(ノイウルム駅にて、by T.M)
9/10 東洋経済
「パワハラ的な霞が関の文化が見え隠れしている」――。
パワハラ疑惑を内部告発された兵庫県の斎藤元彦知事に対する辞任圧力が、日増しに強まっている。
斎藤知事は8月30日、9月6日に県議会の百条委員会で一連の疑惑に関する証言を行い、パワハラの疑いがある県職員への言動をあくまで「業務上の指導」などと主張。最後まで自身の行為がパワハラに該当するかは認めず、職員との間での認識の違いが際立った。内部告発した職員に対する懲戒処分などの県の対応も、「法的に適切だった」とする立場を貫いた。
百条委でのやり取りで印象を残したのが、斎藤知事が自身の総務官僚時代の経験を念頭に置いたうえで、自らの仕事観を説明した場面だ。「コミュニケーション不足で職員の受け取りにズレが生じた」と弁明する斎藤知事の問題視された言動について、総務省関係者は冒頭のように指摘する。
この記事のとおりであると思います。「滅私奉公」と言えば聞こえがよいが、齋藤知事は自らが、「ゴマすり」をやってきたのです。彼は、「オレは組織の中心だから、オレが近くにいる時は、回りの者はオレの一挙一動を見ていろ。そして気をつかえ。オレは偉いんだ」と本気で思っているのでしょう。なぜなら、「上司(大臣)を絶対に偉い」と思い、それに気を遣う自分を誇りしてきたのですから。
まさしく、公務員の鏡です。もっとも、現場で働く公務員、例えば労働者に「無能」と呼ばれ、経営者から「態度が悪い」と言われ、日夜労使紛争に悩まされる署の現場の労働基準監督官の仕事では、このような対応は通用しません。しかし、監督官も地方労働局や本省に行くと、こんな人が増えることになります。
今回は、私が見聞した「労働局のゴマスリの実態」をご紹介します。
最初に紹介するのは、今から20数年前に神奈川労働局に本省からきたSという監督課長です。Sは元々監督官でしたが、志願して本省に転勤した出世志向の強い監督官でした。私は当時監督課に平職員として在籍して予算を担当していましたが、課長は年齢は私と変わらないのですが、組織内での立場は私と天と地ほどの違いがありました。私は、監督署の現場から離れた、最初の労働局勤務でしたが、この課長は「霞が関文化」というものを私に教えてくれました。現場で、「切った、張った」を繰り返していた私にとって、初めて触れる文化でした。
その課長は、予算のことに厳しく、10円単位でも細かくチェックしてくる人でした。そんな課長でしたが、突然に「新しい電動自転車を監督課の予算から購入しろ」と言われました。私は、「へえー、職員のための備品を買うなんて珍しいな。横浜市内の災害調査には便利かな」と思って購入手続きを進めていたところ、課長からこんなことを言われました。「基準部長(課長の上司)が中華街まで昼飯を食べに行くが、その時に使用するからな」
要するに、上司へのゴマスリのために予算を使用するということです。もっとも、そういう「気遣い」を喜ぶ労働基準部長ではありました。
また、こんなこともありました。当時神奈川労働局には外国人労働者の通訳(非常勤)が2名勤務していました。英語とポルトガル語の通訳でした。ポルトガル語の通訳の方は、専門ではありませんでしたが、スペイン語も通訳可能の方でした。
(注)スペイン語とポルトガル語は非常に似ていて、南米系労働者の通訳は両方の言語ができる人が多い。
ですから、通訳をもう一人増やすということは、私は中国語の通訳を探すのかと思っていまたが、何とスペイン語の通訳をもう一人増やすということでした。しかも、誰を雇用するのかも、S監督課長は指定しました。当時の秋田労働局基準部長の奥さんを雇用しろというのです。この通訳の方は雇用した時の経緯はともかく、とてもいい方だったのですが、今から考えると、このS監督課長の行為は犯罪行為だったと思います。
まあ、このS課長なんですが、多分本省では、「いい奴」「気が利く奴」で通っていたと思います。でも、最終的に思っていたほど出世はしなかったと噂に聞きました。多分、見抜かれていたところがあったのだと思います。