私は建設現場の監督で恥をかきましたー外伝(4)

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(続き)
S次長は、男達を見回した。
「今、話したのは誰ですか。そんなことを話に来たのではないと聞こえましたが。」
S次長は、一番威張っている男の隣で、腕を組んでいる眼鏡の男を見た。
「あなたですか。それじゃ、あなた方は何しにいらしたんですか。」
S次長の話し方は丁寧だったが、それだけに迫力があった。

S次長はY監督官に向かって言った。
「おい、是正報告書を見せろ。」
Y監督官は1枚の書類をS次長に渡した。S次長はその書類に目を通し、男達に尋ねた。
「これだけですか」
どうやら是正報告書は1枚だけだったようだ。

斜め後方で様子を伺っていた私とA女史は顔を見合わせた。
「ひどい」
A女史はつぶやいた。
「勘違い会社だな」
と私は答えた。

是正報告書とは企業が労働基準監督署に提出する最終的な事故報告である。それには、企業が今回の災害に対し、どう考え、どう対処するのか記載されていなければならない。企業の代表者が労働基準監督署長宛てに提出されるのが常である。
常識的なゼネコンであるなら、その書類には、会社側が追及した事故原因が記載され、その特定した原因を基に樹立した再発防止措置が記載される。さらには、再発防止措置を当該企業だけでなく、下請け・協力業者に徹底させる方策が盛り込まれ、被災労働者にどのような補償をしたかが記載されることもある。
是正報告書は企業がどれだけ真摯に災害と向き合っているかを示す書類でもあるのだ。

S次長はその一枚の紙を片手に持つと、眼鏡の男の顔にそれを突き付けた。
「あなたは、何しにここに来たんです。この書類は、そちらの会社の社長の判がついたもので、『すみません。もう事故は起こしません』と書いてある。私はこの書類に書かれていることを尋ねているんですが。」
どうやら、是正報告書には、2,3行で「事故はもう起こさないように注意します」とだけ書かれていたようである。
しかし、このS次長の態度はやり過ぎだと私は思った。
(続く)

万葉集と申告(5)

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(続き)
申告監督の最中に事業主と「壬申の乱」の話をすることに違和感を覚えながらも、私は取りあえず老人に話を合わせることとした。

老人はものすごい勢いで自分のことを話出した。老人は学生時代に歴史の勉強をしたかったが、親が許してくれなかったので、仕方なく慶応大学で経済の勉強をしたこと。それでも歴史研究の夢を捨てられず、現在80歳を過ぎているが早稲田大学の文学部の大学院に通っていること。在野で歴史学の論文を何本も書いていること。今度、歴史関係の雑誌に「壬申の乱」について、新しい切り口から論文を掲載するので、ぜひ読んで欲しい等々。

私はしゃべり続ける老人の話の途中に、今回訪問した初期の目的である労働者への未払賃金について話題にすると、老人は「それは全額すぐに払います。」と言って、また自分の得意のフィールドの話を続けるのだった。

そして最後に老人と私は「額田王はいい女だった。」ということで意見が一致した。

私は退席する前に老人と次の約束をした。「老人は労働者にすぐに賃金を全額支払うこと。そうすれば、私がインターネットで壬申の乱の情報を集めプリントアウトする。」
20年前は、まだインターネットの黎明期であったので、私の申し出を老人はとても喜び、すぐに承諾してくれた。
その翌々日のことである。申告労働者から、未払賃金が全額支払われたとの連絡があった。労働者は早期解決を感謝していた。それから、一週間位してから、私は自宅のパソコンでインターネットから収集した「壬申の乱」についての情報をその老人宛てに郵送した。彼からの礼状は直ぐにきた。論文はまだ出来上がっていないので、雑誌は少し待って欲しいと書かれていた。

それから3ヶ月後のことである。私はもうその申告事件のことは忘れていたが、A亭のおかみと名乗る女性から電話があった。老人が死んだということであった。

(続く)

私は建設現場の監督で恥をかきましたー外伝(5)

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(続き)
S次長の権幕に気が飲まれたのか、男達は口を開かなかった。すると、Y監督官がS次長に、言いづらそうに話した。
「今回の事故は職長の見回りミスということもあって・・・」
そのY監督官の言葉を聞いて、一番威張っていた男が勢いづいて話した。
「そうです。今回の事故の原因は、現場作業員のミスです。」

私の隣のA女史が舌打ちした。
「あの馬鹿!」
私もY監督官のことをそう思った。

S次長が腕組をしながら答えた。
「なるほど、現場作業員のミスで今回の事故が起きたということですか。会社は一生懸命事故防止に努めたのに、現場作業員が台無しにしたということが、あなた方の結論ですな。」
S次長は、4人の男を睨みつけながら続けた。
「それは悪い作業員ですな。けしからん奴ですな。そいつがいなければ今回の事故は起きなかったという訳ですな。分かりました。ところで、その現場作業員の懲戒解雇の日はいつですか、教えて下さい。」
「えっ」
S次長の言葉に男達は驚いたようだった。
S次長の言葉がひときわ高くなった。
「当たり前だろ。被災者はまだ意識がもどらず寝たきりだ。作業員が原因で事故が起きたというなら、そこまで覚悟ができてるんだろ。その作業員相手に民事裁判はやるのか。刑事告発はするのか。」

数十秒の間の沈黙の後でS次長が口を開いた。静かな口調だった。
「被災者はまだ意識がもどらず寝たきりでいます。そんな事故の原因がどこにあったのか、どうしたら2度とその事故を起こさないですむのか。元請けと現場がもう1度検討して下さい。
労働基準監督署はそのことでしたら、いつでも、何度でも相談に乗りますから、私のところに来て下さい。
労働基準監督署があなた方と話すことは他には何もありません。
事故のことで、労働基準監督署に謝罪するなんてことはしなくていいです。謝罪なら被災者にして下さい。
よろしく、お願いします。」
S次長は頭を下げた。4人の男達は立ち上がると、後ろに控えていた男達を連れて黙って出て行った。

私はA女史に言った。
「終わったようですね。でも、今後どうなるんだろ。」
A女史は答えた。
「さあ、向こうも大人だから、もう一度再発防止措置を考えてくるんじゃない。」
「でも、S次長大丈夫かな。少し、ケンカ腰過ぎたようだけど。」
「大丈夫よ。ほら」
と言ってA女史は入り口の方を示した。

先ほど、4人の後ろに控えていた作業服姿の男の中の一人が、何か忘れ物を取りに来た様子で戻ってきた。
そして、S次長に向かい深々と頭を下げて一礼すると、何も言わずに事務所を出て行った。

(終わり)