私は建設現場の監督で恥をかきました(5)

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(続き)
翌日、私と次長はマンション建設現場に行った。そこは前日に最初に行った工事現場に似ていた。その時と違ったことは、私は工事用ロングスパンエレベータで屋上まで登ったが、次長は足場を歩いて屋上まで登ったことである。前の現場と変わらず、足場の上には物が置かれ歩きにくかった。次長は工事事務所に戻ると、工事日報や労働安全衛生法88条に基づく計画届の審査を行った。しかし、次長は36協定の有無を尋ねようとはしなかった。私と次長は監督終了後、後日に何らかの文書を交付するからと現場代理人に述べ、監督署に戻った。

監督署で私と次長は監督結果の検討会を行った。次長は尋ねた。
次長:「何か気付いたところは?」
私は答えた。
私 :「何も法違反はなかったと思います。」
次長:「お前の目は何も見てないのか。足場はどうだった。」
私 :「足場の上に機材が置かれていて、歩きにくかったくらいで法違反はなかったと思います。」
次長:「整理整頓が必要と思わなかったのか。」
私 :「えっ、労働安全衛生規則第540条(安全通路の確保)の違反ですか。」
次長の声が高くなった。
次長:「おまえは、法違反を見つけにいったのか、工事現場の安全確保のために行ったのか、どちらだ。」
そこで言葉を区切ると、しばらく私を睨みつけた。
次長:「違反の話をしたんじゃない。足場に乱雑に資材が置いてあったら危険だろ。それをなぜ注意しないかと尋ねているんだ。今日のように型枠の解体と組立を同時にしている時は、資材の置き場に困る。だからこそ、職人と現場代理人の連絡が非常に重要になるし、代理人の資質が1番分かる。」
私は、前日の最初の現場を思い出した。そこの足場の上には、確かに型枠資材が散乱していた。
(続く)

私は建設現場の監督で恥をかきました(4)

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(続き)
結局次の現場でも私は何の違反も指摘できなかった。
あせった。このまま是正勧告書を1枚も交付できなければ、無能の烙印を押されるじゃないか、そう思った。そして最後の現場に向かった。

最後の現場も前の2ヶ所の工事現場と同じで、何の違反も発見できなかった。ところが、書類審査でついに違反を見つけた。その現場で36協定が監督署に届出られていないことが判明したのだ。
私は意気揚々として、その現場の監督である若い代理人にそのことを告げた。その現場代理人は面食らったようであったが、
「ハー、時間外労働協定ですか。分かりました今後気をつけます。」
と述べた。その現場代理人が、とても素直に是正勧告書を受理したことが、少し意外だった。

(注) 「36協定とは」労働基準法第36条に基づく労使協定。使用者と労働者代表が残業時間の上限について締結する。すべての工事現場において、この書類を所轄労働基準監督署に提出することが義務付けられているが、本社で協定しているのに、現場単位で改めて協定することが馬鹿馬鹿しいことであることは言うまでもない。(当時、本社一括の36協定制度はまだなかった)

私の労働基準監督署の上司は次長のS原氏であった。彼は小柄で頭は完全に禿げており、いつもセカセカ動き回っていた。そして、「愛知局の労働安全衛生の鬼」として有名だった。
その次長が私の監督結果を見て、私に言った。
「建設現場へ行って、36協定の違反だけ指摘してきたのか」
私は他に何の違反もなかったことを次長に伝えた。次長は腕を組み、目をつむって話を聞いていたが、やがてこう言った。
「おまえ、おれと一緒に監督へ行ったことがなかったよな。明日、おれが建設の監督に行く。ついて来い。」
(続く)

私は建設現場の監督で恥をかきました(3)

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(続き)
ビルの中に設置された工事事務所にいくと、いかにも頭の切れそうな40歳代の男と、私と同年齢くらいの若い男がいた。私は、大声で挨拶をした。
「おはようございます。労働基準監督署ですが現場パトロールにまいりました。」
するとそれまで図面をにらみ、難しそうな顔つきをしていた40歳代の男が急に笑顔になって立ち上がり、
「ごくろうさまです。」
と述べ、私を向かい入れた。やはり彼が現場代理人だった。現場代理人と名刺交換をし、監督官証票の確認をしてもらっている間に、若い男がヘルメットと安全帯を持って黙っていなくなった。彼が一足早く現場に行ってしまう、急がなければと思ったけど、現場の状況把握が先だと思い返した。私は現場代理人に矢継ぎ早に質問した。

「工期は」「請負金は」「工事完成図を拝見させて下さい」「今日の作業はなんですか。出面(でずら)は何人ですか」「進捗率はどのくらいですか。計画どおりですか」
計画届及び日報を広げようとする代理人に対し、最低限の現場の状況を把握した私は、それはパトロールの後でと述べ現場に向かった。

10階建てマンションの建設現場で、鉄骨はすべて組みあがり、8階までの外壁が終わっていた。足場、型枠、鉄筋、コンクリート等が当日の出面だった。現場代理人は、まず私をロングスパンエレベータに案内した。そこで開閉スイッチ等を点検して終わると、現場代理人と一緒に屋上まで登った。そして屋上の鉄筋及び型枠の状況を確認し、建物内部の階段を利用し下まで降りてきた。

足場の上に資材が置かれ歩きにくかったが、法違反は見つけられなかった。「安全帯のごまかしを見破る」どころか、すべての足場にしっかり手すりがついていて、安全帯を使用しなければいけない場所がそもそもないように思えた。作業主任者等の資格類も整備されていた、機械の保全も万全だった。私は、何の指摘もできなかった。
ようやく、足場の1ヶ所に目がいった。階段の昇降口に手すりがないのだ。私がそのことを口に出すと、現場代理人は答えた。
「あそこに、手すりをですか」
現場代理人の目が光る。
「そうです、墜落の危険性があるからです。」
「そもそも、鋼管足場は規格品です。あそこに手すりをつけるとなると特注しなければなりません。いえ、監督署さんが法律だからつけろというなら、わが社は従います。文書を下さい。社の安全課で検討させます。」
自信がなくなった私は、這う這うの体で退去した。
(続く)

私は建設現場の監督で恥をかきました(2)

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(続き)
私は自転車に乗って最初の現場に向かった。
路上設置式のフェンスの向こうは、まさしく工事の最盛期だった。足場が整然と組まれ、その上で数人の労働者が打ち合わせをしていた。現場事務所へ向かおうとしたところ・・・、あせった。現場事務所が無いのである。そのビルの周りを何度も回った。でも、事務所が見当たらない。そこで、工事現場のガードマンさんに声をかけた。
「あのー、事務所はどこですか。」
作業服の胸の「労働省」のエンブレムに気づかれないとヒヤヒヤした。それをポケットの返しで隠すようにしていた。
先輩の言葉が頭に浮かんだ。

「臨検監督は抜き打ち。相手に現場を繕う時間を与えてはいけない。例えば足場上での安全帯の使用の有無なんていう法違反は、 現行犯でなきゃ是正勧告書は交付できない。こっちが来ることがわかりゃ、普段使っていなくても、すぐに安全帯を使用する」

だから、現場事務所を訪問するまでは、ガードマンであっても、正体が分かるのは好ましくまい。
(もっとも、あれから30年たってみて、つくづく思うが、工事現場の周辺をウロウロするたよりなさそうな不審者の正体にプロのガードマンさんが気づかないはずはない。)

ガードマンさんは、工事現場の隣のアパートを指し、「あそこの2階だよ」と教えてくれた。そして「用があるなら呼んでくるが」とも親切に言ってくれたが、それを丁重にお断りした。(携帯電話のない時代の話である)
私は、その日まで工事現場の中に必ず工事事務所が設置されていると思っていた。それまでに先輩や上司と監督にいった、地下鉄工事も高速道路工事も大規模マンション工事でも工事事務所は工事敷地内にあった。私は、現場事務所が通常どこに設置されているのか、そんなことも知らない素人だった。
(続く)

私は建設現場の監督で恥をかきました(1)

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監督官2年目の夏のある日、私はいつもより早く監督署へ行った。
心配で、朝早く目が覚めてしまったのだ。その日は、監督官になって初めて、工事現場の監督に1人で行くことになっていた。当然、抜打ち監督である。
何度も持ち物をチェックした。ヘルメット、ヨシ。安全帯、ヨシ。カメラ、ヨシ。安全靴、作業服、是正勧告書、使用停止命令書、公衆電話から署へ電話連絡するための小銭(当時、携帯電話はまだなかった)、監督官証票、監督官必携、名刺、建設現場監督のためのチェックリスト・・・等々。でも、まだ不安だった。

監督官の研修期間は当時18ヶ月だった。地方の監督署に配備され、そこで署の日常業務に接しながら、仕事を覚える。その間に埼玉県の朝霞の労働研修所で前後期合せて4ヶ月間の宿泊研修を受ける。後は地方局での独自研修と、先輩や上司からの実地訓練で、監督の要領を覚えるのだ。
建設現場の監督にはその研修期間に何度も行ったはずだった。当時、私が勤務していた名古屋北署の管内では、大規模工事として地下鉄工事と高速道路工事が施工されており、月1回にはどちらかのパトロールへ行っていた。
でも、練習を何度も積んでいたとしても、本番がそのままできるという訳ではない。その日の監督対象はマンション工事現場3件で、みな中堅どころのゼネコン。そこの現場代理人は新米の監督官より、当然に経験豊富であるはず。最盛期は関係請負人を合わせ1日100人の労働者に作業指示する。そんな現場代理人と面談し、2年目監督官が安全管理指示をする。
できっこないと、監督に行く前からあきらめていた。心の中で「これも勉強」とつぶやいた。しかし、意地の悪い先輩は「2年目監の勉強に付き合わされる現場代理人も偉い迷惑だな」と言う。そんなことは、これから監督へ行く私が1番分かっていた。
(続く)