バイトテロとコンビニ(1)

(真岡鐡道茂木駅の転車台、by T.M)

今から35年ほど前、ある政令指定都市の監督署で若手監督官として勤務していた時のことです。大手自動車メーカー系列の販売店から、労働基準法第20条で規定された解雇予告手当を支払わない解雇をしたいという許可申請(解雇予告除外認定申請)が労働基準監督署に為されましたが、その案件の担当に私がなりました。

この申請に係る監督署の調査とは、解雇理由が「労働者の責によるもの」であったかどうかを判断するものです。つまり、「労働者が悪い事をしたから解雇したいが、それを労働基準監督署長が認めてくれ」ということです。

この会社の就業規則には、「懲戒解雇をするためには、この申請の認定が必要である」という意味のことが記載されていました(このような就業規則の事例は多く見受けられます)。つまり、会社は労働者を懲戒解雇するために、この認定申請を行ったのでした。

会社は、解雇理由として次のような事実を申し立てました。

「該当労働者は自社の整備士である。お客様から預かったクルマを整備するにあたり、お客様のクルマにイタズラをして返還した。これは会社の信用を著しく損ねる行為である。」

私は、該当労働者を呼出し事情を尋ねました。すると次のような事実が判明しました。

「該当労働者は、整備に出されたクルマが、自分が卒業した高校の教諭の持ち物であることを知った。労働者は在学中から、その教諭のことを心良く思っていなかった。整備に出されたクルマには、誰から依頼があったクルマかを判断するために、預かったクルマのキーに持ち主の名前を書いた札を付けているが、労働者はその札に、持ち主の名前を記載せずに、高校時代のあだ名(かなり侮辱的な・・・)を記入した。もちろん、その札はクルマが返却する時に取り外すものであり、会社内部でクルマの所有者を区別するために取付けておくものであった。ところが、どういう訳かその札がキーに付いたまま、クルマが持ち主に返還された。そこで、そのクルマの所有者が会社に激しく苦情を申し立てた。」

労働基準監督署では、この申請を不認定と判断しました。会社はかなり不満そうでしたが、結局労働者を「懲戒解雇」ではなく「依願退職」として処理しました。

不認定については、当然の結論と言えます。そのクルマの持ち主に侮辱的な文言が記載された札が付いたキーが渡されたのは、「会社がクルマを整備する時の最終チェックミス」だからです。札をイタヅラした労働者は、まさかその札が持ち主に渡るとは思っていなかったはずです。例え、会社内部だけのことでも、お客様の持ち物にイタズラするという行為は許されないことです。しかし、会社が主張する「会社の信用を著しく損ねる行為」という主張には該当しないという判断でした。

さて、何か世間では、バイトテロの話が世間では話題になっているようです。高校生や大学生のバイトが、「アルバイト先の店舗の評判を下げるような行為をwebにアップ」するといった例の行為です。その「イヤガラセ行為」が「食品を扱う事業場で非衛生な行為をする」等のことなので、救われません

このバイトテロの話を知って、私は遠い昔に自分が体験した前述の事件を思い出しました。

(続く)

 

役所の合理性(2)

(飯生市あけぼの子供の森公園、by T.M)

驚きました。「毎月勤労統計調査」に続き「賃金構造統計調査」にも、不適切な調査があったということです。

統計調査員が事業場に出向き賃金台帳を書き写さなければいけないのに、郵送で調査していたことが問題だそうです。

私はこの報道に接した時にまず考えたことは、「郵送で調査することはいけないことだったの?」ということです。

「統計調査員が事業場に出向き賃金台帳を書き写さなければいけない」なんて、「物理的に不可能」だからです。

さらに、「統計調査員が実地調査する」というマニュアルがあると聞いて、さらにビックリです。それは私は見たことがありません。

私が覚えている賃金構造統計調査の話を本日は書きます。

私が賃金構造統計調査の仕事に関わっていたのは、監督署で一課長の仕事をしていた時のことです。一課長(現在は「監督課長」という名称です)は、比較的小さい署に配置されますが、署では署長の下のNo2の役です。庶務と監督係の担当です。当時、私の下には、労働基準監督官4名と庶務担当の事務官1名がいました。正直、その時まで「庶務」の仕事なんて、まったくしたことがありませんでした。また、「自分はこの署の監督官の事実上のトップだ。臨検監督の現場で起きたトラブルは、すべて自分の所で解決する。」という意識でいましたので、「監督官」の仕事の統括にウエイトを置き、「庶務」の仕事は、ベテランで優秀な事務官におまかせしていました。

私は、自分に与えらられた庶務の仕事は、「予算上の間違いのないように、数字の確認をすること。庶務の仕事で、対外的な問題(対上局、つまり対地方労働局)が発生した時は、頭を下げにいくか、場合によってはケンカをすること」だと思っていました。

賃金構造統計調査は、この庶務の仕事でした。労働局の賃金課と庶務が連絡を取り合い行われます。局からは、200~300の数の事業場の名称が入った名簿が届きます。さて、それからその事業場への通信調査なのですが、ここで私の記憶が曖昧なのですが、

  「各事業場に、調査一式の書類が封入された封筒を郵送する作業」

が、局が直接行っていたのか、又は署が私の決裁を得て送付していたのかは覚えていません。

また、統計調査員という方を一人雇用したのですが、この方の採用について、私は面接した記憶がないのですが、「署が採用したのか」「局が採用し、署に派遣したのか」はよく覚えていません。もっと言うと、この通信調査員さんが、私の部下であったのか、局の仕事をするために局から出張してきたかどうかも覚えていません。ただ、私の部下の庶務担当者が出退勤の管理をしていました。

各事業場に送付された封筒の中には、「○月○日までに、必要事項を記載し、××労働基準監督署までご返送下さい」と記載した文書と記載用紙、そして署への返信用封筒(切手付)が入っています。統計調査員さんの雇用期間は2ヶ月前後なのですが、その前半は事業場からの書類の書き方の問合せに答えることに終始します。また、返送されてきた書類のチェックをするのも統計調査員さんの仕事です。これらの仕事はけっこうな分量になります。

返送の指定期日を過ぎてからこそ、本格的な賃金構造統計調査の仕事となります。未提出事業場に、提出の電話督促をするのです。期日に間に合うように提出してくれる事業場は、全体の1/3くらいでした。統計調査員さんが、まず督促の連絡をするのです。ここで、よくトラブルが発生します。

「なんでそんなことするんだ」「時間がねーよ」「おまえら公務員は嫌いだ」

この時の統計調査員さんは主婦のパートの方だったのですが。あまりの相手の悪口雑言に泣き出しそうになっていました。統計調査員でおさまりがつかない時は、庶務担当が電話にでます。そこでダメなら私がでます。通常の監督の時と違い、あくまで下手にアタマを下げ続けます。

当然、直接事業場に出向きお願いすることもあります。その時には、私と庶務担当職員で事業場に行きました。統計調査員はパートですし、官用車の運転はさせられませんので戦力にはなりません。この時に庶務担当者に言われました。

「場合によっては、私と一課長で賃金台帳を写すケースもあります」

私は、承諾しましたが、「通信調査に応じてくれない事業場が、何時間も事業場内の場所をかり賃台帳を写すということを許してくれるのだろうか」と思いました。私が尋ねたいくつかの事業場で、ダメなところはダメでしたし、返送に協力してくれるところもありました。しかし、「自由に賃金台帳を写していってくれ」というところは皆無でした。

郵送調査がダメとというなら、次の点を改善してくれなければ、今後の調査はできません。

「調査時のトラブル回避のため、統計調査員を『社会保険労務士』等の専門知識のある者とし、それなりの報酬を支払いすること」

「統計調査員の数を大幅に増やすこと」

「統計調査員に官用車の使用を認めること」等

さて、これが私が関わった賃金構造統計調査のすべてです。私は自分が何か間違っていたことをしていたとは思いませんが、そうでないというなら、処分でも何でもうける覚悟はあります

ただ、次のことは分かって欲しいと思います。賃金構造統計調査について、現場の職員は手抜きの調査はしていません。私の友人に局の賃金課の職員もおりましたが、この賃金構造統計調査の時期になると、それこそ毎日深夜まで、サービス残業して頑張っていました。彼は、この統計調査が「最低賃金決定の資料になる」ということを十分理解し、間違いのないものをという心構えでしていました。そのような真面目な職員が、今後非難されるかもしれないことを私は危惧しています。

 

役所の合理性

(山梨県クリスタルラインから望む八ヶ岳、by T.M)

昔、かんべむさし氏著の「サイコロ特攻隊」という本で、こんなことが書いてありました。太平洋戦争末期のことです。当時の軍隊の偉い方はこう考えたそうです。

「味方一人の死者に対し、敵の死者数及び物的損害を数的に多く与える方法はなんだ。それは、特攻だ。爆弾を抱えて敵に突っ込んでいけばよい。戦争なんだから、必ず死者はでる。それを、一番有効な方法で消費すればよい」

(この話が本当であるかどうかは、私には分かりません。もしかしたら、かんべむさし氏の創作かもしれません。)

戦前の軍隊の幹部は、陸軍大学校や海軍大学校の卒業生が占めていて、(現代の尺度で考えるなら)それら大学校の入学偏差値は、東京帝国大学に匹敵するほどだったといわれています。要するに、軍隊の官僚化が進んでいたということですが、「役所の論理」ということが頭にあれば、前述の話が本当のもののように聞こえます。

そういえば、私も役人の現役時代には、労働の現場を考えることなく、数字だけで「監督計画等」を作成していたところがあります。時間がなかったと言い訳すればそれまでですが、やはりそれでは駄目なのでしょう。

今回の不適切な毎月勤労統計調査について、最初に原因を作った者たちに悪意はまったくなかったと思います。「統計調査に出てくる数字は、所詮目安に過ぎない、誤差は数千円だ。それなら予算と手間をかけない簡易な方法を取ろう」といった考えだったと推測します。確かに、費用対効果の考えは必要です。しかし、正規の手続きを得ないで、組織の内部だけでそれを行えば、中国戦線を拡大し続けた旧軍隊と同じことになります。

しかし、この間違いが2004年から行われていたとは驚きです。歴代の厚生労働大臣は、現在困った立場にいると思います。2004年9月27日まで大臣をされていた初代の厚生労働大臣の坂口力氏も数にいれると、歴代の13人の大臣がすべて該当します。有名どころでは、舛添要一氏(元東京都知事)がいます、野党では長妻昭氏(現立憲民主党・政務調査会長)がそうです。

 (注:2001年に厚生労働省誕生。それまでは、「厚生省」と「労働省」の2つの省庁であった)

そういえば、この不適切な毎月勤労統計調査について、気付いたことがあります。厚生労働省のHPには次のように記載されていました。

「・ 平成16年以降追加給付が必要となる時期に遡って対応します。(現在受給されている皆様にも対応します。)

・追加給付が必要な方には、平成16年以降追加給付が必要となる時期に遡って追加給付を実施します。

・本来の額よりも多くなっていた方には、返還は求めないこととします。」

新聞等では一切報道されていませんが、「本来の額よりも多くなっていた方」がいたということが、少し救われる気がしました。

忘れたいこと

(山梨県のクリスタルラインと愛ジムニー、by T.M)

テレビドラマ「BRIDGE はじまりは1995.1.17」を観ました。このドラマは、阪神・淡路大震災の時に、崩壊したJR六甲道駅を、「ジャッキアップ」という過去に例のない工法で、2年間かかると言われた復仇をわずか74日間という短期間でなしとげた建設会社の物語です。実在する「O組」という会社がモデルだそうですが、この工事については、2005年にNHKのプロジェクトXでも取り上げられたそうです。

番組は事実をヒントに作られていて、工事に携わった方々の献身的な仕事振りがドラマが中心です。しかし、ドラマの構成上、完全にフィクションの部分があります。その中で興味深く思えたのが、災害から23年後の現在の神戸で、その工事の一部始終を当時撮影したという元作業員が、不良高校生に当時の思い出を語る場面です。その少年は、地震の慰霊碑にスプレー缶を使用し、落書きをして警察に補導されたという設定でした。少年は単なるイタズラとしてそんなことをしたのですが、その場面を目撃した元作業員は、少年を補導した警察官に「少年の父」だと嘘をつき、少年を救出します。そして、そのような事をした理由を、元作業員が次のように少年に述懐します。

「オレは嬉しかったんだ。震災が過去の出来事として、特に気にしなくなっていることが」

この言葉の言い回しは、正確には憶えていないのですが、言いたいことについては、そういう考えもあるのだなと思いました。

私はいつの日か、東日本大震災の時の福島原発の時に苦労した作業員のドラマができることを望みます。事案を時系列に紹介するといったドラマは過去あったようですが、作業員の方々のご苦労を真正面から描いたものは、まだ無いように思えます。

本社から「止めろ」と言われても、現場で原子炉に海水の注水を続けた吉田元所長の決断や命懸けのベント作業等を描いたら、緊迫したドラマになると思います。

もちろん、「増え続ける汚染水」「除染作業の動向」「見通しが立たない被災地の復興」「最大の課題である燃料デブリの取出し作業」「被曝労働者の労災認定」等の現実を考えると、ドラマなどできません。阪神・淡路大震災は関東大震災のように過去の出来事となりつつあるのかもしれませんが、福島原発の問題はリアルだからです。

だからこそ一日でも早く、この問題が過去の出来事となる日が来ることを祈ります。

この「BRIDGE」のドラマの中で、工事現場の所長が繰り返し「労働者の安全が第一」と述べていました。実際の現場もそうであったのだろうなと想像すると、元労働基準監督官としては、少し嬉しくなりました。