優秀な新聞記者の話(1)

松田山からの夕暮れの富士山・松田町、by T.M)

私がギランバレーのリハビリに必死になっていた平成26年に、私にとって衝撃的なニュースが流れました。東日本大震災の時に、福島原発の作業員がパニックになり、職場放棄をし逃げ出したという記事でした。

私は、ベッドに横たわりながら、震災直後に石巻労働基準監督署で仕事をしていた時のことを思い出しました。当時、女川原発の作業員たちと話をしたことがありますが、誰もが未曾有の災害の後で、自分の職場を立て直すことに懸命でした。

(注:女川原発は福島原発と同様に津波の被害を受けましたが、なんとか大事故にならずに堪えました。しかし、震災直後は、内部は大きな被害を受け混乱していたそうです。)

私は、この記事の内容が信じられませんでした。いえ、信じたくありませんでした。原発で一生懸命仕事をしていた人たちが逃げたと思いたくありませんでした。でも、「とても苦しかったんだな」とも思いました。

しかし、その記事について、時が立つと捏造だという噂が立つようになりました。そして、その記事を掲載した新聞社が誤りを認めることになりました。

それ以来、私は新聞記事が以前ほど信じられなくなりました。

監督署に在職中に多くの新聞記者の方と知合いになりました。多くは、知的な常識人の方でしたが、中には、まさしく「記者ゴロ」という言葉が似合う、ユスリ・タカリのような言動をする方もいました。でも、小さな権力をカサに、ひどい態度をとる者がいるというのはどこの社会も一緒です。「警察」にもいますし、「検事」にもいます、「自動車教習所の教官」にもいますし、もちろん「労働基準監督署の職員」にもいます。

前述の誤報をした新聞社の記者さんたちにも、何回か取材を受けたことがあります。特に親しくなったのは2名ですが、お二人とも、質問の主旨が明確で、賢いだけでなく、誠実な方でした。会社という組織と、現場の記者さんの雰囲気は大分違うなと思います。

監督署の監督官と新聞記者との接点の多くは、法違反をした事業場の検察庁への事件送致の時の新聞発表です。

新聞発表とは、送検を行う検察庁を担当する記者クラブに送検内容を記載した文書を届けることです。記者クラブは、当番の記者1名を除き、他の記者は不在のことが多く、発表文を記者クラブに届けた後は、監督署の担当官はそのまま監督署へ戻り、各マスコミ機関からの連絡を待つことになります。(人が何人も亡くなった大きな事故の後で、記者会見をすることはありますが、大抵の新聞発表はこのような「投げ込み」となります)。

さて、その新聞発表の時に、私が出会った非常に優秀な記者さの話を書きます。

(続く)