労働災害が起きました(8)

CA3I0735
CA3I0735

(M氏寄贈、丹沢塩水川の滝)

さらに社長さんは続けた。
「足を怪我して、救急車で運ばれたN君は、今年高校を卒業してわが社に入社した子で、彼が実際にドラム缶の溶断作業をしていました。彼は海洋工事に憧れわが社を選んでくれたんですが、とても意欲的な子で、高校生の時に、ガスや潜水士の資格を取得してくれていたんです。
N君の親御さんには、ただいま連絡しました。これから病院でお会いすることとなりますが、何といってお詫びしていいか、本当に申し訳なく思っています。」
履歴書に添付されたN君の写真は、細めの美少年である。潮風で脱色しているように思えるサーファーカットから、その年齢で海の男の精悍を窺えた。

災害調査を終え、新監の運転するクルマで署に戻る途中で、私は尋ねた。
私 :「今日の災調どうだった。」
新監:「被災者の出血の跡が生々しかったです。でも、今日は災害調査の手順が覚えられて、本当に良かったです。一主任、ありがとうございました。」
私は、その優等生的な返答が少し物足りなかった。少しの沈黙の後で、新監が話かけてきた。
新監:「あの人、私と同期なんでよね。」
その言葉に、「オヤッ」と私は思った。
新監:「彼は私と同じ日に社会人になったんです。多分、とても努力して、自分がやりたい仕事を探して、あの会社に入ったと思うんですが・・・ 彼のケガはこれからどうなるんでしょう。」
私は、自分が新監だった時に、先輩から言われた事を思い出した。
― 監督官って、結局は想像力なんだ。例えば、被災者の立場を自分に置き換え共感ができる者は、きっといい監督官になる -
私はもしかしたらと思い、新監のことを少し見直した。

4月に実施した災害調査の復命書は、秋が過ぎ、12月になっても完成しなかった。肝心の被災者のN君から事情聴取ができないのである。
軽傷で休業もしなかった被災者のU氏からは、すぐに話がきけた。しかし、N君は「大腿部骨折」という重症で、その後2回手術をし、6ヶ月後もまだ入院していた。そしてメンタルが不調であるという理由から、親御さんからの事情聴取の許可が得られなかったのだ。ようやく、彼との面談の許可が下りたのは11月の終わりであり、私がお見舞いがてら、彼の入院している病院に行くこととなった。

労働災害が起きました(7)

CA3I0896
CA3I0896
(旧奥州街道有壁宿、いつものポルシェです)

実況見分は何とか終わった。というか、私の思い込みの予想より災害の規模は大きかったのにもかかわらず、短時間にそして適確に終了したと言って良いだろう。これは、立会人(工場長)の真摯な姿勢と新監の協力によるものである。私は、残念ながら、新監の現場対応力の優秀さを認めなければならなかった。

会社事務室に戻り、工場長さんから色々と事情を伺った。災害発生会社(A社と呼ぶこととする)は、海洋工事専門の建設会社で、大手ゼネコン各社の仕事を請負っていた。従業員は15人ほどだが、全員が潜水士や他の資格を取得している海洋工事のエキスパートである。事務室の壁には、A社がかつて建設に携わった「海洋風力発電所」「サンゴ礁の防潮工事堤」「養生建造物」等の写真が飾られ、所有する海洋工事専門の船舶の模型が置かれていた。また、労働安全衛生を重視する会社らしく、壁には安全標語が記載された安全ポスターが掲示され、各ゼネコンから授与された、「安全工事推進への協力」に関係した感謝状も飾られていた。

工場長さんは、事故と被災者たちのことを説明した。
「わが社では次の海洋工事が5月の連休明けから開始されるので、今日は、その準備のさらに準備ということで、U君とN君に工場で作業をしてもらいました。工場といっても、工事に使用する資材の仮置き場といったところですが、機械の整備等はそこでできます。被災したのは、この両名ですが、U君はもう30近い、経験は10年以上になるベテランです。彼が中心になって、工事に必要な備品をチェックしていました。そのU君がN君に命じて、部品入れにするドラム缶の半缶を作っている時に、今回の事故が発生したものです。U君の指示といっても、工場長の私も作業内容を把握していたことですし、現場も見ていますので、今回の事故の全責任は私にあります。U君とN君には、まことに申し訳ないことをしました。
まさか、ガス溶断中の空のドラム缶が爆発するとは思いませんでしたが、あのドラム缶は以前ガソリンを保存しておいたもので、私がもっとそのことを意識していたら起きなかった事故だと思います。」

工場長さんは、言い訳することなく、自分の全責任を認めた。謝罪の言葉が自然に出てくるその姿に、調査官の私は何か清々しさを感じた。

労働災害が起きました(6)

CA3I0656
CA3I0656

(武田八幡神社、M氏寄贈)

新監は、私の指示に従って黙々と作業を進めていた。
そして、証拠物等の位置の測定の準備を私が始めると、私にならって、災害発生場所の見取図をフリーハンドで書きだした。その図面を見ると私の図面よりはるかに丁寧で正確であり、なにより美しかった。私の図面は新監の図面と比較すると、子供のお絵かきである。
私 :「絵がうまいんだな。」
新監:「ハイ、美術の成績は5でした。」
私は、「2」しか取れなかった自分の過去を思い出した。
そして、精一杯の威厳を持って、こう命令した。
「よし、そのデッサンはよくできてる。君の勉強になるから、その図の中に、これから測定する寸法を記入しなさい。」

私は新監に、実況見分での位置特定の方法について説明することとした。
「いいか、まず最初に起点を2か所選択するんだ。これは、実況見分の場所で、未来においても『動かない地点』のことだ。例えば、建物の中であったら、『柱』『部屋の隅』『扉の端』等だ。建物の外であったら『電柱』『歩道の端』『標識』等だ。『取り壊される可能性のある建物の端』等については、時間の経過とともに、位置が分からなくなる可能性があるから、起点にはできない。
そして、2か所の起点(A,B)を特定したら、A,B間の距離を測定する。その後で、地点(C、D,E・・・点)のA点,B点からの距離を測る。そうすると、A点、B点さえ特定しておけば、後で図面にする時、『三角形の合同条件である三辺が相等』により、C、D、E等の他点は座標上で表現することができる。」
新監は、私の話を一度で理解した。どうやら、数学も得意なようだ。

私は起点になる柱を新監に指ささせ、その姿を撮影した。
新監は尋ねた。
「ここで起点を指さすのは、工場長さん(立会人)でなくていいんですか。それに、写真なら、私が撮ります。」
私は、本質的ないい質問をするなと思い答えた。
「立会人は証拠物を指すためにいるんだ。実況見分の起点は、調査官が自らの判断で自由に決めるため、特定は調査官でなくてはならない。」
新監の後段の質問にはあえて答えず、心の中でつぶやいた。
「私の指さす写真が残ったなら、カメラを持っていたのが新監だって、ばれちゃうだろ。私の面子を考えろ。」
(注):実況見分時に、(私の指示に従って)新監が現場を撮影するのは違法でないし、(調べなければわからない様に)公文書には撮影者名を明記し記録する(決して、部下の手柄を取ろうなどとは思っていない)。

しかし、私の見栄が入ったこの数枚の写真は、後日の調査に影響を与えた。

労働災害が起きました(5)

CA3I1082
CA3I1082

(中山道長久保宿、M氏のポルシェです)

現場には真っ二つに割れたドラム缶や溶断に使用していたアセチレンと酸素のボンベ等が焼き焦げた跡に散乱していた。立会人は事故の数分前に現場に居て、溶断作業を見ていたが、現場を離れたところ、爆発音がしたので、建屋に戻ってみると、作業をしていた者と、近くに居た者が倒れていたということであった。
立会人は、災害前の作業場所、災害後の2人のそれぞれの倒れていた場所、2つに割れたドラム缶の場所等を指さした。

写真撮影の手順としては、例えば割れたドラム缶を撮影する時には、まず最初に
「ドラム缶(証拠物)とそれを指さす立会人(証人)」
の1枚を撮影した後で、そのドラム缶の『全体像』と接写した写真を撮影し、破断面等を明らかにしなければならない。もっとも、決して写真のプロといえない監督署の職員は、腕のなさを量で補う。つまり、行き当たりばったりに、片っ端から撮影するのである。
新監は、枚数少なく、ポイントを絞って撮影していく。とても、素人に思えない。
私は尋ねた。
私 :「カメラ、慣れているんだな。」
新監:「学生時代、撮影スタジオでバイトしてましたから。」

新監の言葉に少し嫌な気がしたが、そんなことはかまっていられないので、現場状況の把握に集中した。すると、思っていたよりも、被災者どおしの位置が離れていたことに気付いた。つまり予想より、爆発規模が大きかったということだ。私は同種の災害調査を実施したことがあるが、その事故はドラム缶の蓋になる部分が撥ねとんだだけだったのだが、今回の事故も同じようなものと考えてしまったのだ。だが、目の前のドラム缶は真ん中から割れている。私は、ドラム缶を溶断する場所によって、爆発の危険性が大きく変わることに気付いた。悪い予感がした。
私は立会人に尋ねた。
「ケガは軽かったということですよね。」
立会人は答えた。
「ええ、2人とも意識があり、頭や胴体から血も出ていませんでしたから。ただ、ガスを扱い溶断していた若い者は、足を打ったらしく、救急車が来るまで動けませんでした。」
私は、先入観で物損だけだと決めつけていた、自分の甘さを後悔した。

労働災害が起きました(4)

CA3I1089
CA3I1089

(M氏寄贈 北國街道・海野宿)

災害は建設会社の倉庫の中で起きた。
海中工事を得意としている会社で、工事の合間に倉庫の中で備品等を整理している時の事故だが、被災者は2人。そのうちの1人が、ガス溶断器でドラム缶を輪切りにしてしている最中に、その缶が爆発したのである。

ドラム缶を半分に輪切りにして、部品入れ等にすることは、建設会社の資材置き場でよく見かける光景である。ただ、ドラム缶をガス溶断する時には、そのドラム缶に、かつてガソリンが入っていたものであるかどうかを確認しなければならない。2,3年前にガソリンを入れていたドラム缶で、その後ずっとからっぽだったというものでさえ、溶断している最中に爆発した事例は数多い。そのようなドラム缶は、最初から溶断しないか、窒素置換をしたものではないと溶断してはならないのだ。

(参考) 労働安全衛生規則第285条
事業者は、危険物が存在するおそれのある、ドラムかん等の容器については、あらかじめ、これらの危険物を除去する等爆発又は火災の防止のための措置を講じた後 でなければ、溶接、溶断その他火気を使用する作業又は火花を発するおそれのある作業をさせてはならない。

会社の事務所を訪ねると、工場長さんが出迎えてくれた。私はその工場長を立会人に指名した。
(注) 立会人がいることで実況見分調書は後日、刑事事件の証拠能力を有することとなる。1回の実況見分で複数の立会人は可能である。もし、刑事事件になった場合は立会人が証人に立つこともある。

私と新監は、まずカメラで現場を撮影した。
写真は、資材置き場の外形から初め、次に入口から建屋の中を撮影し、現場にせまって行く。それが基本である。後の書類に写真を添付する時に、その順序であると、現場を把握しやすいのである。実況見分の目的は記録と再現性であり、事故の5W1Hが特定できるものでなくてはならない。
新監は、言うだけあって、カメラの使い方には慣れているようだった。
これなら、撮影はまかせて大丈夫だなと私は思った。