私は建設現場の監督で恥をかきましたー外伝(2)

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(続き)
製造業と建設業の安全管理の違いについて、もう少し説明する。

製造業と建設業の相違で一番顕著なものは、労災保険の適用の問題である。大規模製造業の甲社の敷地内に、構内協力会社として、乙社、丙社があるとすると、甲も乙も丙も、それぞれ個別に公的な労災保険に加入しなければならない。労働基準監督署に「継続事業」として登録するのである。
建設業の場合は、元請けが労災保険に加入する。つまり、元請けA社の1次下請けにB社、2次下請けにC社とあれば、A社はB社、C社の労働者の分を含め労災保険に「有期事業」として登録されるのである。その労災保険料は、例えば元請けA社の請負代金を基に算出される。
元請けに建設現場の統括責任を負わせるといった制度は建設現場の安全管理に有効なのだが、ここで問題がいくつか発生するケースがある。それは、プラント建設工事等によく見受けられるのだが、施工能力のない元請けが名目上の元請けになってしまうことがあるのだ。例えば、地方公共団体が、大きなゴミ処理プラント工事を発注し、プラントメーカーが受注した場合、プラントメーカーは工事が困難になればなるほど、その工事を優秀なゼネコンにまかせ、自分たちは機械の納入、据付け工事だけを行うケースが多い。しかし、地方公共団体の入札は自分たちがやるので、名目上の元請けは工事開始から最終までプラントメーカーということになってしまう。この偽装請負と紙一重の施工管理体制では、うまく仕事が回っている時は良いが、一度歯車が狂うと、責任体制があいまいとなってしまうのである。

今回、監督署のY監督官が担当となった事故はまさしくそのケースだった。工事は大手電鉄会社のX社が書類上元請ということになっていた。しかし、実際は鉄道工事専門ゼネコンのY社が施工管理を行っていたのだ。今回の事故で、Y監督官は、マニュアル通り、元請けのX社の代表取締役宛てに指導票を交付したが、それが気に入らないとしてX社がY社をはじめとする下請けの主だった者を引き連れ、監督署に文句を言いにきたのだ。
カウンターで講義を続けるX社の4人は、元請の安全衛生の責任者とその部下たちだが、どうも全員が現場を知らない事務屋さんのようだった。
(続く)

私は建設現場の監督で恥をかきましたー外伝(1)

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私の尊敬するS原氏のことをもう少し書きたい。

ある日、私が監督から戻ってくると、監督署の相談窓口がなにか騒がしい。カウンターの前には、私の先輩のY監督官が座っている、その前にはスーツ姿の男が4人。そして、その後ろには10人位の作業服姿の男が起立して控えている。

私は席に戻ると、隣のA女性監督官に事情を尋ねた。
「どうしたんですか・・・」
「ほら。こないだの電鉄事故・・・」
とA女史は話はじめた。
先日、私鉄の電線工事に関係して労災事故が発生した。高所の作業場で電極が剥き出しになっている個所があり、通電中にそこに接触した労働者が墜落し、事故後4ヶ月たった現在まで意識が戻らないのだ。
その事故の担当となった、私より1年先輩のY監督官は、2週間ほど前に現場代理人を呼出し、安全管理体制の是正を求め文書指導を行ったのだ。
ところが、ややこしいことにその現場の統括責任者は現場に一度も来たことのない、電鉄会社だったことが、この騒動の原因なのである。

建設業の現場について不明な方に断っておくが、建設現場の安全管理体制と言うのは、法律上、製造業等の他業種とはまったく違うものである。
派遣法ができてからは、特に厳しくなったが、製造業においては、元請けは同じ工場で働く下請け労働者が不安全行動をしていても、直接是正の指示ができない。例えば、粉じん職場において、粉じんマスクをしていない者を元請け職員が現認しても、直接に「マスク着用」と指示せずに、その下請労働者の所属する会社の責任者に述べてから、その責任者を通し労働者に注意してもらうしかないのである。なぜなら、もし元請けの労働者が直接に下請けの労働者に「マスク着用」と言えば、元請労働者が下請労働者を指揮命令したことになり、偽装請負の問題が発生してしまう可能性があるのだ。
(もっとも、私の知合いの某自動車部品工場の工場長は、こう言っている。「労働安全に元請けも下請けもあるか。不安全行動しているものがいたら、気づいた者が注意しろと私の工場では決めている。」 私はこの工場長が正しいと思うが、それを書くと長くなるので、また後日)

(続く)

私は建設現場の監督で恥をかきました(6)

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次長の話は続いた。
「おまえは、違反を指摘できないか、そればかり考えていた。
しかし、違反を指摘するかどうかは瑣末なことだ。災害をなくすために、安全確保を指導することが監督の目的だ。
労安法は最低限の基準を定めたものだ。それを把握していない、おまえが確かに悪い。それは、未熟なおまえを監督に出した俺たち上司の責任でもある。だがな、監督官は現場にでなきゃわからないんだ。
ゼネコンの現場代理人はとても勉強している。労安法に関しては、今のおまえよりはるかに理解している者が多い。おまえは、苦しまぎれに労基法第32条違反(36協定未提出違反のこと)を指摘した。だが、そんなおまえの考えなど現場代理人は見抜いている。おまえは、やってはいけない失敗をしたんだ。」
私は、是正勧告書を受取った時の現場代理人の苦笑を思い出した。
「そんな優秀な現場代理人たちだが、今のおまえと同じように、違反をなくせばいいと考えている者も多い。
おまえは、もっと勉強しろ。現場で分かんなきゃ、代理人に食い下がって質問しろ。そしておまえはもっと恥をかけ。おまえのような半端者に、完璧な監督ができるなんて誰も思っていない。それで相手に迷惑をかけたと思ったら俺に言え。俺はいつでも、おまえに代わって謝りに行く。
おまえはまだ、恥をかける立場だ。そのうち、恥をかけない時がくる。それまで、恥ずかしい思いをたくさんしろ。」
「それから、建設現場では工事用エレベーターに乗るな。確かに、ロングスパンのエレベーターのロック装置やリミットスイッチを確認した後は、おもわずそれに乗ってしまうことがある。だが、それでは足場の細かいところは分からない。労働者が働いている場所はすべて歩け。足でかせげ。」

その後、私は退職の日まで、現場で工事用エレベータに乗ったことはなく、勉強不足から来る恥かしい思いもたくさんした。そして、いつしか部下の代わりに謝りいく立場にもなった。
でも、S次長を超えるような監督官にはなれなかった。それが、少し悔しく思う。

私は建設現場の監督で恥をかきました(5)

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(続き)
翌日、私と次長はマンション建設現場に行った。そこは前日に最初に行った工事現場に似ていた。その時と違ったことは、私は工事用ロングスパンエレベータで屋上まで登ったが、次長は足場を歩いて屋上まで登ったことである。前の現場と変わらず、足場の上には物が置かれ歩きにくかった。次長は工事事務所に戻ると、工事日報や労働安全衛生法88条に基づく計画届の審査を行った。しかし、次長は36協定の有無を尋ねようとはしなかった。私と次長は監督終了後、後日に何らかの文書を交付するからと現場代理人に述べ、監督署に戻った。

監督署で私と次長は監督結果の検討会を行った。次長は尋ねた。
次長:「何か気付いたところは?」
私は答えた。
私 :「何も法違反はなかったと思います。」
次長:「お前の目は何も見てないのか。足場はどうだった。」
私 :「足場の上に機材が置かれていて、歩きにくかったくらいで法違反はなかったと思います。」
次長:「整理整頓が必要と思わなかったのか。」
私 :「えっ、労働安全衛生規則第540条(安全通路の確保)の違反ですか。」
次長の声が高くなった。
次長:「おまえは、法違反を見つけにいったのか、工事現場の安全確保のために行ったのか、どちらだ。」
そこで言葉を区切ると、しばらく私を睨みつけた。
次長:「違反の話をしたんじゃない。足場に乱雑に資材が置いてあったら危険だろ。それをなぜ注意しないかと尋ねているんだ。今日のように型枠の解体と組立を同時にしている時は、資材の置き場に困る。だからこそ、職人と現場代理人の連絡が非常に重要になるし、代理人の資質が1番分かる。」
私は、前日の最初の現場を思い出した。そこの足場の上には、確かに型枠資材が散乱していた。
(続く)

私は建設現場の監督で恥をかきました(4)

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(続き)
結局次の現場でも私は何の違反も指摘できなかった。
あせった。このまま是正勧告書を1枚も交付できなければ、無能の烙印を押されるじゃないか、そう思った。そして最後の現場に向かった。

最後の現場も前の2ヶ所の工事現場と同じで、何の違反も発見できなかった。ところが、書類審査でついに違反を見つけた。その現場で36協定が監督署に届出られていないことが判明したのだ。
私は意気揚々として、その現場の監督である若い代理人にそのことを告げた。その現場代理人は面食らったようであったが、
「ハー、時間外労働協定ですか。分かりました今後気をつけます。」
と述べた。その現場代理人が、とても素直に是正勧告書を受理したことが、少し意外だった。

(注) 「36協定とは」労働基準法第36条に基づく労使協定。使用者と労働者代表が残業時間の上限について締結する。すべての工事現場において、この書類を所轄労働基準監督署に提出することが義務付けられているが、本社で協定しているのに、現場単位で改めて協定することが馬鹿馬鹿しいことであることは言うまでもない。(当時、本社一括の36協定制度はまだなかった)

私の労働基準監督署の上司は次長のS原氏であった。彼は小柄で頭は完全に禿げており、いつもセカセカ動き回っていた。そして、「愛知局の労働安全衛生の鬼」として有名だった。
その次長が私の監督結果を見て、私に言った。
「建設現場へ行って、36協定の違反だけ指摘してきたのか」
私は他に何の違反もなかったことを次長に伝えた。次長は腕を組み、目をつむって話を聞いていたが、やがてこう言った。
「おまえ、おれと一緒に監督へ行ったことがなかったよな。明日、おれが建設の監督に行く。ついて来い。」
(続く)