ブラック企業の逆襲

(by T.M)

足袋を製造している会社が、商品の社会的な需要の先細りに対応するため、スポーツシューズの製造販売を新たに行うこととした。主力商品の関連事業とはいえ、新規開発は困難を極め、社長は必死に努力するが、労働者には「長時間労働」を強い、その分の「残業代」さえ支払えなかった。そして、「残業代」のことが、経営者と労働者の間で話題になると、経営者はこう答えた。「それを払ったら、ウチはつぶれてしまう」 残業代未払いの労働者の多くは、ミシンを踏む工場の女性労働者であり、年配の女性労働者の一人は、業務との因果関係は不明だが、業務中に倒れてしまう・・・・

もちろん、これは日曜日の午後9時から放送されている、池井戸潤原作のドラマ「陸王」の中の主人公が社長である「こはぜ屋」の話です。こう書いてしまうと、改めてこの「こはぜ屋」は「ブラック企業」だなあと思います。次回からのドラマの展開は、いよいよライバルのスポーツシューズの製造販売の大企業(「A社」と呼ぶ)とのせめぎ合いが始まり、様々な嫌がらせがA社から受けるという展開になりそうなのですが、私なりに次回以降のドラマのストーリーを考えてみました。

「こはぜ屋」のシューズがライバルA社を圧倒する事実に、A社は妨害工作を考える。それは「労働基準監督署にこはぜ屋の労働基準法違反」を通報することであった。匿名情報を得た労働基準監督署は、予告なしで臨検監督を実施し、賃金台帳とタイムカードを押収し、違反を特定し、未払い残業代の遡及是正を社長に命じる。まさに、是正勧告書を交付しようとした瞬間、女性労働者(阿川佐和子が扮する者)を先頭に、その場に労働者がなだれ込んで来て、次々にこう述べる。「私たちは、残業なんてしてません。毎日、職場で夜遅くまでおしゃべりをしていて、帰りが遅くなったんです。」「労働基準監督署の調査なんて、私たちは誰も協力しません。」「私たちが誰一人問題にしていないのに、なんで残業代を社長が払わなくてはいけないのですか。社長は会社がもうかればボーナスをくれると言ってます。」

監督官は、若い男と初老の男の2人で来ていたが、若い監督官が、何か言いかけるのを初老の男は止め、次のように述べる。

「それでは今後は、気をつけて下さい。次はないです。それから過労死だけは気をつけて下さい」

(ここで、平原綾香の歌う、ホルスト作曲「ジュピター」が流れる。)

あれ、自分で書いていて、何かいいじゃないかと思えてきました。けっこうドラマになるんじゃないでしょうか。ついで、次のようなオチはどうでしょう。

A社の一室で、次のこはぜ屋への嫌がらせが画策されている時に、いきなり何人もの男たちが入ってくる。そして書類を翳して、述べる。「これは、捜査令状だ。労働基準法違反の疑いでここを捜査する。」

実はA社でも日常的にサービス残業が発生しており、従業員の一人が労働基準監督署に密告したのであった・・・

ドラマを観ながら、秋の夜長にこんなことを考えることは、私の小さな幸せです。

バイトのくせに・・・

(紅葉、by T.M)

「バイトのくせに」「バイトだから責任感がない」「所詮、バイトは」・・・

これは、先週木曜日に放送されたドラマ「ドクターX」の中で、主人公大門未知子医師に浴びせられた罵声です。

ところが、ご存知のように、手術をさせたら、この大門医師を超える医師は組織の中にはいません。そして、医師の技術だけでなく、「患者ファースト」の医師としての志も、大門氏は並の医師をはるかに凌駕します。(さすがに、この「志」の部分は、大門氏に匹敵する医師が、ドラマ中に何人かでてきますが、腕とハートを兼ね備えるのは彼女のみです)

ドクターXの脚本家の中園ミホ氏は、ドクターXの第1シーズン(2012年)に先立つこと5年前に、「ハケンの品格」というドラマを脚本し、放送文化基金賞を受賞しています。

このドラマの主人公は篠原涼子さんが演じていましたが、「無数の資格を持つ、時給3000円を超えるSクラスランクの女性派遣社員」という設定であり、物語はその主人公が組織の者を超える活躍をする話ですが、テーマはドクターXと共通しています。

また、中園氏は、NHKの討論会において、「過労死は自己責任」「派遣社員は幸せだ」「労働基準監督署は不要だ」と述べる経済同友会の幹事の実業家奥谷礼子氏に対し、「いま私、ここの間に深くて大きい川が流れているような気がしたんですけど」と述べ反論したことでも知られています。

来年のNHKの大河ドラマ「西郷どん」は、その中園氏が脚本を担当します。今から、とても楽しみです。

ブログ再開です - 就職しました

(鬼怒川の紅葉、by  T.M)

労働安全衛生コンサルタント事務所を開設してから18ヶ月間、様々な人々に出会い、たくさんのアドバイスを頂き、色々な経験をし、貴重な時間を過ごしましたが、認知症の母の介護施設への入所を契機に再就職することとしました。

ご支援頂きました方に厚く御礼申し上げます。 

今度の職は、労働安全衛生コンサルタントの資格と、労働基準監督官での経験が生かせるもので、主な仕事は労働安全衛生法関係のセミナー講師と企業の安全診断です。この職での仕事のことや職場の件は守秘義務があるので一切書きません。 

今は毎日、東京まで通勤しています。フリーランスだったころの気ままさと比べられないくらい規則正しい生活です。

今年の6月と7月(安全週間の前後)は、忙しかったです。6月30日に大阪の講演会、翌日青森で某社の安全大会の出席し、その翌々日には新潟なんてこともありました。この2月で×百万円を超える収入がありました。そのかわり8月は悲惨でセミナー1件35000円しか収入がありませんでした。このジェットコースター生活から、今は毎日9時ー5時の生活です。報酬もそこそこです。

― というより、60歳の元公務員の再就職としては良い方だと思う。上をみたらキリがありません。 ー

 

ブログもやめようと思いましたが、これまでの7万件近いアクセスがありましたし、何よりも今まで写真を提供してくれたT.M氏(相変わらずポルシェに乗っています)が、継続しろというので、自分の思い出話なんぞ、これからも細々と書いていくつもりです。

今までのように、週2回更新という訳にはいかないので、週1回・日曜日更新を目標とするつもりです。

(できなかったら、ごめんなさい。)

 

元労働基準監督官のムダ話、今後もよろしくお願いします。」

 

私の出会った人々

さて、労働安全衛生の話をするのなら、次の碑のことから始めなければいけません。

 

この碑は大桟橋の傍ら、波止場会館の敷地にひっそりと建っています。港の仕事で亡くなった人たちを追悼するために、関係者が建立したものです。 毎月1日の午前9時になると、この碑の前に何十人もの作業服姿の男たちが集合します。そして碑に黙とうを捧げると、4,5人が1グループとなり、それぞれ港湾の現場パトロールに行きます。パトロールはたいへん気合いが入った厳しいもので、些細な安全管理の手落ちも見逃しません。

「おい、そこに手すりを設けろ」「歩み板はどうした」「チェンソーの使い方はそうじゃないだろ」・・・・

パトロールの後は波止場の事務所で検討会に入り、反省点が語られます。 このようなパトロールはえてしてマンネリに陥りやすいものですが、このパトロールは違います。それは、パトロールの前に行う慰霊碑への黙とうがすべてを物語っています。 港湾労働者の死亡災害の災害調査をしたことがあります。その労働者の自宅は、労働契約書には「福富町のサウナ」と記載されていました。

それぞれの人生を歩んできた人たちが港湾の現場で働いています。そして、その人たちの安全を願い、守る人がいます。 まずは、このブログの最初にそのことを記載します。

 

普通の日記(29年9月19日)

(野反湖、by T.M)

先日、「三度目の殺人」という映画を観ました。拘置所の謁見室での、殺人の疑いをかけられた男とその弁護士の会話を中心に話が進んでいきます。その映画を観た時に、監督官時代のある人との会話を思い出しました。 

ある大手流通業の社長を監督署に呼出し是正勧告書を交付したことがあります。理由は残業代不払・サービス残業です。その会社では、従業員たちが一定の時刻にタイムカードを打刻し、その後でも働いていました。従業員による匿名申告で事件が発覚したものです。 

「申し訳ございませんでした。」社長は、監督署の事務室で私と名刺交換をした直後に、こう切り出しました。私は尋ねました。「なぜ、謝るのですか。」

社長:残業代を払いませんでした。

私 :残業代を払わないことは悪いことですか。

社長:(怪訝そうに)法律違反だから悪いことです。

私 :人を殺すことは悪いことですか。そして、それは法律違反だからですか。法律に違反していなければ、人を殺すことも許されますか。サービス残業は、単に法律に違反しているから悪いことですか。

社長: ・・・・・ 

さらに私は質問を続けました。

私 :なぜ「私」に謝るのですか。

社長:いえ、個人的に「私からあなたへ」謝った訳でなく、「法人から行政機関に対し謝罪している」ことを表現したかったのです。

私 :今回の法違反について、「法人から行政機関に対し」謝罪する必要はありません。謝罪するなら、被害労働者に対し行うべきではないですか。

社長:・・・・・

 

もちろん、この時私は、社長のことを試していたのです。

随分と(私は)上から目線ですが、それは会社としての法違反の事実があるからこそ、一介の監督官が大企業の社長に対しできる会話です。 

私は、多分この時、「この社長」がなんとなく「善人だ」と感じ、コミュニケーションを取りたくなったのたのだと思います。

監督官をやっていると、そんな一瞬が時々ありました。