労働災害が起きました(終)

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(M氏寄贈、夕暮れの大山とポルシェ)

爆発災害から1年も過ぎようとした、ある春の日のことである。
新監は二年目監となっていた(名目上「新監」と呼ぶ)。
その日、私と新監はいつものように「おはよう」と挨拶をすると、何となく世間話となった。私は前日の飲み会の話をした。
「昨日、同期の飲み会があったんだけど、ほらYK署の私の同期のH田一主任なんだけど、彼の部下に、君の同期の女性監督官のYさんがいるだろ。彼女って、すごく有能で、美人で性格もよく、彼女がいると職場が明るくなるそうだ。それを聞いて、私はH田が羨ましくなったよ。私もYさんのような部下が欲しいな。」
それを聞いていた、新監は一瞬険しい表情となったが、すぐに元の表情となり、応えた。
「私の同期でそんなに優秀な方がいて、私も誇らしいです。いつもお手本にしています。ところで一主任、今日のファッション決まってますね。」
私はその時に、前日から着続けている980円のTシャツの上に、これもまた1週間は着替えていない上下の作業服と、作業用のスニーカーを身に着けていた。
作業服は着古してあり、「厚生労働省」のエンブレムは剥がれてしまい、正体不明の上着となっている。この服装はいつものことで、私が職場近くの公園のベンチで昼寝をしていると、京浜工業地帯の風景に溶けこみ、ナチュラルな雰囲気を醸し出す。私は、作業服の下に着ている垢じみたTシャツを指して答えた。
「ありがとう。服装のことを褒められたのは、生まれて初めてだ。カミさんには、いつも『清潔な服を着ろ』といって怒られるのだが、私の感性を理解してもらってとても嬉しいよ。」
私と新監の近くに、たまたま庶務担当の女性のSさんが来て、この会話を聞いていた。彼女は新監と年齢が近く、美しく聡明で、そして常識人だった。なぜか顔を強張らせ怯えていた。
そんな和やかな雰囲気の中で、監督署の1日が始まった。

その日の午後のことだった。
監督署のドアが開くと、なんとそこには、あの事故の被災者と工場長がニコニコしながら立っていた。私は思わず駆け寄った。
「今日は。退院したんですか」
工場長さんは答えた。
「おかげさまで、ひと月前に退院しました。それから、自宅でリハビリを実施していましたが、昨日から出社しています。今日は、ご心配をおかけしたので、挨拶に伺いました。」
私は、被災した彼にも尋ねた。
「大丈夫か。海にはいけるか」
彼は答えた。
「ハイ、来月には、久しぶりに潜ってみるつもりです。それから、秋には、初めて船に乗ります。」
「そう、それは良かった」
私は新監を探した。新監は部屋の奥で来客者と難しい話をしているようだった。
「あれが、例の担当者なんですが、ちょっと呼んできますので・・・」
彼は私を止めた。
「いいんです。ありがとうございましたとお伝え下さい。」
彼は、ほんの一瞬だが来客対応に夢中の新監の姿を確認すると、一礼し部屋を出て行った。

30分後に来客対応を終えた新監が私のところに来た。
「さっきの人は、どなたですか。」
「ほら、例の事故の被災者。もうすっかり治って、職場復帰したそうだ。それだけでなく、秋には船に乗り、海洋工事に行くそうだ。」
「それは良かったです。ヘェー、あんなカッコいい人だったんだ・・・」
私は新監に、「君に会いに来たんだ」と教えてやろうかと思ったが、また自惚れると思い辞めた。その替わりに、久々に上司らしい一言を発した。
「これで、災害調査終了。よくやった、ごくろうさん。」
新監はキョトンとして、私の宣言を聞いていた。私は、自分が少し意地悪かもしれないと思った。

(終り)

労働災害が起きました(18)

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(M氏寄贈、広瀬川)

私は、新監と実施した実況見分の様子を説明した。
「本当は新監を災害調査に連れていくなんて早いと思ったんだけど、教育のためにぜひ連れていってくれと署長から頼まれたから、仕方なく連れていったんだ。実際に行ってみると、クルマの運転は下手だし、カメラは使えないし、図面は滅茶苦茶だし、飲み込みは悪いしで苦労したよ。まあ、新人だから仕方ないけどね。
今は、毎日生き生きと仕事をしているよ。パソコンが詳しいところだけが取り柄で、他はまだまだ未熟だけど一生懸命だ。よき仲間と、優秀な上司に恵まれているのが幸いなんだけどね。」

それから、私たちは打ち解け、色々なことを話した。彼の家庭環境のこと、彼がどうして今の仕事を選んだかということ、彼が今夢中になっているもの、彼が好きなアイドル等々。

そして、事故のことも聞けた。あの日、彼が先輩からどういう指示を受けたか、そもそも爆発したドラム缶にかつてガソリンが入れられてあったことの認識を持っていたかどうか。作業標準はあったか等
そして、一番聞きたかったこと、「労災事故の被害者として、会社を処罰して欲しいかどうか。」という質問について、「処罰は求めない」との回答は得た。

私は彼に対し、早期の職場復帰を祈っていることを伝えながら話した。
「役人として、余計なことかもしれないが、ひとつ言わせてもらうけど、色々な会社を見てきたが、君のいる会社はいい会社だよ。いつかは辞めるかもしれないが、君は今いる会社で、技術を学び、キャリアを積んだ方がいいと思う。君の志が、このような事故で負けてしまうことは惜しいと思う。」
私は、最後にこう付け加えた。
「元気になったら、監督署においで、新監を紹介するよ。」
彼は黙って聞いていた。

監督署へ帰ってくると、新監とM安全専門官が、キャッキャと笑いながら、業務の検討をしていた。私は、その屈託のない様子を見ながら、同じ社会人の第1歩目で、長く入院生活をおくる者と順調に歩む者がいることは、やはり何か不公平な気がした。

労働災害が起きました(17)

%e5%a4%a7%e6%9c%88%e5%b8%82%e3%83%bb%e7%8c%bf%e6%a9%8b (M氏寄贈、大月市・猿橋)

私はこの若者をどうやって元気づけようかと迷った。
「事故じたいは運がなかったんだよ。こんなこと滅多にないよ。」
「会社も社長さんもいい人じゃないか。事故が起きたからといって、こんなに従業員のことを心配する会社はないよ」
「君は夢をもって就職したんだろ。海洋開発なんて、素晴らしい仕事だよ。うらやましいな。君は夢に向かって努力して、一生懸命勉強して、潜水士の資格も高校生の時に取得したんだろ。これは、凄いことだよ。」
「君がしっかりしないと、お母さんを益々悲しませるぞ。」
・・・・
どんな、慰めも励ましも彼には通じないような気がした。

私は話題を変え、災害発生状況の件について尋ねようとした。ベッドの上の簡易テーブルの上に実況見分時に撮影した写真を広げ、質問しようとしたが、彼はそれを嫌がった。
「そんなものしまって下さい。見たくありません。事故のことは思いだくありません。」
私は、自分の無神経さ恥じ、彼に詫びた。そして、写真を片付け始めるたところで、彼が1枚の写真を眺めていることに気づいた。
それは、新監が実況見分時に起点を指してる写真であった。

私は、もしかしたら、その写真から話のきっかけが作れるかもしれないと期待した。
「それ、うちの新人だけど、こちらの写真の方が大きく映っているよ。」
私は、新監が撮影されているもう1枚の写真を示した。新監は、借り物の大きすぎる作業服と安全靴、使い古したヘルメットを被り、いかにも現場に似合わない姿に映っていた。
「かわいいだろ。君のことを心配してたぞ。」
彼は、疑わしそうに言った。
「本当ですか。」
私は、説明した。
「彼女は君と同じなんだよ。君と同じ日に社会人になった。君が同期だから、今回の事故の件は、他人事に思えないそうだ。」
さらに、私は続けた。
「本当は今日一緒に来るはずだったんだが、どうしても抜けられない研修があって来れなかった。君が早く職場復帰できるか、とても気にしていたよ。」
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