お休みです

(渋沢栄一生誕地の玄関深谷駅、by T.M)

疲れました・・・

今日はブログを書きません。当ブログにお出で下さった方には、まことに申し訳なく思い、謝罪します。

コロナ禍が一息ついたと思ったら、いきなり仕事が増えました。先週は、企業の安全診断書を2件仕上げました。普通は1件ひと月の猶予が与えられていますが、私は1週間以内に完成させます。でも、仕事を終えれば終えるほど、次の仕事が入ってきます。給料は歩合制でないので、いくら忙しくても変わりません。

63歳の身にとっては、好きな仕事で忙しいのはありがたいのですが、きつすぎます。来週は火曜日に3時間の法定講習の講師をした後に、水曜日に新潟まで日帰り出張です。その準備のため、今週の土日曜日はつぶれました。

来年あたり、常勤雇用から非常勤雇用になろうかと真剣に考えています。

お知らせ

私の兄、小原 巧(オバラ タクミ)が金曜日(6月25日)に、腎盂癌のため死去しました。享年66歳です。弟からみても早過ぎる別れだと思います。

生前、兄とご親交賜わった方々にご報告するとともに、故人に代わりまして生前のご厚誼に対し御礼申し上げます。

当ブログは今週及び来週を休載とします。再開は7月11日からです。

アジャイル開発について(2)

(松田町の桜、by T.M)

今回は前回の続きです。前回までの粗筋は前回(↓)を読んで下さい。

2つの労働局の「アジャイル開発」に関する見解がまったく違っているので困惑していた私ですが、「アジャイル開発における短時間派遣を否定したB労働局」が説明する時に使用した「一連の作業」という言葉の意味に気づきました。

(注) 「アジャイル開発」チームが同じ場所で一緒に働いてフラットなコミュニケーションを行うことについて、正式な呼び名は知りませんが、この記事の中では「ミーティング」と呼びます。

要するに、ミーティングの中で、「指揮命令」が完結するのなら、「ミーティングの時間のみの派遣労働」という概念は成立するが、ミーティング後もそこで話題になったソフトウェアの開発に従事するなら、「一連の作業」が継続されることなり、「時間単位の派遣」でなくなってしまうということです。なるほど、これはB労働局の見解が正しそうです。

そんなことを考えていたら、I氏から、「内閣府の成長戦略ワーキング・グループ」の議事録情報が送付されてきました。同議事録の18ページからが、アジャイル開発に関する記録ですので、興味があることはどうぞ一読下さい。

https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kisei/meeting/wg/seicho/20210225/gijiroku0225.pdf

(注)この議事録を読んで分かったことですが、「時間単位の派遣」でなく「完全派遣」とすることができないのは、やはり「知的所有権」の問題があるようです。

さて、この「偽装請負問題」ついて「時間単位の派遣」という案が、B労働局の説明により難しくなったので、I氏にどのような意見を述べようか考えていたのですが、そもそもなぜ「偽装請負」に厚生労働省がいけないのかというのか、原点に戻って考えることにしました。

労働基準法第六条に「何人も、法律に基いて許される場合の外、業として他人の就業に介入して利益を得てはならない」とあります。「偽装請負」とは、本来直接雇用の労働者が受取るべき賃金を、間に入った事業場が「ピンハネ」(中間搾取)するからいけないのです。因みに、この条文の「法律に基づいて許される場合」とは「派遣法に基づく派遣」を指します。

中間搾取が一般化されると、多重請負の構図となり、最終的に労働者が低賃金ということになります。「福島県における除染作業で、東電が1日17000円の日当を支払っていたのに、多重請負が原因でピンハネされ、労働者には実際日当7000円しか支払われていなかった」という事件が数年前にも起こっています。

「アジャイル開発」を現在、推し進めようとしている方々は決して下請け労働者を搾取しようとは思っていないでしょう。また、「フラットなコミュニケーション」が使用従属関係になることは決してないと考えていないでしょう。

でも例えば、仮定として「アジャイル開発」については「偽装請負」については問題がないという結論が各行政機関からでたとしたら、必ずそれを悪用して「中間搾取」を企む輩がでてきます。厚生労働省はそれを恐れているのでしょう。

話は少しそれますが、「高度プロフェッショナル制度」という労働制度が2019年から実施されています。「働き方改革」の時に話題になりましたが、「高度な専門知識を有し、年間に1075万円以上の年収を得る労働者について、労働基準法に定める労働時間規制の対象から除外する仕組み」です。この制度は導入される時に色々な問題点が指摘されましたが、現在に至るまで、何か事件は発生していないようです(と私は理解しています)。どうやら「年収1075万円」という歯止めが事件発生を防いでいるようです。

世の中には、この「年収の壁」を「400万円に引き下げろ」と主張する経営者もいると聞きます。そういう経営者こそが「制度を悪用する者」と思えます。

さてアジャイル開発についてですが、「高プロ制度における年収1075万円の歯止め」のように、何か「歯止め」を設けることができないでしょうか。

労働行政に携わってきた者として言わせてもらえば、労働者に対し

  • 低賃金でないこと
  • 長時間労働でないこと
  • 雇用の継続性が確保されること

が保証されていれば、例え外形が「偽装請負」であっても問題はない訳です。

(注)あと他に、「④ 危険作業がないこと」「⑤ 社会保険が確保されていること」が必要ですが、⑤については会社員なら当たり前のことですし、④についてはソフトウェア開発では、労災認定事案の原因が「長時間労働」「高ストレス」「人間関係」等ですので、通常の労災事故はあまりないと思いますので、ここでは省略します。

日本における「アジャイル開発」を促進させるためには、如何にこの形態がソフトウェア開発にとって有益かを訴えるだけでなく、旗振り役の企業側が前述の「歯止め」を厚生労働省に提示できる方が、同省が作成予定の「Q&A」を待っているより早いと思います(「Q&A」がいつになるか分かりませんし)。これが、今回の問題に関する私の結論です。

明けましておめでとうございます

(秀吉の甥の秀次が築いた八幡堀・近江八幡市、by T.M)

明けましておめでとうございます。

新年に何か相応しい言葉はないかと思っていたら、次のようなものを見つけました。平成11年に茨城県東海村でおきた、株式会社JCOの「ウラン加工工場臨界事故」(2人死亡)の調査委員会報告書からの抜粋です。

A.安全性を向上させると効率が低下する
 B.規制を強化すると創意工夫がなくなる
 C.監視を強化すると士気が低下する
 D.マニュアル化すると自主性を失う
 E.フールプルーフは技能低下を招く
 F.責任をキーパーソンに集中すると、集団はバラバラになる
 G.責任を厳密にすると事故隠しが起こる
 H.情報公開すると過度に保守的になる
長期的視野に立って、原子力行政を考えるとき、これらの矛盾を解決しなければ将来はない。

これを読んだ時に、「事故白書」なのに洒落たことを書くなと思いました。そして、改めて読み返してみると、原子力の問題だけでなく、現代社会のすべての事案について言えるのではないかと思いました。

あまりに効率を重視するとマニュアル化を消化するだけの労働者が増え、「労働」はいつしか、単純労働派遣が多勢を占め、その人達の賃金は上がらず、所得の格差はなくならない。

では、どうしたら良いか。私自身にその答えが見つかるような年になるといいのですが。

公務員と酒(2)

(関ケ原古戦場跡に咲くコスモス・岐阜県関ヶ原町、by T.M)

谷口一刀氏を悼む

私がよく訪問するサイトに「chakuwiki」というものがありました。ここは、「wikipedia」のパロディーのようなサイトで、色々な「ワード」について、誰もがその説明を書き込むことができますが、ユーモアを交えた投稿が掲載条件でした。なかでも「ご当地の噂」は傑作ぞろいの書き込みが多く、私は、自分の住居の横浜市上大岡周辺の噂や近隣都市の評判を暇に飽かせては読んでいました。このように読者に書き込みを許すサイトは「荒れる」ことが多いのですが、ここは管理人がしっかりしているので、いつも知的で楽しい書き込みを楽しめました。

そんなサイトが急に12月初めからアクセスできなくなってしまいました。調べてみると、このサイトの管理人は谷口一刀という40代のウェブデザイナーの方であり、今年の7月に亡くなられて、約20年間続いていたサイトが閉鎖してしまったものだと分かりました。

「chakuwiki」のユーモアでどれだけの者が楽しみ、勇気づけられたことかは、ひと月300万回を超えるアクセス数が証明しています。因みに、これだけのアクセス数がありながら、サイトの中に広告のような者はなく、管理人にはサイトからの収入が一切なかったものと思われます。

そんな素晴らしいサイトを運営していた谷口一刀氏に、敬意と哀悼の意を表すとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。

さて今回は、前々々回に記載した「公務員と酒」の続きです。反響があったもんでやります。(要するに、知合いから「あんなこと書いて大丈夫か」という忠告と、「昔一緒に働いていた人に悪くない」という意見の2件があったもんで、反響があったと判断しました。)

何度もこのブログで書いてきたように、私がこのブログを書く目的のひとつは、労働行政の最前線に立つ労働基準監督署の職員にエールを送るためです。だから、逆に現場の職員の士気や誇りを挫く者は、厚生労働省の幹部であろうと、労働組合の者であろうと、外部の者であろうと、遠慮なく批判します。

私が、公務員の飲み会がいやなのは、「それに出席することが仕事だ」なんぞという説教たれる、勘違いしている者がいることです。職場のコミュニケーションを取ることは大切なことです。しかし、仕事中に個人的な感情を捨て、「報連相(ホウレンソウ)」を行うことは当然なことであり、それが必要なコミュニケーションと言えるでしょう。

労働局や監督署では、「飲み会が仕事」という感覚が蔓延してますから、その仕事の段取りをする人も決められています。小さな課制署では庶務係、大きな方面署では業務課長、労働局では課長補佐等がその役をします。そして回りの者は、その担当者が宴会の支度をするのを当然だと思っています。担当者が宴会好きならまだしも、自分が飲むことをそれほど好きでない人にとっては、それは決してやりがいのある「仕事」ではなかったと思います。辛そうに「宴会」の準備をしていた庶務の方を思い出すたびに、頭が下がります。

そんな役所の体質に、一人反乱をした者がいます。誰かというと、私です。監督官は、退職するまでに、そういう「宴会」を準備する役につかない者もいますが、私は2度ばかりついています。40代前半で某労働局の監督課の末席にいた時と、50代前半で、これもまた某労働局の安全課にいた時です。

監督課にいた時は職場放棄を1回そのことでしています。労働局の基準部の幹部職員が宴会をやった後で、その会費を私に集めて来いと上司である監察官から言われました。私は次のように答えました。

「何で私が、出席もしていない宴会の会費を集めて来なければならないのですか」

監察官は次のように私を叱りました。

「仕事なんだから集めてこい」

この「仕事」という言葉に私は切れました。私は「仕事」というものは、税金で給料が支払われているものだと思っています。公務員どおしの飲み会、それも内輪だけの会(いわば部下が上司にゴマするための会)が仕事になるはずはないと思っています。

私は監察官に、

「今日は気分が悪いから帰る」

と言って、有給休暇取得の手続きをしないで、その日は帰宅しました。職場放棄した訳です。私は頭を冷やして、次の日に出社しましたが、「職場放棄」については不問に処されました。そして、「会費を集める仕事」というのは、その監察官がしていました。

私は、正々堂々と人事上の「処分」というやつを受けてやろうと思っていましたし、その時に一緒に、「勤務時間中に出された宴会の費用を集めて来いという命令」を問題とするつもりでした。でも、監察官の上司である課長は、事実関係を把握していて、私に「職場放棄」の注意さえ与えませんでした。(でも、これって、私が「職場放棄」した時間の給与をもらっているんだから、何の処分もしないことは、おかしいことですよね。)

要するに、みんな分かっているんです。「宴会」を「仕事」と称することはヤバイことであることを。

でも何で、監察官は私に、「頼むから、宴会の会費を集めてきてくれ」と言えなかったのでしょうか。それなら、別に私も集めてきたのに・・・。

公務員にとって、「飲み会」や「宴会」が仕事となるのは、国家公務員倫理法の届け出をした上で、外部の人間と会食する場合だけです。

この「飲み会と公務員」の話題は、今後も時々やるつもりです。