「安全第一」でない職場

(五島美術館の庭園、by T.M)

先週、熊本市で行われた某安全衛生協会主催の「労働安全衛生相談会」へ相談員として出張参加してきたんですが、街が活気に満ちていることに驚きました。この相談会関係で、札幌と仙台にも今秋行きましたけど、この2つの都市と比べて、何か明るい感じがしました。地元の方に聞くと、台湾のTSMCの工場が建設されたことによって雰囲気が変わったということでした。何でも、工場の食堂のパートタイマーの時給が2000円近くするそうです。景気が良いと人々の顔が明るくなる。経済って大切だなと思いました。

「劇場版・ドクターX FINAL」を観てきました。これで最後ということで、脚本に相当気合が入っていたみたいで、非常に満足できる作品でした。この作品から思ったことなんですが、「医師というのは、患者のために危険を伴うこともある」ということです。もちろん、これはドラマの中で、「理想の医師」ということで誇張されているところもあるのかもしれが、一般人はやはりそういう医師を尊敬します。

この映画を観たせいではないのですが、最近、「安全第一ではすまされない職場もある」ということをしみじみと感じています。この「安全第一」という考え方は、私が新監時代に叩き込まれたことで、仕事の金科玉条でした。私は企業から新人職員の安全教育を依頼されると、必ず冒頭に次のような話をします。

「君たちが、飲酒等の重篤な過失がない職務上のミスで会社に1億円の損害を与えたとしても、企業はそのミスで君たちを解雇することは難しい。しかし、君たちが安全を軽視した行動をした場合、例えばヘルメットをしなければならない場所で、何度も注意を受けてもしない場合は、その理由で解雇されることもある。」

私が自分の信念に疑問を持つようになったのは、昨年から某教育委員会関連の仕事をするようになったからです。公的な教育委員会というのは労働基準監督署が臨検監督権限をもたないので、私にとっては未知の業界でした。

そこで、教育委員会の安全管理体制等を調査していくと、その意識が民間企業と比較するとどうも違うように感じます。その原因を考えていくと、教育界というのは、「(職員の)安全第一」ではないことに気づきました。教育界は、「(生徒の)安全第一」が当然であり、職員の安全はその次なんですよね。そのことを考えたら、東日本大震災の時に、生徒とともに殉職した教職員のことを「大川小学校」の事件を思い出しました。

そんな訳で、「(職員の)安全第一」が絶対ではないと考えたのですが、これは医療従事者や教育関係者だけでなく、公共交通機関の運転手や災害時の避難を呼びかける大型商業施設等の従業員も同じだと気付きました。

自らの安全を考えずに仕事を行う方々に敬意を表したいとともに、「安全第二」は絶対に守ってくれよと改めて思う、年の暮れです。

サンクチュアリと労災

(野毛山貯水池からの眺め、by T.M)

ットフリックスの「サンクチュアリ」を2日で一気見しました。相撲界を描いた作品ですが、ネットフリックスの日本ドラマの中では最高傑作だと思います。ただ、この作品については、本物の相撲協会は一切協力していないという話です。まあ、八百長とか暴力行為とかが描かれているから当然と言えるのでしょうが、それにも勝る「相撲文化へのリスペクト」がこの作品にはあるので、表立った賞賛はできないまでも、陰ながら応援してもいいような気がします。

さて、「労働災害の撲滅」を生業としている私としても、この作品には言いたいことがあります。主人公の父親は九州でお店を経営していた腕の良い寿司職人でしたが、騙されて店を手放してしまい、一家崩壊となり、母親は男遊びに狂い、父親は建設現場で交通誘導の警備員をしていました。そんな家族崩壊の中で主人公は相撲部屋に身を投じるのですが、ある日、東京の相撲部屋に母親から連絡があります。

 「父親が建設現場の警備の仕事をしている時にクルマにはねられた。ひき逃げだ。父親はまだ意識が戻らずに入院している。もう意識が戻らないかもしれない。私はお金が払えないので、オマエが相撲で稼いで、私に入院代を送金してくれ。」

このストーリー展開には無理があるなと思いました。だって、労災事故ですから入院費は無料だし、その間の休業補償もあるはずです。案の定、後日ネタが割れます。主人公が取組最中に、相手の張り手が強烈で耳をそがれるといった事故が発生するのですが、主人公の所属する相撲部屋の親方からその事故のことを聞いた母親は、「労災保険はないのか」と尋ねているのです。つまり、父親の入院費用は労災保険からきちんと支払われているのに、そんな制度のことを知らない主人公から、母親はお金を巻き上げようとしたということです。

しかし未成年といえども、主人公がまったく労災保険制度を知らなかったという設定はどうなんでしょうか?もっとも、ユーチューブ検索しても、「親が労災事故で死んでしまったから、母親と一緒に極貧の中で育った」というようなことを言っている動画もあります。労災事故で伴侶をなくしたシングルマザーには、子供が18歳以上になるまでは、だいたい月に10万以上の労災支給金が支払われますので、決して十分とはいえませんが、他の理由でシングルマザーとなった方よりも、経済的な面については恵まれているといえます。だから、「極貧」をイメージさせるに、「親が労災事故でなくなった」というシチュエーションを設ける動画には違和感を覚えます。

何か義務教育で、しっかりと労災保険のことを教えた方がいいのではないでしょうか?若い人が世の中にでた時に悪徳事業主に騙されないように、そうした方が良いと思います。

忘れたいこと

(山梨県のクリスタルラインと愛ジムニー、by T.M)

テレビドラマ「BRIDGE はじまりは1995.1.17」を観ました。このドラマは、阪神・淡路大震災の時に、崩壊したJR六甲道駅を、「ジャッキアップ」という過去に例のない工法で、2年間かかると言われた復仇をわずか74日間という短期間でなしとげた建設会社の物語です。実在する「O組」という会社がモデルだそうですが、この工事については、2005年にNHKのプロジェクトXでも取り上げられたそうです。

番組は事実をヒントに作られていて、工事に携わった方々の献身的な仕事振りがドラマが中心です。しかし、ドラマの構成上、完全にフィクションの部分があります。その中で興味深く思えたのが、災害から23年後の現在の神戸で、その工事の一部始終を当時撮影したという元作業員が、不良高校生に当時の思い出を語る場面です。その少年は、地震の慰霊碑にスプレー缶を使用し、落書きをして警察に補導されたという設定でした。少年は単なるイタズラとしてそんなことをしたのですが、その場面を目撃した元作業員は、少年を補導した警察官に「少年の父」だと嘘をつき、少年を救出します。そして、そのような事をした理由を、元作業員が次のように少年に述懐します。

「オレは嬉しかったんだ。震災が過去の出来事として、特に気にしなくなっていることが」

この言葉の言い回しは、正確には憶えていないのですが、言いたいことについては、そういう考えもあるのだなと思いました。

私はいつの日か、東日本大震災の時の福島原発の時に苦労した作業員のドラマができることを望みます。事案を時系列に紹介するといったドラマは過去あったようですが、作業員の方々のご苦労を真正面から描いたものは、まだ無いように思えます。

本社から「止めろ」と言われても、現場で原子炉に海水の注水を続けた吉田元所長の決断や命懸けのベント作業等を描いたら、緊迫したドラマになると思います。

もちろん、「増え続ける汚染水」「除染作業の動向」「見通しが立たない被災地の復興」「最大の課題である燃料デブリの取出し作業」「被曝労働者の労災認定」等の現実を考えると、ドラマなどできません。阪神・淡路大震災は関東大震災のように過去の出来事となりつつあるのかもしれませんが、福島原発の問題はリアルだからです。

だからこそ一日でも早く、この問題が過去の出来事となる日が来ることを祈ります。

この「BRIDGE」のドラマの中で、工事現場の所長が繰り返し「労働者の安全が第一」と述べていました。実際の現場もそうであったのだろうなと想像すると、元労働基準監督官としては、少し嬉しくなりました。

 

映画と過労死

 

 

 

(映画「オールザットジャズ」のDVD表紙)

私の住む横浜市の上大岡地区には、スクリーン数が9ほどの映画館があります。そこで、毎朝午前10時から「午前10時の映画祭」と名付けて、昔の名作映画を放映しています。今朝、1979年の映画「オールザットジャズ」を観てきました。この作品は、新しい形のミュージカル映画と賞賛され、アカデミー賞の美術賞・音楽賞の各賞、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した名作です。次のようなストーリーです。

「ブロードウェイの演出家のジョー・ギデオンは、忙しく不規則な毎日がたたり、ジョーは倒れてしまう。薄れゆく意識の中で彼は自分の人生をミュージカルを見ているように思い返す。」

主人公は心臓発作で死ぬ訳ですが、その原因は過労です。彼はショービジネスの世界で、休日も休まず、昼夜に渡って働いています。現在日本で、彼がもし「労働者なら、過労死の労災認定は可能だと思います。

彼は働き過ぎの人生を後悔して死んでいったのでしょうか。答えはノーです。彼は死に際して、自分の人生を振り返りますが、それは全て仕事の思い出です。

自分の「労働」に対し、このように肯定的に捉えられる人は確かに存在します。そして、今回の働き方改革は、そのような「労働」に対し、「裁量労働制」等の働き方を提案したものでしょう。

でも、労働基準監督官だった私はふと思うのです。この映画のように、「才能ある演出家」の無茶苦茶な働き方を支えるために、いわゆる「事務方」と言われる人は、演出家の我儘に振り回されてどれだけの長時間労働になっているかと。

「演出家」は生産性が高く(金を稼ぎますから・・・)、長時間労働であっても本人は納得できる仕事です。しかし、「事務方」は生産性が低く、受け身の仕事です。演出家がどれだけ働こうが、それは自己責任という部分がありますが、それに付き合う「事務方」まで、同じショービジネスの世界だからといって長時間労働はまずいでしょう。「働き方改革」はこのよう「事務方」の労働にどのような影響を与えるでしょうか。

日本のショービジネスに多大な影響を与え、自らも製作を手掛けている電通の職員の過労死事件を、なんとなく「オールザットジャズ」を観ていて思い出しました。

 

解雇予告除外認定

(by T.M)

会社内部の同郷の者同士の飲み会で、A労働者が酔って後輩のB労働者をなぐってしまったところ、A労働者は全治2週間のケガを負い、翌日から会社を休業してしまった。トラブルの原因は、A労働者が日ごろB労働者のことを「年上を敬わず、生意気だ」と感じていたからである。

さて、この事件は「日馬富士」と「貴の岩」の話です。もし、この2名が「労働者」であった場合、貴の岩のケガは、労働基準監督署長は労災認定するだろうかと考えました。純粋に事業場外で行われた私的行為の飲み会のようですし、業務起因性はないと思いました。しかし、自分の判断に自信がなかったので某労働局の某署の現職の労災担当官に意見を尋ねました(彼は、変人ですが、こういう場合の判断は間違いません)。すると、意外なことに「これは、絶対に労災になる」と断言してくれました。なんでも、今の世の流れで、このようなケースは「労災」にしないとまずいらしく、PTSDが発症し治療が長引くケースもあるそうです。

労災認定の判断基準とは、膨大な「前例」の体系化であると考えれば、これは理解できます。そういえば、部下が上司を「刺し殺した」労災事件の災害調査を、私はしたことがあります(もっとも、それは業務起因する上司の言動が犯行の原因でした)。

こういうケースが「労災」であるなら、「事業主」は再発防止にどんな手段をとれば良いのか、難しいところです。

この事件を別の側面からも考えてみました。A労働者の「解雇予告除外認定」が事業場から申請されたら、自分としてはどう判断したでしょうか。

 (注) 解雇予告除外認定申請とは、労働基準法第20条に基づく申請。労働者を即日解雇する場合は、事業主は平均賃金30日分を労働者に支払わなければならないが、労働基準監督署長に、その解雇が「労働者の責によるもの」であることを認定してもらえば、それを支払わなくてよい。よく誤解されるのだが、この認定処分は、「解雇の妥当性」を監督署が判断するものではない。

これは、とっても悩むと思います。「酒の上のケンカ」であるのか「職場でのイジメ」であるのかの事実関係の特定がまずは重要です。そして、最後は被害者(B労働者・貴の岩)の「処罰への意見」を参考にして結論を出します。まあ、「本人同士が丸く治めよう」という気があれば有耶無耶にできる事案でもあります。

ここまで書いて、思いました。貴乃花の現役引退は2003年の初場所で、白鵬の入幕は翌年の初場所だそうで、すれ違いということです。名横綱2人の「土俵上での戦い」を観たかったと思います。