化学物質

(フラミンゴ・川崎市夢見ヶ崎動物公園、by T.M)

厚生労働省の主唱で化学物質管理強調月間が来年2月から始まります。化学物質を取り扱ったことのない人はピンとこないかも知れませんが、化学物質の規制の仕方が現在大きく変わってきてて、今は過渡期です。

従来は、ある物質について、法律で「有機溶剤」とか「特定化学物質」とかの指定をして、「有機溶剤だから、これこれの規制をする」「特定化学物質はこうでなきゃだめだ」という規制をしてきたのです。でも、このような規制方法がまったく役にたたないと思える「ある事件」が起きたのです。これからその事件と、その後の疑問が残る大阪労働局の対応についてお話します。

メタン、エタン、プロパンは炭素と水素からなる炭化水素系の構造のよく似た物質です。常温では、3者とも気体ですが、水素原子2個を塩素原子2個に置換することで、それぞれ常温で液体のジクロロメタン、ジクロロエタン、ジクロロプロパンとなります。10年ほど以前まではジクロロメタン、ジクロロエタンは「有機溶剤」として労働安全衛生法の規制の対象でしたが、ジクロロプロパンは法の規制の対象外でした。そして、3物質とも、それぞれを原料とした塗料が製造されていました。

(注)3物質とも現在は「特別有機溶剤」に指定されている。

ある大阪の印刷会社に塗料メーカーの営業マンがやってきて、その会社の社長にこう述べたそうです。

「ジクロロプロパンを原料としたインクは、ジクロロメタン、ジクロロエタンを原料としたインクと違い法の規制がないので、局所排気装置を備えたり、健康診断を実施したり、作業主任者を選任する必要がありません。」

社長は営業マンの言うとおりに、何の衛生管理もしないでこの塗料を使い続けたところ、ジクロロプロパン使用を原因とする胆管がんが従業員17名に発症し、そのうち8名が死亡するという事件が起きてしまいました。

有害指定をしていなかった化学物質により引き起こされたこの事件は、「胆管がんショック」として関係者に記憶されることになります。

この事件で疑問なのは、大阪労働局がこの印刷会社を検察庁に書類送検したことです。その罪名は「衛生管理者未選任」「安全衛生委員会未実施」というもので、「有害物質をばく露対策をせずに使用させた」と行為については、遂に罪に問えませんでした。

しかし、この事件は「ジクロロプロパン」を有害物の指定をしなかった行政の責任って重いのではないでしょうか。有害物の指定さえしていたら犠牲者はでなかったような気がします。逆に、大阪労働局が送検した内容の法違反がなく、会社が「衛生管理者を選任して」いたとしても、ジクロロプロパンを使い続けていれば悲劇は起きたと思います。

(もちろん会社が衛生管理を蔑ろにしていたことは多いに反省して欲しいと思いますが)。

さて、この「胆管がんショック」を契機として、行政は今までのように、化学物質を「有機溶剤」や「特定化学物質」に分類して管理することをやめ、リスクアセスメントの方法を示し、各事業場で化学物質の有害性を評価してもらうことを法制化しました。確かに、この方法なら「胆管がん事件」は防止できます。この手法の詳細は後日書きます。

年末に、なんか行政への愚痴になっちゃたけど、現場で働く監督官・専門官の方を応援しています。

では、よい年をお迎え下さい。

ブラック企業とは

(ローテンブルクの街並み、by T.M)

先日、NHKのプロジェクトXを観ました。大成建設の職員が、トルコのボスポラス海峡に地下鉄を通すためのトンネルを施工する物語です。ボスポラス海峡は地層が軟弱で掘削はできず、海の中に、陸上で製造した人口トンネルを沈め、それを結合する「沈埋工法」という技術で臨みますが、海峡の流れが速く、うまくいきません。そんな悪条件の中で、仕事を完成させ、イスタンブールの市民に感謝され、日本―トルコ有効に寄与するという実話です。

私は、この番組を観て、「ブラック企業」と「働きがいのある企業」とは紙一重だなと思いました。まずは、番組を観て、大成建設って、もしかしたら「ブラック企業」と思えたところを2点ほど指摘します。

1 困難に遭遇した現場代理人たちの労働時間が、非常に長いように思えました。というか、異国で働く現場代理人たちは、身も心も仕事に捧げているように思えました。

2 危険な仕事が発生し、率先して現場代理人が作業する

もちろん、これらの場面を「ブラック」と見ないで、逆に「尊敬できる行い」を現場代理人が行ったと考える方が大部分だと思います。本音の部分で私もそう思います。でも、元労働基準監督官としては、次のような事件も思い出すのです。

日経新聞

新国立競技場の地盤改良工事で施工管理をしていた23歳の新入社員の男性が2017年3月に過労自殺した問題で、男性が所属していた建設会社は17年7月21日、日経コンストラクションの取材に対して管理体制に不備があったことを認めた。男性が自殺する直前1カ月の時間外労働は200時間を超えていたが、会社は把握していなかった。

今から60年前の高度成長期に開催された、あの「伝説の東京オリンピック」の時に、新国立競技場を作っていた企業の責任者たちは、みな使命感に溢れ、残業なんていくらでもかまわないと思っていたと思います。しかし、それから50有余年を経た時のオリンピック工事では、新入社員が激務に耐えきれずに自殺してしまうのです。(自殺した時期が「コロナ禍」前であることにも注目です)

いったい、この半世紀で職場で何が起きているのでしょうか。それとも、半世紀以上前のオリンピックで高揚感があったと思うのは、私の間違いでしょうか。

さて、前述の大成建設の現場代理人の話ですが、これから先多くの若者たちが、プロジェクトXで紹介された仕事に憧れ、同じような職種につこうとするでしょう。そして多くの者が、現実は違うと考えてしまうと思います。ただ、そんな若者たちに、分かって欲しいことがあります。単純なことです、

「良い人間関係の中で好きな仕事を行えば、何時間仕事しようが精神的な部分は大丈夫」

「嫌いな仕事を嫌な人間関係で行えば、そこはブラック企業となる」

ということです。そして、仕事の「好き」「嫌い」は本人の資質ですが、「人間関係」は「出会い」の問題であり、運次第ということです。残念なことですが、どんなに素晴らしい仕事をしていても、人間関係が悪ければ、そこはブラック企業になってしまう可能性があるのです。

熱中症と役所の対応

(ポルシェとウルムの街並み、T.M氏のドイツ出張中の写真です)

毎日暑い日が続きます。今日は熱中症のことについて書きます。

世の中には、猛暑の中でも、熱から逃れられない仕事があります。例えば、私が見聞した作業の中では、ビル建築現場の屋上の防水工事がそれに当たります。真夏に、ビルの屋上に熱したアスファルトを敷いていました。火傷防止のため作業員は、長袖の作業服の袖をとめ、軍手をしています。当然、ヘルメットを被っています。そんな過酷な建設現場で、熱中症の死亡災害が発生しましたが、それは懸念されていた屋上の防水工事ではなく、日が差さない地下の電気工事の作業員でした。被災者は60歳代で、直近の定期健康診断で高血圧症と診断されていました。

熱中症はやっかいな疾病です。

その理由の第一は、どこで起きるか分からないということです。鉄工所の溶鉱炉の傍の業務とか、空気の流通のなお造船所の船底の業務では意外と発症しません。それはみんな注意しているからです。そして、思いもかけない所で発症してしまうのです。墜落災害は墜落危険個所で作業している者にしか発生しませんし、機械への巻き込まれ災害は機械近くで作業している者にしか発生しません。しかし、熱中症はエアコンが有効に機能していない場所ならば、どこでも発症します。しかも同じ環境で、同じ時間仕事をしていても、熱中症となる者、ならない者がいます。高齢者、基礎疾患のある者、その日たまたま体調の悪い者等がリスクが高くなります。

やっかいだという理由の第二は、重篤災害となる可能性が高いということです。労災の統計によると、他の労災と比較して発生率はさほど高くはありませんが、一端発症すると、死亡率は他の災害の6倍に上ります。ウチの会社は今まで大丈夫だったからと安心していると、いきなり重症となる熱中症が発生する可能性があるということです。

理由の第三は効果的な保護具がないということです。高所作業なら「安全帯」、化学物質関係なら「保護マスク」等の保護具があります。しかし、熱中症にはそのような保護具はありません。各企業は現在こぞって、熱中症対策の保護具を開発中のようですが、その中には、JISで規格化されるような決定的なものはありません。私も、いくつかは試してみましたが、クールベストが一番良いようでした。しかし、それは効果時間が限られています。結局は熱中症対策とは、「休憩」「給水」くらいしか思い浮かびません。

そういえば、「給水対策」といえば、こんなことがありました。私が、市営の大きな公園の安全診断をした時のことです。非常に大きな公園で、雑草抜きや刈払機を取扱う現場の人が数人いたので、そこの管理事務所に「現場で働く人のための熱中症対策としてスポーツドリンクを用意して下さい。建設工事現場や工場ではそのような対策をしています」と依頼したところ、「それはできません」と断られました。「税金で職員にスポーツドリンクは用意できない」ということでした。エアコンの利いた事務所で予算を管理する役所の人の感覚ってこんなものかと思いました。私が役人だった時から変わっていません。

さて、来週は夏休みでブログの更新はしません。次は8月18日に更新します。

暑さが続きますが、皆様、体調管理にお気をつけ下さい。

外国人労働者(3)

(旧信越本線横川〜軽井沢間のレンガ覆工のずい道、by T.M)

(先週の続き)

やがて会社担当者4人が監督署に到着しました。みなサラリーマンといった格好で、ヤクザのような者は誰もいません。そして、わたしの事情聴取に応じて、労働契約書(外国語のもの)、タイムカード、賃金台帳等を提出しました。私は、それを全て、会社と外国人労働者の承諾を得てから、外国人労働者に付き添ってきた若者に見せました。若者は最初は警戒していましたが、段々と外国人労働者の話に疑いを持っていたようでした。

しばらくして、決定的な話が出てきました。2、3日前の午後9時過ぎに、その外国人労働者は一人で会社事務室を訪問し、労働条件の不満をそこにいた事務員に述べたそうです。私は、もう一回事実関係を確認しました。

「午後9時過ぎに、数人の事務員が残業している会社事務室に文句を言いにきたのですか」

会社担当者は、その事実に間違いないと述べました。私は思わず笑い出してしまいました。会社担当者は、私の態度を訝しく思って尋ねました。「どうしたんですか」

私は答えました。「彼は、あなた方をヤクザだと言っていたんですよ。すぐに暴力を振るうという話でした。さっきも、あなた方がここへ、これから来ると言ったら、こわいから会いたくないと逃げようとしたんです。そんなあなた方のところへ、よく夜中に一人で行けたなと思い、おかしくなったんですよ。」

会社担当者は、驚いて外国人を見ました。私は、「何か説明しろ」と外国人に言いました。すると外国人は、「いえ、・・・」と何か話そうとします。

その驚き方に不自然さを感じたの、私は担当者に尋ねました。「もしかして、彼は日本語が分かるんですか?」担当者は答えました。「もう、日本に10年以上いますから、日本語は話せます」 無茶苦茶な展開になってきました。

結局次の点が判明しました。

1 外国人労働者は、普段は真面目に勤務していた。

2 ボーナスの支払いの件で不満をもち、会社に苦情を述べた。そして出社しなくなった。この事実について、会社側は「無断欠勤」と述べ、労働者は「解雇」と述べている。

私は、両者に対し次のような若い案を提示しました。

「解雇か無断欠勤かは、判断できない。でも、彼は長く勤務しているし、有給休暇もたくさん残っているので、彼が出社しなくなった日からの賃金については、有給休暇として支払い、また彼も有給休暇が残っている限りは出社しなくても良いので、頭を冷やして、また働くかどうかを考え直したらどうか。会社も彼が働く意思を示したら受け入れたらどうか」

両者ともこの案を受け入れてくれました。

その後、若者と外国人労働者は一緒に帰って行きましたが、来た時は正義感に溢れていた若者は何か気が抜けたような顔をしていました。

2、3日して、どうなったかということを若者に問い合わせてみました(外国人労働者とは連絡がとれません)。すると、外国人労働者とは、彼もあれから連絡を取っていないということでした。まあ、そうなるだろうなと思いました。

外国人労働者(2)

(ツキノワグマ・大宮公園小動物園、by T.M)

私が北関東の労働基準監督署で第一課長(監督課長)をしていた時のことです。

ある日、労働基準監督署に行政書士を名乗る若い日本人男性と、40代くらいの南米出身の外国人労働者がやってきました。その若い日本人はボランティアで外国人労働者の支援をしているということでした。外国人労働者は日本語ができないらしく、その若い日本人が通訳をしました。

その若者は、外国人労働者が管内の大企業である金属製品製造業者Sの工場の構内下請けの労働者であると紹介しました。そして、その企業を昨日に即時解雇されが、賃金もろくに支払ってもらっていないと訴えました。なんでも、その企業では外国人労働者への殴る蹴るの暴力行為が日常的に行われているそうです。

私は、正義感に溢れ、外国人労働者を支えようとするその若者の姿に、何か危ういものを感じました。だって、その若者の隣で、当の外国人がニヤニヤしているからです。

外国人労働者が悪い経営者から酷い目に合わせられるということが、よくありますが、南米出身の労働者にはあまり、理不尽なケースはありません。南米系(日経)外国人労働者は、外国人労働者の中でも恵まれているのです。不法就労ではありませんし、技能実習生でもありません。極めて合法的な立場で働いていますし、自分たちのコミュニティーも持っていて、悪辣な経営者が、簡単に不法に雇用できる人たちではありません。だから、労使間のトラブルは通常の日本人どうし労使関係のトラブルと似たようなものとなります。

また、その外国人労働者が働いているSという企業はよく知っているのですが、優良な企業でそんな暴力団のような下請けをのさばらしてはないと思ったからです。当時は、製造業への労働者派遣が解禁となった頃で、大手派遣会社のデータ装備費事件等が発生していましたが、Sは派遣労働者は受け入れず、従来どおりに協力会社を構内下請けとしていました。

そこで、私は2人の目の前で、すぐにその会社に電話をし、お宅の外国人労働者がここにいて、労働基準法違反を訴えているのだが、関係書類をもってすぐに監督署に来るように指示しました。会社担当者は、いきなりの監督署への呼出しに慌てた様子で、直ぐに来ることを了解しました。私は若者と外国人に、両方からの事情を聴くから、ここに残っているようにと伝えました。

若者は、迷いもなく了解しました。自分が通訳として、外国人労働者を迫害する悪質な会社担当者と対面することに興奮しているようでした。しかし、外国人は会社担当者が来るということに戸惑っている様子でした。そして、若者に何か言いました。若者は通訳しました。「彼は会社の担当者と会うことを怖がっています。このまま帰りたいそうです。」

そこで、私は若者に言いました。「私が守ってやるから、安心しろと通訳して下さい」外国人は諦めたように、そこに残ることになりました。

(続く)