労働災害が起きました(10)

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(M氏撮影、カワラナデシコ)

新監とM安全専門官がガントリークレーンの検査に行く日は、署内は朝から大騒ぎだった。
B次長やY主任のような回りのオジサン達は、よってたかって新監の準備に口出し、挙句にこんなことを言った。
「いいか、Tさん。M専門官の言うことを聞いて、危ないことをしたらダメだよ。何か、作業している人がいるからといって、危険な個所にはいかないように。」

この言葉を聞いて、私は「これはまずい、ひとこと言わなければ」と思った。私は、かつて自分が経験した臨検監督のことを思い出した。

(私の回想)
もう30年も昔の、東北のM県の原子力発電所の定期監督の件である。
そこの局では、年1回の「定期監督」と称し、I署管内のO原子力発電所の臨検監督を実施していた。その監督では、局長の外に労働局の幹部が勢ぞろいし、マスコミを引き連れ、原子力発電所の中を行進するものであった。原発の中のルートは決められた、ただの形式に過ぎない監督であったが、本省回りの局長等は、何回も服を着替えて原子炉に近づくことだけで、現場を視察した気になるようだった。

(注) 当時、原子力発電所の監督で原子炉近辺にいくためには、「放射線用」と「放射能用」の防護服を使い分けた。服の着替えのたびに、エアシャワーを浴び、除染をするので、その着替えだけで、数十分を使用してしまう。
ついでに記載しておくと、原発の監督時に一番大切なのは、ポケット線量計の装備である。この機械の大きさは、ちょうどライター程度で、放射線の管理区域内で作業する場合に、作業服の胸ポケットに常時入れておくことが義務づけられている。そうしておくと、線量計は被曝線量を感知し記録してくれるので、作業員は毎日の作業の被曝線量を知ることができるのである。

私は、何回も炉心近くまで行っているが、線量計の記録は永年保存なので、被ばく線量は今でも厚労省に保存されている(はずである)。3.11の時、福島ではこの線量計が水に浸かり、使用不可となり、多くの労働者が線量計無しで数日間業務を行ったというが、彼らの被ばく線量が気がかりである。

労働災害が起きました(9)

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(M氏寄贈、ヤマユリ)

海洋工事会社のA社の災害調査の報告書の作成が足踏みしている期間に、新監は所定の研修を受講し、どんどん仕事を覚え、そして、ますます増長し、生意気になっていった。

確かに、パソコンに詳しいことは頼もしい。私が作成したパワポの黒白資料を、GIFの入った鮮やかなプレゼン用に替えてくれる。エクセル、アクセスのマニアックな使い方も知っている。ただ、若い部下にそれを教わると、口では褒めちぎっても、パソコン苦手な私としては、内心は惨めになっていくのだ。

また回りのオジサン達もまた悪い。女性だからといって、新監(T監督官)を甘やかし、チヤホヤする。
ある日、こんなことがあった。
M安全専門官が私の所に来て、横浜港のガントリークレーンの検査に行くので、新監を研修として連れて行っていいかと尋ねた。
私はM安全専門官の顔をじっと見た。
実は、その時は私もまだガントリークレーンに登った経験がなく、M安全専門官には、1度検査の手伝いをさせてくれと何度も依頼していたのだ。

― こいつ、オレの頼みは忘れているくせに、新監はさっさと連れていくのかよ -

もちろん、新監の研修については断る理由は何もなく、M安全専門官の申し出はありがたいことなので、
「よろしくお願いします。」
と私は笑顔で頭を下げ、新監にはよく勉強するように命令したが、実は面白くはなかった。

(注) ガントリークレーンとは、港湾に設置されたコンテナの積込み用の大型クレーン。その形から、「鶴」に喩えられることが多い。その高さは40m程になり、検査はジブの付け根まで行くこととなるので、墜落防止措置は完璧にされているのだが、慣れている者でも高所のため足が震える。ただし、安全帯を使用し、風に吹かれてジブの先端から眺める港の姿はとても美しい。

労働災害が起きました(8)

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(M氏寄贈、丹沢塩水川の滝)

さらに社長さんは続けた。
「足を怪我して、救急車で運ばれたN君は、今年高校を卒業してわが社に入社した子で、彼が実際にドラム缶の溶断作業をしていました。彼は海洋工事に憧れわが社を選んでくれたんですが、とても意欲的な子で、高校生の時に、ガスや潜水士の資格を取得してくれていたんです。
N君の親御さんには、ただいま連絡しました。これから病院でお会いすることとなりますが、何といってお詫びしていいか、本当に申し訳なく思っています。」
履歴書に添付されたN君の写真は、細めの美少年である。潮風で脱色しているように思えるサーファーカットから、その年齢で海の男の精悍を窺えた。

災害調査を終え、新監の運転するクルマで署に戻る途中で、私は尋ねた。
私 :「今日の災調どうだった。」
新監:「被災者の出血の跡が生々しかったです。でも、今日は災害調査の手順が覚えられて、本当に良かったです。一主任、ありがとうございました。」
私は、その優等生的な返答が少し物足りなかった。少しの沈黙の後で、新監が話かけてきた。
新監:「あの人、私と同期なんでよね。」
その言葉に、「オヤッ」と私は思った。
新監:「彼は私と同じ日に社会人になったんです。多分、とても努力して、自分がやりたい仕事を探して、あの会社に入ったと思うんですが・・・ 彼のケガはこれからどうなるんでしょう。」
私は、自分が新監だった時に、先輩から言われた事を思い出した。
― 監督官って、結局は想像力なんだ。例えば、被災者の立場を自分に置き換え共感ができる者は、きっといい監督官になる -
私はもしかしたらと思い、新監のことを少し見直した。

4月に実施した災害調査の復命書は、秋が過ぎ、12月になっても完成しなかった。肝心の被災者のN君から事情聴取ができないのである。
軽傷で休業もしなかった被災者のU氏からは、すぐに話がきけた。しかし、N君は「大腿部骨折」という重症で、その後2回手術をし、6ヶ月後もまだ入院していた。そしてメンタルが不調であるという理由から、親御さんからの事情聴取の許可が得られなかったのだ。ようやく、彼との面談の許可が下りたのは11月の終わりであり、私がお見舞いがてら、彼の入院している病院に行くこととなった。

労働災害が起きました(7)

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(旧奥州街道有壁宿、いつものポルシェです)

実況見分は何とか終わった。というか、私の思い込みの予想より災害の規模は大きかったのにもかかわらず、短時間にそして適確に終了したと言って良いだろう。これは、立会人(工場長)の真摯な姿勢と新監の協力によるものである。私は、残念ながら、新監の現場対応力の優秀さを認めなければならなかった。

会社事務室に戻り、工場長さんから色々と事情を伺った。災害発生会社(A社と呼ぶこととする)は、海洋工事専門の建設会社で、大手ゼネコン各社の仕事を請負っていた。従業員は15人ほどだが、全員が潜水士や他の資格を取得している海洋工事のエキスパートである。事務室の壁には、A社がかつて建設に携わった「海洋風力発電所」「サンゴ礁の防潮工事堤」「養生建造物」等の写真が飾られ、所有する海洋工事専門の船舶の模型が置かれていた。また、労働安全衛生を重視する会社らしく、壁には安全標語が記載された安全ポスターが掲示され、各ゼネコンから授与された、「安全工事推進への協力」に関係した感謝状も飾られていた。

工場長さんは、事故と被災者たちのことを説明した。
「わが社では次の海洋工事が5月の連休明けから開始されるので、今日は、その準備のさらに準備ということで、U君とN君に工場で作業をしてもらいました。工場といっても、工事に使用する資材の仮置き場といったところですが、機械の整備等はそこでできます。被災したのは、この両名ですが、U君はもう30近い、経験は10年以上になるベテランです。彼が中心になって、工事に必要な備品をチェックしていました。そのU君がN君に命じて、部品入れにするドラム缶の半缶を作っている時に、今回の事故が発生したものです。U君の指示といっても、工場長の私も作業内容を把握していたことですし、現場も見ていますので、今回の事故の全責任は私にあります。U君とN君には、まことに申し訳ないことをしました。
まさか、ガス溶断中の空のドラム缶が爆発するとは思いませんでしたが、あのドラム缶は以前ガソリンを保存しておいたもので、私がもっとそのことを意識していたら起きなかった事故だと思います。」

工場長さんは、言い訳することなく、自分の全責任を認めた。謝罪の言葉が自然に出てくるその姿に、調査官の私は何か清々しさを感じた。

労働災害が起きました(6)

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(武田八幡神社、M氏寄贈)

新監は、私の指示に従って黙々と作業を進めていた。
そして、証拠物等の位置の測定の準備を私が始めると、私にならって、災害発生場所の見取図をフリーハンドで書きだした。その図面を見ると私の図面よりはるかに丁寧で正確であり、なにより美しかった。私の図面は新監の図面と比較すると、子供のお絵かきである。
私 :「絵がうまいんだな。」
新監:「ハイ、美術の成績は5でした。」
私は、「2」しか取れなかった自分の過去を思い出した。
そして、精一杯の威厳を持って、こう命令した。
「よし、そのデッサンはよくできてる。君の勉強になるから、その図の中に、これから測定する寸法を記入しなさい。」

私は新監に、実況見分での位置特定の方法について説明することとした。
「いいか、まず最初に起点を2か所選択するんだ。これは、実況見分の場所で、未来においても『動かない地点』のことだ。例えば、建物の中であったら、『柱』『部屋の隅』『扉の端』等だ。建物の外であったら『電柱』『歩道の端』『標識』等だ。『取り壊される可能性のある建物の端』等については、時間の経過とともに、位置が分からなくなる可能性があるから、起点にはできない。
そして、2か所の起点(A,B)を特定したら、A,B間の距離を測定する。その後で、地点(C、D,E・・・点)のA点,B点からの距離を測る。そうすると、A点、B点さえ特定しておけば、後で図面にする時、『三角形の合同条件である三辺が相等』により、C、D、E等の他点は座標上で表現することができる。」
新監は、私の話を一度で理解した。どうやら、数学も得意なようだ。

私は起点になる柱を新監に指ささせ、その姿を撮影した。
新監は尋ねた。
「ここで起点を指さすのは、工場長さん(立会人)でなくていいんですか。それに、写真なら、私が撮ります。」
私は、本質的ないい質問をするなと思い答えた。
「立会人は証拠物を指すためにいるんだ。実況見分の起点は、調査官が自らの判断で自由に決めるため、特定は調査官でなくてはならない。」
新監の後段の質問にはあえて答えず、心の中でつぶやいた。
「私の指さす写真が残ったなら、カメラを持っていたのが新監だって、ばれちゃうだろ。私の面子を考えろ。」
(注):実況見分時に、(私の指示に従って)新監が現場を撮影するのは違法でないし、(調べなければわからない様に)公文書には撮影者名を明記し記録する(決して、部下の手柄を取ろうなどとは思っていない)。

しかし、私の見栄が入ったこの数枚の写真は、後日の調査に影響を与えた。