を訴えた「♯ KuToo」運動が会員制交流サイト(SNS)などを通じて話題になっていた。安倍首相は職場での服装に関しては、「パンプスの着用を強制するような、苦痛を強いるような合理性を欠くルールを女性に強いることは許されないのは当然のことだ」と言明した。
  ただ、個々の企業のルールについては「適否を政府として一概に判断することは難しい」と述べ、まずは関係法令の趣旨も踏まえ、労使で話し合うことが重要だと述べた。

恥ずかしいですけど、この国会の論争の意味が、私には何のことか分かりませんでした。
そもそも「パンプス」って、何ですか?
「ファッション」とか「お洒落」という言葉とは縁のない人生でした。もはや死語となってしまいましたが、「ダサい」人生を60年おくってきたもので、その辺の言葉は分からないのです。

「#KuToo」運動というのは、「#MeToo」運動と類似する運動のようだと思いますから、差別とハラスメントを問題としたものだと思います。
多くの差別は、「無知」と「偏見」から発生することは、多少は分かっているつもりです。「無関心」についてはさらに悪いものなのでしょう。
でも、「目の前にいる女性が、パンプスをはいているかどうか分からない」という者が、何が「差別」かが理解できるでしょうか。
この国会答弁についても、男性である安部首相の答弁だけでなく、質問者の男性の小池氏も、どれだけ切迫感をもっていたかと疑問に思います。

最初に、「#KuToo」運動の話を聞いた時に、
「パンプスでの通勤は危ないということだが、通勤の時は別の靴で行って、職場で履き替えればいいじゃないか。建設現場では、普通に安全靴に履き替えるけど」
と思いました。

こんな感想をある人に言ったら、次のように叱られました。
「職場で安全であるかどうかが問題なのだ。また、多くの職場の安全衛生委員会では、それが形骸化してしまっていて、女性のパンプスの問題が話せる機会がない。つまり、問題提起されるシステムがなく、当事者の話を誰も聞かないことが問題なんだ。」

なるほど、この説明なら、頭の固い元役人でも理解できると思いました。

(注)「安全衛生委員会」(あるいは、業種によっては「衛生委員会」)とは、労働安全衛生法により規定された、従業員50人以上の会社が設置すべき委員会。委員の半分は、過半数の労働者を代表する者から構成される。ひと月に1回以上の開催及び、その議事録の開示が義務付けられている。
本来、「パンプス着用の職場で必要性及び安全・健康の確保」は、この委員会で検討されなくてはならない。
「従業員50人以上の会社」の「従業員数」の中には、「派遣社員」「パート労働者」も含まれるので、当然、その方達の意見も聞かなければならないが、多くの職場では、この安全衛生委員会が機能していない。
また、従業員が50人に達しない事業場で、従業員の意見をどうやって吸い上げていくかが、労働安全衛生の課題である。

 

労働組合と災害派遣

(旧出島神学校・長崎、by T.M)

今週もコロナウィルスの話です。
現在、地方労働局レベルで、今回の騒動の対策のために、色々な支援をしているようです。
具体的に言うなら、幹部職員を中心に、本来の業務以外の部署に派遣され、専門部隊である医療関係者が業務をしやすいようにお手伝いをしているようです。

この非常時にこのような措置は当然のことだと思います。

ただ、別の部署の私の友人は、こんなことを言っていました。
「誰かが手伝いに行っているということだが、誰がどこに行っているのかが、情報としては公式に流れてこない。私も、できれば何か手助けに行きたいのだが・・・」
この友人は、東日本大震災の時も、真っ先に手を挙げて、被災地の監督署に行ったオッチョコチョイですが、頼もしい男です。

私はこの友人に次のように答えました。
「現在は、大規模な支援ができる体制がまだ整っていないのだろ。東日本大震災の時と違い、今度は見えない敵だ。人海戦術が使えるかどうかは分からない。また、現場に派遣した職員が風評被害に合う可能性がある。だから、業務内容についても公にできないし、管理職が率先して行くのは道理に合っている。それに、労働組合が組合員を派遣することには反対するだろ。

さて、話は変わり労働組合のことです。

Wikipedia での「イラン・イラク戦争」の解説記事にこんな一文があります。
1980年に戦争勃発後、イランの首都テヘランからの在留邦人脱出の時の話です。長くなりますが、引用します。

イランに住む日本人以外の外国人はおのおの自らの国の航空会社や軍の輸送機によって順次イランから脱出していった。ところが、日本においてはそうではなかった。ただちに日本航空にチャーター便の派遣を依頼したのだが、同社のパイロットと客室乗務員が組織する労働組合は、組合員の安全が保障されないことを理由にいずれもこの要請を拒絶した。いまだ200名を超えるイラン在外日本人が全く脱出方法が見つからずに、生命の危機に瀕する状況にあった。
なお当時の自衛隊法は、自衛隊の外国における活動を人道目的を含めて想定しておらず、また、イランまでノンストップで飛行できる航空機が配備されていなかったため、自衛隊を派遣するのは事実上不可能だった。
だが、土壇場で個人的な親交に一縷の望みを託した野村豊在イラン日本国特命全権大使がイスメット・ビルセル在イラントルコ特命全権大使に救援を要請したところ、トルコ政府が応じ、ターキッシュ・エアラインズの自国民救援のための最終便を2機に増やしたため、215名の日本人がそれに分乗してイランを脱出した。タイムリミットの1時間15分前だった。
なお、トルコ機は自国が近隣に位置することから陸路での脱出もできる自国民よりも日本人の救出を最優先し、実際この救援機に乗れなかったトルコ人約500名は陸路自動車でイランを脱出した。このようなトルコ政府とトルコ航空の厚情の背景には、1890年(明治23年)日本に親善訪問した帰途、和歌山沖で遭難したフリゲートエルトゥールル号救助に際し日本から受けた恩義に報いるという意識もあったと言われている。
2015年、日本・トルコ修好125周年を記念し、エルトゥールル号遭難事件とテヘラン邦人救出劇を描いた映画『海難1890』が日本・トルコ合作映画として製作された。

労働組合が、邦人救出を断ったのは日本の労働組合史に残る汚点だと思います。この時に、会社が、組合を通さずに直接にパイロットや客室乗務員に呼びかけたなら、志願者は必ずいたはずです。どこの会社でも、自分の職務を通して、社会貢献している実感を得たい人は一定数います。

さて、全労働(労働局内の過半数労働組合)は、大きな災害への職員の派遣について、常に消極的であったという歴史を持ちます。阪神・淡路大震災では当局への協力を拒み、東日本大震災では、
「志願者が行くことは反対しないが、強制されることは許されない」
と述べていました(まあ、確かにこれはあたり前のことですが・・・)
今回のコロナ騒動では、労働局の職員を含めた厚生労働省の全職員が、何かに立ち向かわなければならないこともあると思います。
その時に、「職員の安全確保」を訴える労働組合の存在は必要です。しかし、それをやり過ぎて、「職員のやる気」に水を差さないようにして頂きたいものです。