(M氏寄贈)
表彰のことを大分長く書きすぎたので、今度の話で最後とします。
私が表彰の件でいい仕事をしたなと思うのは、表彰のことなど何も知らなかった監督官6年目で、宮城労働局の古川署に勤務していた時の出来事です。
一般的に署の労働基準監督官は表彰関係の仕事はしません。方面主任もしくは課長以上のもので対応するのが慣例だからです。だから、その時私は表彰制度というものを全く理解してなく、無知でした。
ある日、表彰担当の課長から、管内の工場等を監督する監督官として、何か安全衛生の良い事業場について心当たりはないかと、尋ねられました。表彰対象が、見当たらないというのです。
その頃はバブルの最盛期で、景気はとても良かった時期です。古川市(現在の大崎市)はアルプス電気やYKKといった大企業もいくつかあり、その関連企業も多数所在しました。私は、月に10件程度のプレス機械加工を代表とする金属加工業や電気機械部品製造業の臨検監督を実施していました。当時のプレス機械は、今では当たり前となった安全プレスは少なく、ピンクラッチが主体で事故も多発していました。また、プレス屋さんには、アーク溶接・ガス溶接・金属研磨等の作業が付随することが多かったのですが、授業員10人未満の零細企業では、安全設備に費用をかけることもなく、堆積粉じんで床が真っ黒な工場も少なくありませんでした。そしてそんな事業主相手に安全設備設置を指摘する私は、よくトラブルを起こしました。
工場を多数臨検する中で、ひとつ驚いた工場を見つけました。従業員7人の工場ながら、プレスの安全装置は完璧で、研磨装置1台1台に局所排気装置が設けられ、工場床は光るように清潔でした。そこの社長さんは、何年か前に職人さんから独立した人で、汚い工場が嫌いで、ともかく清潔な工場としたので、結果的に安全設備に金をかけることになったと話していました。