老人のボヤキ2

(土佐のオナガドリ・智光山公園こども動物園、by T.M) 

(今日も「労働問題」でなく、とりとめのない老人のグチを書きます。ご興味のない方はここで他ページに飛んで下さい)

日経ビジネス 7/1

日産自動車が打ち出す経営再建計画「Re:Nissan」へのアナリストの評価が厳しい。2万人のリストラや7工場の閉鎖など踏み込んだように見えるが、投資判断は「売り」一色だ。業績回復は2026年度まで待たねばならないうえ、計画の実行性を疑う見方は根強い。日産再建策の課題を探った。

 再建計画の指揮を執るイバン・エスピノーサ社長は、世界で2万人を削減し固定費と変動費を合わせて24年度比で5000億円減らすリストラ策を打ち出した。ただ、肝心の業績改善は26年度まで待たなければならない。

私の卒業した高校は、日産の追浜工場(横須賀市)の目の前にありました。だから、バイトといったら、日曜日に日産工場にいって、清掃のバイトをしていました。プールみたいなところにヘドロみたいな沈殿物が溜まっていたのを、スコップを使いバケツに貯めて運んでいたような気がします。朝8時から夕方5時まで、びっしりと勤務があり、重労働の割に給与は日給3000円をいかなくて、「安い」なあと思っていました。日産工場でアルバイトをしていたのは、学生だけでなく教師もそうでした。音楽の先生が、自分が指揮者を務める楽団(クラッシク)のコンサートの運営費を稼ぐために夜勤をしていました。今考えると公務員法違反だと思うのですが、当時は誰も止めませんでした。大らかな時代だったのでしょう。

そんな日産追浜工場が閉鎖されるそうです。悲しいことです。でも日産だけではありません。

「みなとみらい地区(横浜市西区)」「ラゾーナ川崎(川崎駅裏)」「テラスモール湘南(藤沢・辻堂駅前)」、この3つの神奈川県を代表するショッピングゾーンには、共通点があります。それぞれ、1990年代以降に大企業の工場跡に作られました。「みなとみらい」は「三菱重工業、横浜造船所跡」ですし、「ラゾーナ川崎」は「東芝、川崎工場跡」ですし、「テラスモール湘南」は「関東特殊鋼工場跡」です。これら廃止された工場で働いていた人たちはどこに行ったのでしょうか。因みに、私が神奈川労働局の労働基準監督官をしていた時に、閉鎖された工場はこれだけではありません。思いつくかぎり、次のようなものがあります。関東自動車横須賀工場、日本IBM藤沢工場、資生堂大船工場、合併した造船所(日立造船、JFE)、野村総研・鎌倉研究所等です。協力会社を含めると、従業員1000名~10000名(もしかしたらもっと多い)の大工場です。また、40年前に鳴り物入りで誘致した横須賀リサーチパークでは撤退企業があいついでます。地方都市でしたら街全体が大騒ぎになりそうな工場・研究所がどんどんなくなっています。

日本は不況だと言われていますけど、昔のようによくなるためには、これら工場群がすべて復活すればいいんだとは思いますが、この少子高齢化の世の中ではそれも難しいでしょう。

でも工場がなくなって良いこともあります。私の住居(横浜市港南区)の近くを流れる大岡川近辺は、横浜スカーフと呼ばれた、1970年代には日本国内生産量の90%、世界生産量の50%を占めるスカーフづくりの一大拠点でしたが、現在では1社もありません。そのせいか、大岡川は横浜の繁華街を流れているのにもかかわらず、サギやカモ等が訪れる清流を維持していて、川べりを散歩していると、日本の高齢者は、元気のなくなった世の中で静かに去っていくのかな、なんて思います。

先日、高校の同窓会の便りが届きました。50年ぶりです。昔の借りを返すために出席しなければならないと思いますが、みんなそんなことを考える世代になっているのでしょう。

今回は、とりとめのない話ですみません。