私の出会った人たち(2)ー 石巻、あるいは美しき人たち

32年間の行政マンとしての人生で、一度だけ人前で涙を流したことがある。

2011年4月の石巻労働基準監督署でのことである。
その年の4月8日(土)、私は石巻に向かった。震災直後の石巻労働基準監督署の手伝いをするためである。
私はその20年ほど前に石巻労働基準監督署で勤務し、原発の安全確保等の指導をしていたが、土地勘があるので、神奈川労働局からの支援派遣要員第1号に選ばれたのだ。なお、交通手段と宿は自分で確保しろということだった。

石巻に行く日、リュックサックを背負い、作業服の私を妻が東京まで見送ってくれた。
まだ、鉄道は再開してなく、東京駅はバスで仙台まで向かう人でごったがえしていた。皆私と同じように大きな荷物を抱えていた。

石巻についた翌日(日)に、私は震災直後の石巻の街を歩いた。
街には何もなく、ガレキの山だった。そこいらへ、死者を悼む花が添えられていた。まだ、花屋はないらしく、多くが野に咲く花が手向けられていた。

翌日(月)から私は石巻署のカウンターに座り、大量な来客者の相手をしていた。
石巻署の正規職員は、署長を含め全員がクルマで外回り、手伝いの者は来客者の対応というのが、仕事の割り振りだった。

相談者の多くは、給料日が過ぎているのに給料がもらえないという相談だった。
会社も社長さんも津波で流されて、給料の支払者がいないのだ。労働基準法では、こういう場合は賃確という業務を行う。正確に言うと「賃金の支払いの確保等に関する法律」の施行事務である。つまり、天災等の緊急事態によって賃金が払われない場合は、国が労災保険の資金を遣って未払い賃金の立替業務を行うのである。この事業については、昔から不正受給が多く、「本当に事業が継続していないのか」「本当に未払いの金額は確認できるのか」等を慎重に調査をする。しかし、この震災の時に限っては、国は「速やかに事務手続きを行うこと」と方針を確定していた。それを受け、私は窓口で事務手続きを行っていた。

石巻署の手伝いを初めて2、3日くらいたってのこと、カウンターの私の前に4,5人の40~50代の女性たちが座った。話に聞くと、勤めていた水産加工場が津波で流されてしまい、給料が未払いであるとのこと。私は賃確の説明をした。すると女性たちは顔を見合わせ何か相談すると、一人が私にこう言った。
「おら、いらね。」
「えっ」。意外な反応に私は驚いた。訳を尋ねると次のように答えが返ってきた。
「立替払いっていうと、後で社長のところに請求がくるんでしょ。社長と会社は津波で流されてしまい、社長の奥さんは今、オラたちと同じ避難所にいる。その奥さんのところに後で請求がきたら嫌だから、オラたちはいらね。」
私は言葉を探した。何か話さなければならないのに、何も浮かばなかった。そして、涙が次から次へとあふれてきた。
最後に連絡先を聞くのがやっとだった。

悔し涙、悲しい涙、それは堪えることができるかもしれない。でも、美しい人に出会った時は涙は止められないと思った。