36協定の受理(2)

(旧西園寺公望の邸宅・興津坐漁荘、by T.M)

36協定を監督署に提出した方ならお分かりだと思いますが、36協定に労災保険番号を記入して提出することになります。なぜ、労災保険番号を記入するかというと、それが各事業場に割当てられた事業場番号を、システム上検索するのに便利だからです。
(注1:「労災保険番号」は労災保険の制度上、厳密に1事業場に1番号割当てられている訳でないので、基準システムの中で、各事業場に独自番号を割り振ってやる必要があります)

小さい監督署では、36協定をすべて基準システムに登録します。すると、どういうことが可能かというと、「36協定を提出していない事業場」がすべて把握できるという訳です。

「平成28年に、日本全国の適用事業場は約412万件ですが、監督署に提出された36協定は150万件でした」(厚生労働省HP,労働基準監督年報より引用)
つまり、全事業場数の約35%しか36協定を監督署に提出されていないのです。ですから、監督署としては、36協定を提出してなく、残業をしてそうな事業場を臨検監督すれば、違反率は限りなく100%近くとすることができます。
(注2:余談ですが、今引用した「労働基準監督年報」は平成28年分までしか、厚生労働省のHPに掲載していません。多分、それ以降はこの「年報」が作成されなくなったせいだと思いますが、最近の厚生労働省のHPは、昔より使いづらくなり、探す情報がなかなかでてこなくなったという印象を受けます。国民のデータベースとしてのHPでなく、行政の宣伝のためのHPとなっているようです。)

さて、36協定を基準システムに登録していない都会の大きな監督署は、今のような事業場の選別が不可能です。実際、都会の大きな署と地方の署では36協定の提出数が大分違います。平成23年4月、東日本大震災のお手伝いに、宮城局石巻署にお手伝いにいった私は、36協定がすべてシステムに入力されていたことに驚きました。当時、私は神奈川局の横浜北署の第一方面主任でしたが、横浜北署では石巻署のようなことはとても不可能でした。(もっとも、「石巻署」も地方局では、けっして「小さな署」と呼べる規模ではありません)

このような都会署の状況が歯痒く思えたのか、本省ではしきりに36協定の全数入力という指示を出すようになりました。そのため、相談員を増やしたり、監督官を増やしたりするようになりました。でも、ひとつ疑問が残ります。
「そもそも、臨検監督の違反率を上げたからといって、本質的な労働者の労働条件の向上につながるの?そんなもの、役所の自己満足に過ぎないじゃないの?」

そう、36協定の入力業務に手間隙かけるなら、「特別条項付の36協定」(長時間労働が見込まれる事業場)を提出してきた事業場を1件でも多く臨検監督した方がいいだろうという発想に現場はなります。
かくして、何とか「管理のために基準システムの情報を整理したい」と思う本省上層部と現場監督官の意識はずれていくのです。

(注3:このブログ記事の内容は、8年前まで署の一線にいた私の当時の経験を基に書いていますので、現在では署の状況が変わっている可能性があります)

(注4:「労働者死傷病報告書」「健康診断結果報告」等の労働安全衛生法関係の監督署への提出書類は100%、基準システムに登録されています。報告書類の様式を確認してもらえばわかりますが、労安法関係の報告書類は、そもそもシステム入力用の書類なのです。36協定等の労働基準法関係の報告様式も、システム入力用の書類にすてもらえば、登録は楽なのですが、なかなかそうはいかないようです。)

(注5:この基準システムが、20年前に導入された前後では、行政の仕事のやり方はまったく変わりました。導入後5年間くらいは、まだデータの蓄積がなく、まったく使い物になりませんでしたが、現在ではこのシステムなくしては、労働行政は動きません。
これもまた余談となりますが、基準システムの導入時から活用していた者として実感していることですが、総務省が所管している「マイナンバー」制については、まだ批判されている方もいますが、行政の効率課という観点からは、多分年間に兆単位の予算の節約にはなっているはずです。もっとも、個人情報が集約され過ぎていて、一度「漏洩」すれと、とても危険であること事実です。)

36協定の受理(1)

( 旧東海道神奈川宿・横浜市神奈川区台町、by T.M)

この記事を書いているのは、10月13日の午前です。ワードに下書きしているのですが、台風の影響でネットに繋がりにくく、すぐにはアップできない状況です。
我が家では、このネット状況の一部不具合と、外付け風呂釜が破損したのが台風被害のすべてのようです。

前回に続いて36協定の監督署内での処理の話をします。
36協定は、郵送もしくは、事業場の方もしくは事業場代理の社労士が監督署に持参して提出されます。提出された36協定は、監督署の職員で注意深く精査します。不明な点は、事業場に問合せをしますし、長時間労働を助長するような協定、あるいは労働者代表が明らかに不当に選出されているような協定は、突き返します。

事業場から監督署に提出される36協定は正副2部です。監督署が36協定を受付すると、1部は監督署が受取り、受付印を押印した1部を事業場に返却します。
よく事業場の方は勘違いされますが、この受付印が押されたからといって、36協定の合法性を監督署が認めたということではありません。後で不具合が見つければ、監督署は平気で「返礼」します。「一度受理したものを何だ」と抗議されても、監督署はダメなものはダメだというスタンスです。

もっとも、「書類不備なものを受理したこと」と、「労働者の立場を守るために36協定の不適切なものは指摘する」ことは別という理屈は分かるのですが、「不備なものを受理した責任」及びその失敗は、後々問題となりまので、やはり提出時の36協定審査には神経を使います。

さて、提出された36協定の処理ですが、これが実は署ごとに違うのです。(これから、書くことは、私が実際に36協定の受付等をしていた8年前までのことなので、現在では違っているかもしれません)

大規模署では受付済の36協定は、そのまま綴り、3年間保存後廃棄します(内部規約によりそう決まっています)。小さい署でかつ地方局の署では、「基準システム」に登録します。以前このブログでも紹介しましたが、「基準システム」とは厚生労働省が所有する労働基準局関係のビッグデータを操るシステムです。このビッグデータは、20年以上の労災関係データ(300万件程度と推測されます)や、様々な企業情報、臨検監督結果、司法事件情報が保存されている、基準行政の命、いえそれどころか日本国の宝といっても過言ではないデータです。

(注) 余談になりますが、私は「基準システム」の「労働災害データ」を個人情報・企業情報を分からぬようにして、公開すべきであると考えています。ひとつ、ひとつの災害について、「事業場の業種・規模」「被災者の性別・年齢・経験年数」「災害の発生日・休業日数」「起因物」「事故の型」「傷病部位」「派遣労働者であるかどうか」等の細かいデータが保存されて、エクセルファイルで取り出すことができるのですから、研究者にとっては垂涎のデータであり、役所だけでなく民間で分析してもらうことにより、今後の労働災害防止にたいへん役立つものであると思います。

さて、「小さい署」が36協定データを基準システムに登録するということがどういう意味を持つのか、次回説明します。

監督指導結果

( 五島美術館の茶室・東京都世田谷区、by T.M)

本日は、労働基準法について、ちょっとマニアックな記事を書きます。まずは、先日厚生労働省が発表した情報をご紹介します。

(厚生労働省発表文)

厚生労働省では、このたび、平成30年度に、長時間労働が疑われる事業場に対して労働基準監督署が実施した、監督指導の結果(※)を取りまとめましたので公表します。
  (略)
平成30年4月から平成31年3月までの監督指導結果のポイント】
 (1) 監督指導の実施事業場:29,097事業場
    このうち、20,244事業場(全体の69.6%)で労働基準関係法令違反あり。
 (2) 主な違反内容[(1)のうち、法令違反があり、是正勧告書を交付した事業場]
  ① 違法な時間外労働があったもの:11,766事業場(40.4%)
    うち、時間外・休日労働の実績が最も長い労働者の時間数が
       月80時間を超えるもの:       7,857事業場(66.8%)
       うち、月100時間を超えるもの:   5,210事業場(44.3%)
       うち、月150時間を超えるもの:   1,158事業場( 9.8%)
       うち、月200時間を超えるもの:    219事業場( 1.9%)
  ② 賃金不払残業があったもの:1,874事業場(6.4%)
  ③ 過重労働による健康障害防止措置が未実施のもの:3,510事業場(12.1%)

この厚生労働省の発表について、まずは労働基準監督官OBとしてひと言感想を述べるなら、「私が現役の時は労働災害防止が主体で労働時間なんて、あまり指摘しなかったんだけど、この違反率は素晴らしいな」ということです。

でも、よくよくこの監督結果を眺めていると、私のように現場で監督指導をあたっていた者は違和感を覚えます。ここで公表されている違反について、本来あるべき違反がないのです。それは、「月45時間を超える残業時間」についての違反です。

そもそも、36協定(時間外・休日労働協定)の締結にあたっては、ひと月の残業時間の上限は「月45時間」が基本です。多くの36協定は、この限度枠を守って監督署に提出される訳です。ですから、違法残業の多くは月50時間とか月60時間くらいに留まります。「月45時間」で36協定を協定していて、「月80時間を超える残業時間」の違法行為をする事業場はほとんどないのです。
しかし、36協定では、「月45時間」の限度時間を超える協定をすることが可能です。それは、「特別条項」という条項を特に記載した36協定を作成し、監督署に届出ることです。この「特別条項付き36協定の上限」はいままで無限でした、それを今回の働き方改革では、「休日労働を含んで月平均80時間」までとしたのです。

さて、今回の厚生労働省の「監督指導結果」で「月45時間を超える残業時間」に関する違反事業場がない(あるいは発表しないほど少ない)という事実から推測できることは厚生労働省が言うところの「長時間労働が疑われる事業場」とは「特別条項付きの36協定」を監督署に届出ていた事業場であったという可能性が高いということです。

「特別条項付き36協定」を監督署の届出てくる事業場は、「自分たちの事業場の労働時間は長い」という自覚があり、かつ「法令をなんとか遵守したい」という思いがあり、そして「労働時間の把握が比較的なされている事業場」です。臨検監督すれば、年間1~2回の36協定の限度越えの事実がでてくるかもしれません。そこを指摘すれば、そもそも「特別条項の限度時間が多い事業場」なのですから、長時間労働が指摘できるのです。

本当に悪質な事業場とは、「36協定など作成しないで、労働者に残業をさせている事業場」であるとか、「労働時間をタイムカード等で記録していない事業場」です。このような事業場は、事業主に遵法意識が低い方が多く、低賃金で働く方も多数です。監督署がそのような事業場を今後どのように把握していくことができるのか。それを国民は期待していると思います。

女性と労働安全衛生

(早川漁港上を通る西湘バイパスの斜張橋・小田原市、by T.M)

先日、ある労働安全衛生に関係する大会にでました。そこには、労働安全コンサルタント・労働衛生コンサルタントを初めとする、労働安全衛生関係の研究者等が100名以上出席していましたが、あるひとつの事実に気付き愕然としました。

女性が一人もいない。(私みたいな)60歳以上の男性ばかりだ・・・

「職長教育」「安全管理者選任時研修」等の講師をよく行いますが、講習参加者に女性がいることはまれです。衛生担当者なんて、女性がもっといいはずなのに、労働安全衛生は何で男性だけのもになっているのでしょうか。

これは企業側だけの責任ではなく、女性側の問題もあるようです。工場の現場で働く女性作業員は、安全管理等の仕事をしたがらないのが現状です。安全管理者等になると、「指導・注意」といえば聞こえはいいですが、他人のミスを指摘したり、「叱ったり」しなければならないため、「職場の和」を大切にする女性にはつらいのでしょう。

最近、建設現場や工場で女性の現場所長や工場長をみかけるようになってきました。しかし、それは現場からの叩き上げというよりも、トップダウンで上の部署からの横すべりの方がまだまだ多そうです。「職長」さんから「安全管理者」、そこから「製造部長」となって、「工場長」となる。こんな女性が多くなってきたら、職場ももっとかわると思います。
もっとも、それには「育児」等のライフスタイルが社会全体で変わっていく必要があるのですが・・・

「女性」で思いだしましたが、最近「講義」で次のようなことを説明したら、参加していた女性から叱られました。

「労働基準法で、女性の保護規定があるのは、母性保護を目的とするものだ」

因みに、この説明は、今から35年くらい前に、「男女雇用機会均等法」が施行される時に、婦人少年室(現在の雇用環境・均等部)が行っていた説明です。
この私の説明を聞いた女性は、私に対し

「女性は産む機械ではない」

と反論しました。私は、自分の説明不足を謝罪しましたが、そういえば、男女雇用機会均等法ができた時代から、厚生労働省の労働基準法に関する説明は変わってきたなと思いました。

次回は、厚生労働省の労働基準法の解釈の、明らかな変節をご紹介します(とは言っても、たいしたことではないのですが・・・)

それでも、京急だ

(京急新町検車区、by T.M)

10日程前に、踏切でトラックと衝突事故を発生させた京浜急行には、思い入れがあります。

私は、少年時代から青年期にかけて京急の沿線の街で育ちました。そして、監督官になって最初の9年間は日本全国を異動しましたが、今から25年前に京急・上大岡駅からの徒歩圏内に住むようになり、現在に至ります。ですから、61年間の人生のうち、約50年間京急を利用してきたことになります。

あの赤い電車には、高校時代を含めた青春の思い出がたくさんあります。そして、監督官時代に、ちょっとした事件で京急関係の会社の方と面談する機会を持ちましたが、その職業意識の高さと誠実さには、敬服させられたものでした。

京急は、ほとんど遅れません、京急は、めったに止まりません。どの鉄道会社と比べても、公共交通機関としての役割を果たしていると、毎日通勤に利用している私は思います

そんなに、素晴らしい京急であるから、労働安全衛生コンサルタントとして、私は申し上げます。

今回の事故について、京浜急行に多くの責任がある

今回の事故は、多くの労災犠牲者を生みました。亡くなったトラック運転手、ケガをした京急運転士を始めとして、乗客のケガ人の多くが労災に認定されると思います。労働基準監督署も、大規模災害として、あるいは死亡災害として調査中であると推察します。

今回の災害で責任を追及されるのは、次の3者でしょう。

  1. 京浜急行(運転士を含む)
  2. トラック会社(運転手を含む)
  3. 踏切に進入する道路を管理する行政機関

インターネット上では、私と同じような京急ファンが多いらしく、京急の責任を追及する声はほとんど見当たりません。また、トラック会社については、運転手が犠牲になっていることもあり、あまり非難する声が聞こえません。行政機関に非難が集中しそうな流れとなっています。

大きなトラックが狭い道に入ってこないような措置をとる責任が、管轄の行政機関にはあります。でも今回の事故の本質は、「線路上に障害物があるのに、なぜ列車が停車できなかったのか」というところにあると思います。

労働安全の分野では、「本質的安全化」・「工学的安全化」という言葉を使います。その意味するところは、「ヒューマンエラーは必ず起こるものであるから、人の判断に依存した安全対策(管理的対策)を行うのでなく、機械本来が自律的に安全の状態を維持できるようにするべきだ」というものです。

今回の事故について、「運転手が間違えて踏切にはいらないようにする」という措置は、あくまで運転手の判断に依存した、管理的対策です。また、「列車運転士が、ブレーキをより早くかければよかった」という意見も、個人に依存した措置です。

「本質的対策」もしくは「工学的対策」を目指すのなら、「物理的にトラックが踏切にはいらなようにする」あるいは「踏切に障害物があるなら、列車が自動停止する措置」を検討しなければなりません。これらの対策をとっても、「飛込み自殺」等は防げませんが、最大限に自動停止装置の活用は目指すべきでしょう。

(注)「本質的対策」等については、私が気づかない他の方法があるかもしれませんが、私が現在思いつくのは、この2つです。

私の尊敬する京浜急行ですから、今回の悲しい事故に対し、必ずや絶対的な(本質的な)再発防止措置を行ってくれると信じています。

最後になりましたが、亡くなられたトラック運転手の方のご冥福を祈るとともに、列車運転士の方及び乗客でケガをされた方々の、早期の労災及び通勤災害の認定処分がなされる事を願います。