武蔵野を歩いて

 

今日はゲストとして、私の親友のT.K氏の紀行文を掲載します。彼は某地方労働局の現役の幹部技術系職員です。

私は10月にブログ復帰予定ですが、それまでに他ゲストの登場があるかもしれません。

では、T.K氏の写真とエッセイをお楽しみ下さい。

(武蔵野の雑木林)

小原先輩から、今月の執筆を頼まれましたので、一時のお付き合いをいただければ幸いです。

今回は私達に身近な地域である武蔵野にスポットを当てたいと思います。

武蔵野というと皆さんは何を想像するでしょうか? 

私は、国木田独歩の随筆「武蔵野」の他、トトロの森、屋敷林を持つ農家、雑木林や里山などといった首都圏にありながら、自然豊かな、ほっとする素朴な田舎の風景を想像します。

武蔵野の範囲は武蔵野台地の範囲とほぼ同じで、おおまかには北部の荒川、南部の多摩川に挟まれた地域で、古来から雑木林、それを活用した屋敷林、すすき野原、河岸段丘、その段丘崖からの豊富できれいな湧水がある谷戸などの風景が見られる地域です。

私は最近、毎週月曜日午後11時からTVK(テレビ神奈川)で放映している「キンシオ」という旅番組にはまっており、これはイラストレーターで主人公のキンシオ(塩谷均:キンシオタニ)がビートルズなどのBGMが流れる中、毎週、テーマに沿った主に関東一円の地域(現在放映中のテーマは、「植物地名の旅」)を訪ねレポートするという旅番組です。

「キンシオ」は観光地でもない日常生活が根付いた地域ばかりを探訪するので、かえって新鮮さがあり、ついつい毎週見てしまうという番組で、私もこの「キンシオ」気分を味わいつつ、武蔵野を散歩してみました。

私が散歩した武蔵野は、埼玉県朝霞市や新座市付近で、これらの地域は武蔵野台地の上に立地しており、夏のこの季節、日中はセミの鳴き声とともにとても蒸し暑いのですが、雑木林の樹林帯に入れば、さわやかな武蔵野の風が吹き抜け、ほっと一息することができました。

また、武蔵野台地を流れる川には、黒目川という自然堤防が残された昔ながらの川があり、高低差のある河岸段丘が発達しているので、川を渡る際は必ず台地から坂を下って、川を渡った後、対岸の台地の坂を登らなければならず、徒歩や自転車の移動にはとても難儀な地形ではありますが、所々に里山の風景、雑木林、用水路、畑地などが残り、昔ながらの懐かしくのどかな武蔵野の風景を眺めることできました。

(黒目川の自然堤防)

以下、私が散策した武蔵野の見どころをご紹介します。

1 平林寺(へいりんじ、新座市野火止3-1-1)

財界人で電力王と呼ばれ茶人でもあった松永安左エ門(耳庵)の墓がある南北朝時代(鎌倉時代の次の時代)から続く臨済宗の由緒ある古刹で、立派な茅葺き屋根の山門、本堂、境内林などが見られ、猛禽類のオオタカやフクロウも生息するほど自然豊かな境内であり、特に境内林は武蔵野の面影をよくとどめています。

古来は同じ埼玉県の岩槻に所在していましたが、江戸時代初期に現在の地に移されました。

この寺と全く関係はないのですが、境内を散策しているとき、自分的には寺の名前から落語「平林」の一節「たいらばやしか、ひらりんか?、いちはちじゅうのも~くもく、ひとつとやっつでとっきっき~!」をつい口ずさんでしまいました。

(平林寺山門)

2 野火止用水(のびどめようすい、新座市野火止地内)

分厚い関東ローム層で水利の悪い武蔵野台地上の野火止地区(新座市)に生活用水を配水するため、江戸時代初期、多摩郡小川村(現東京都小平市)を流れる玉川上水から分水された野火止地区を経て新河岸川に至る全長25kmにも及ぶ長い用水路で、新座市内をほぼ南北に流れています。

野火止用水は現在の上水道でいうと本管に相当し、この本管から平林寺堀、陣屋堀等といった配水管が各方向に設けられております。

全て人力施工により竣工した野火止用水に接し、江戸時代の土木技術に思いを馳せることができました。

(野火止用水)

3 旧高橋家住宅(朝霞市根岸台2-15-10)

江戸時代中期、18世紀前半の建立と推定される木造平屋茅葺きの寄棟造りで屋敷林を持つ武蔵野の典型的な農家建築で、国指定重要文化財に指定されています。

訪ねた日は気温35℃の暑い日でしたが、座敷は竹で組まれ四方の風通しも良いためエアコンがなくても十分涼しく、また武蔵野台地の東端に位置しているため、湧水が豊富で、武蔵野台地上での生活に適した立地条件を備えています。

物質的に豊かでない時代の建築にもかかわらず、地理的な長所を最大限活かした江戸時代の人々に尊敬の念を覚え、古き良き時代にタイムスリップしたような感覚を体感できました。

(高橋家住宅外観)

(高橋家住宅の囲炉裏)

4 妙音沢(みょうおんざわ、新座市栄1-12-15)

黒目川右岸の河岸段丘崖から湧き出す「平成の名水百選」に選定されたとても澄んだ湧水で、市街化が進んだ地域でこのようなきれいな湧水があることにとても驚きました。

この湧水は一年を通し湧水量、水温ともほぼ一定で、武蔵野台地上に降り注いだ雨水が赤土や黒土の層を浸透、その下位のレキ層により浄化され、段丘崖から湧水し、黒目川に注いでいます。

湧水帯は雑木林の斜面林に覆われとても涼しく、訪ねた日は市街地では見られなくなったオニヤンマとナナフシに久々に遭遇し、とても感動しました。

(妙音沢案内板)

(妙音沢)

以上、武蔵野のことを書いてきましたが、都心から約20kmの圏内でこのような自然豊かで懐かしい古き良き武蔵野の風景がまだまだ見られるものだと感動しました。

興味のある方は今度の週末、地図を片手に武蔵 野を訪ねてみてはいかがでしょうか。

尾瀬紀行~T.M氏より

今週は、私のブログを休みます。

本日、台風10号が来ているのに、飛行機に乗ります。恐いです~

私の記事の替わりに、毎週写真を提供してくれているT.M氏(現役の某地方労働局の技術系職員)の紀行文です。

まずは写真から。

はるかな尾瀬 〜花の旅、山の旅〜

今年は梅雨明けが遅く、8月に入りようやく夏空が見られるようになり、同時に高温多湿の気候がもたらされる季節になりました。

この季節の休日は、私はエアコンが嫌いなので、自然で涼しい場所に避暑することにしています。

今回は、私の避暑の体験にお付き合いいただければと思います。

7月下旬、涼しい尾瀬に、尾瀬沼の山小屋に泊まりながら、大江湿原のニッコウキスゲの鑑賞と、燧ヶ岳(ひうちがたけ)登山に行って来ました。

この時期の尾瀬は、朝夕は10℃前後と肌寒く、日中は30℃前後まで気温が上がり結構暑く、一日の気温差が大きいのですが、湿度が低いためとてもさわやかな気候です。

一言で尾瀬と言いますが、尾瀬は尾瀬国立公園に属する地域で、代表格の尾瀬ヶ原に始まり、尾瀬沼、大江湿原、あやめ平、三条ノ滝、平滑ノ滝、至仏山(しぶつさん)、燧ヶ岳、会津駒ヶ岳などと広範囲に多くの見どころがあります。

大江湿原のニッコウキスゲは、福島県の雄国沼、長野県の車山(霧ヶ峰)に勝るとも劣らないほどの大群落を形成し、今年の大江湿原は、昨年よりも花の数が多く、湿原が黄色に染まるほど、見事な咲きっぷりでした。(写真をご覧ください。)

一日湿原を歩いていると、太陽を遮るものがほぼないため、結構日焼けし、真っ黒になってしまいました。

登山した燧ヶ岳は、国内では東北地方以北の最高峰で、柴安嵓(しばやすぐら、標高2,356m)、俎嵓(まないたぐら、標高2,346m)の二つの峰を持つ双耳峰の山で、眼下に尾瀬沼と尾瀬ヶ原、見上げると至仏山、会津駒ヶ岳、平ヶ岳、会津磐梯山などの山々の展望が実に見事です。

尾瀬へは、喧騒がない福島県檜枝岐村の七入(なないり)の登山口から入り、江戸時代の交易の道であった会津沼田街道をたどり、静かな山旅が楽しめました。

皆様も、暑いこの季節(今年は異常に暑いですね!)、市街地を離れ、避暑に行かれてみてはいかがでしょうか。

平成の終わりに・・・

今週は、私の親友のT.M(某地方労働局技術系職員)からメッセージが届いていますので、そのメッセージをもって、ブログ記事としようと思いますが、そのメッセージを紹介する前に、どうしても触れたい話題がでてきました。まずは、次の新聞記事をご覧下さい。

天皇、皇后両陛下は23日午後、労働災害犠牲者慰霊のため、東京都八王子市の高尾みころも霊堂を訪れ供花された。同霊堂は1972年に建立され、戦後に労災で亡くなった26万人余が合祀(ごうし)されている。両陛下の訪問は皇太子同妃時代を含めると今回で7回目。(某新聞記事より引用)

ご退位がせまり、多忙の中で、労災事故で亡くなった人々の両陛下が忘れずにいて頂けたことに感謝します。

この、高尾みころも霊堂の秋の慰霊祭には、前年に労災事故により亡くなられた方の遺族が招待され、厚生労働大臣をはじめとして関係者が集会します。そして、その会に天皇陛下は皇太子時代から何度も出席頂いていました。

私はまだ、この聖地に行ったことはありません。今年こそ訪問し、労災ゼロを祈ってこようと思います。

さて、T.Mからのメッセージです。

題:桃の花と扇状地

(まずは、次の写真をどうぞ)

日中はまだ寒い日があり、夜は多少冷え込むものの、季節は春の装いが色濃いものとなってきました。

各地で桜の開花が話題になっていますが、桜に負けず頑張って美しい花を咲かせるものもあり、その一つに桃の花が挙げられると思います。

先週、職場の新入社員とバイクで山梨県笛吹市(旧一宮町)に桃の花を見物して来ました。

国道20号線(甲州街道)をたどり、大月で吉田うどんを食べて腹ごしらえし、笹子トンネルを抜けて甲府盆地に入りました。

当日は快晴でとても暖かく絶好のツーリング日和でした。

過去に何度も笹子トンネルを抜けていますが、トンネルを境に郡内(大月側)と甲府盆地側で気象が大きく異なることが多いですが、当日はそれを感じさせないほどでした。

甲府盆地は、その周縁部に扇状地が発達した地形が特徴で、土壌は痩せ、水はけが良いため、稲作には適しませんが、日当たりの良さと昼夜の大きな寒暖差により、ブドウ、モモやサクランボなどを栽培する果樹園が多く見られる土地です。

桃の木は、桃の実がなるものと、実がならないハナモモがあり、今まさに桃の花が見頃となっています。

ハナモモは桃色の花が一般的ですが、一つの木に、紅色、白色と異なる色の花が咲くものもあり、サクラに劣らずその見栄えは実に見事です。

特に一宮付近は、ハナモモが多く、地域が桃色一色に染まります。

皆様も春を感じるこの季節に、お花見に是非お出かけください。

北伊豆地震

いつもこのブログに写真を提供してくれている私の親友のT.M氏から、3.11を前に、2枚の写真と文章が送られてきました。このブログへ掲載してくれないかということですので、ご紹介します。

(T.M氏は、某地方労働局の技術系職員です。)

私の通常更新は、この記事の後に掲載してあります。

明日は3.11、東日本大震災の発生から8年目を迎えます。

関東での大地震は、大正12年の関東大震災にまで遡りますが、その陰で忘れてはならない大地震が関東大震災の震源地の近くで発生していたことをご存知でしょうか?

それは、北伊豆地震です。

北伊豆地震は、昭和51126日に発生し、伊豆半島北部の静岡県函南町丹那盆地を震源とするマグニチュード7.3の大地震で、隣の三島市で震度6を記録しました。

この地震を発生させた丹那断層は、断層線に対面して向こう側の地盤が相対的に左に動いたので左横ずれ断層と言われています。

現在、丹那盆地には、火雷(からい)神社と丹那断層公園で断層線が「見える化」により観察できるようになっています。

火雷神社の写真は、階段と鳥居の間に断層線があるため、鳥居の柱が階段の中央付近まで来ています。

丹那断層公園の写真は、断層線に沿って、石の並び(手前の半円型の布石と奥の直線の布石)がずれているのが分かります。

防災を考えるこの時期、首都圏からも近い丹那盆地を是非訪ねてみてください。