教師の労働時間

(三浦市の岩堂山から伊豆大島を望む、by T.M)

昨日(10月29日)、京急上大岡駅付近で、菅前総理の選挙カーを見かけました。私を始めとする神奈川2区の住民が、選挙期間中に菅さんの選挙活動を観るなんて初めてのことです。菅さん、大分追い込まれているのかな、なんて思いました。官房長官やっていた時から、他選挙区の応援で地元に帰ってなんてこなかったのに、横浜市長選での敗北が応えているのかもしれません。しかし、菅さんか立憲民主党候補者のどちらかを選択しろだなんて・・・、古き良き時代の昭和の中選挙区の時代が懐かしく思います。

朝日新聞 10月1日

教員の時間外労働に残業代が支払われないのは違法だとして、埼玉県の公立小学校教員の男性(62)が県に未払い賃金として約240万円を求めた訴訟で、さいたま地裁は1日、男性の請求を棄却した。石垣陽介裁判長は労働基準法上の法定労働時間(1日8時間、週40時間)の規制を超えた労働があったと認めたうえで、残業しなければ業務が終わらない状況が常態化しているとは必ずしも言えないなどとして、賃金や賠償金の支払いは認めなかった。原告は控訴する方針。

 一方、石垣裁判長は判決の最後で、公立学校教員に残業代を支払わない代わりに、月給4%分を一律で支給するとした教職員給与特措法(給特法)に言及。夏休みのような長期休業があることなど教員の勤務の特殊性を踏まえた制度だが、給特法について「原告の勤務実態を見ると、多くの教育職員が学校長の職務命令などから一定の時間外勤務に従事せざるを得ない状況にあり、もはや教育現場の実情に適合していないのではないかとの思いを抱かざるを得ない」と指摘。「現場の教育職員の意見に真摯(しんし)に耳を傾け、勤務時間の管理システムの整備や給特法を含めた給与体系の見直しなどを早急に進め、教育現場の勤務環境の改善が図られることを切に望む」とも述べた。

さて、このブログで以前何回か書いた、教師の「労働時間と給与」の問題についてです。教員と一口に言ってみても、小学校の教師と高校の教師では悩む所がまた違うと思いますが、一般的には、他の業種と比較して以下の3点が問題のように思えます。

 1 労働時間とそれ以外の区別がつきにくく、労働時間の把握が難しい

 2 過重労働が心配される

 3 残業代が払われていない(その代わり、給与に4%上乗せされている)

この中で、1と2の問題は密接に絡み合っていて、そして3の問題は、昔からのそのような「特異な労働状況」の「落しどころ」として社会的に容認されていました。教師の仕事とは、結局、「24時間教師であること」を求められていたので、生徒一人一人と深く関わっていけばいくほど、過重労働になっていったのです。

給与特措法が成立したのは昭和46年、佐藤栄作首相の時。日本の高度成長の真っ盛りです。その時に、「教師は聖職か、労働者か」という議論がなされていましたが、今の「教師の過重労働」が問題となる時代からすると、牧歌的な論争であったような気がします。その時に、「教師の労働時間は算定が難しい。教師は残業が多い。でも夏休みがある。それじゃ、4%プラスの賃金で対処しよう」なんて結論になったようです。

この裁判結果でおかしいと思えるところは、「残業しなければ業務が終わらない状況が常態化しているとは必ずしも言えない」としているところです。どう考えたって、教師の仕事が「残業が常態化していない」なんて言えるはずはないじゃないですか。

このブログで何回か取り上げたのですが、「修学旅行の引率業務」に絞って裁判をしてみたらどうでしょうか。私も、私立高等学校の教員の労働時間を調査したことがあったのですが、「修学旅行の引率業務」くらい「非人間的」な業務はないと思いました。なぜって、「2泊3日間、約70時間連続業務」、しかも「生徒の安全を守るという精神的な緊張度が非常に高い仕事」を行っているからです。

「脳・心臓疾患の過重労働の認定基準」について、「ひと月80時間の残業」という基準が有名になってしまいましたが、実は本来は、この認定基準とは別の認定基準も定められています。それは「発症に近接した時期において、特に過重な業務に就労したこと」という項目ですが、その場合は「発症前おおむね一週間」に過重な労働があったかで判断します。この「修学旅行の引率業務」については、この認定基準の合致する可能性が高いものです。

私は別に、「文化としての修学旅行」を否定する者ではありません。しかし、それが「先生たちの過重労働」で成り立っているのなら、その在り方を検討してみてもいいのではないかと思っています。

過労死認定基準の見直しを、ゆるーく考えてみた(2)

(甲府盆地の眺め、by T.M)

「総理の夫」を観てきました。原田マハさん原作の映画ですが、とても素晴らしいものでした。国会議員の妻を持つ動物学者である夫が、スマホの電波も届かぬ場所へ野外研究へ10日ほど出張したところ、帰ってきたら妻が総理大臣になっていたという設定のドラマです。夫役の田中圭さんの演技が素晴らしいです。頼りないところがありながら、妻をリスペクトし、守ることに精一杯な姿に心打たれます。世のため人のため総理の職を懸命に務める妻ですが、思わぬ出来事により、その職を辞さねばならなくなります。その出来事とは・・・・働く女性の悩みをリアルを描きながら、その救済には「ありえなほど」のハッピーエンドが用意されています。労働問題のコンサルタントとしては、考えさせられる映画でした。

さて、前回に続き「過労死認定基準の20年ぶりの見直し」についての、現場の担当官からのコメントの紹介です。「見直し」の内容は次のとおりです。

残業時間の長さが「過労死ライン」(ひと月80時間の残業)に達しない場合でも、それに近い残業があり、不規則な勤務などが認められれば「仕事と病気の発症との関連性が強いと評価できる」として、労災と認定すべきである。

現場の担当官は今回の見直しについて、「あまり影響ない」と述べていました。身も蓋もない回答ですが、今回はその理由を解説します。

過労死には2種類あります。「脳・心臓疾患」(生活習慣病)による過労死と、「ストレス性障害」による過労死です。

「仕事中にくも膜下出血により倒れた」が前者であり、「職場の人間関係に悩み自殺した」が後者です。この2種類の過労死は、どちらも長時間労働をその健康障害の原因としますが、労災の認定基準は微妙に違います。今回改正になった「過労死認定基準の20年ぶりの見直し」は、脳・心臓疾患(生活習慣病)に対する認定基準の見直しです。

これは以前にも掲載したグラフですが、「脳・心臓疾患」の長時間労働を起因とする労災認定数と、「ストレス性疾患」の労災認定件数の年別のグラフです。オレンジ色が「脳・心臓疾患」で、青色が「ストレス性疾患」です。

このグラフで分かる通り、「脳・心臓疾患」は減少傾向にあり、「ストレス性疾患」は右肩上がりで上昇中です。総数にしても、令和2年の「脳・心臓疾患」の労災認定件数194件に対し、「ストレス性疾患」は608件で「脳・心臓疾患」の3倍以上です。長時間労働による労災の主戦場は、現在「ストレス性疾患」に移行しているのです。

(注)「主戦場」という言葉の意味は、労働行政が「脳・心臓疾患」を軽んじているということではなく、単純に業務量がどちらが「過大であるか」という意味です。

健康障害による労災認定の難しさは、「同じ労働」をしている者であっても、発病する者も、発病しない者もいるということです。「ケガ」の場合ですと、例えば「高さ3mのところから墜落した労働者」は全員ケガをしますが、「ひと月100時間残業した者」について全員が健康障害を起こす訳ではありません。労働者個々の状況が、発病の有無に大きな影響を与えます。特にストレス性障害ではそれが顕著です。

脳・心臓疾患における労働者個々の状況とは、生活習慣病の基礎疾患の有無が大きなものです。例えば、被災者が糖尿病や高血圧であったら、長時間労働によりそれが増悪したというケースも多々あります(それも、多くは「労災認定」されます)。労働者個々の基礎疾患と、「脳・心臓疾患」の労災の関係は、現在では明らかなっているケースが多く、それが現在の「ひと月80時間の残業」の過労死認定基準となっています。それでは、今回の「見直し」の「仕事と病気の発症との関連性が強いと評価できる」とは何を意味するのでしょうか?

私と労災認定担当官は次のような会話をしました。

担当官)もし、過労死調査で、「ひと月79時間の残業」をしていた者がいたとして、担当官は「過労死認定基準の80時間に満たないので不認定」とすると思うか?

私  )違うのか

担当官)そういうケースでは、みんな自分の調査を何度も見直すんだ。どこかに、労働時間の漏れがないか、なんとか「80時間まで時間数が増えないか」、タイムカードや電子記録を何回も繰り返してみる。それができなきゃ、なんとか理屈をこねくり回す。それで業務上としてしまう。

私  )そんなものか

担当官)調査した時間が「ひと月70時間」だったら諦めて業務外だ。でも、微妙なところだったら努力する。その努力の内容が、今回の「見直し基準」の「仕事と病気の発症との関連性が強いと評価できる」という部分だ。つまり、今回の見直しは、現場で以前から行われていたことを文書化したに過ぎない。だから、今回の見直しは現場では評価されていないんだ。

担当官はさらに続けました。

担当官)労災不認定の場合は、絶対に申請者サイドから不満がでる。それを「認定基準」という言葉で押し切ってきた。それを今更、根本の基準「80時間」を変えることなく、「インターバル期間」等の言葉できめ細かい調査をするような印象を与えている。今回の見直しで、「脳・心臓疾患」の認定件数が増えることがないだろう。だから、あまり評価できない。

(注)今回の話は、私の友人の「個人的意見」であり、文責は当然私にあります。

過労死認定基準の見直しを、ゆるーく考えてみた

(大黒ふ頭から横浜ベイブリッジを見上げる、by T.M)

朝日新聞 9月15日

雇われる働き手が脳・心臓疾患を発症した場合の労災認定基準が20年ぶりに見直され、労働基準監督署で15日から運用が始まった。労基署が労災かを判断する際、残業時間の「過労死ライン」に比重を置きすぎるとの指摘を踏まえ、それ以外の要因でも柔軟に認定できることを明確にした。

 過労死ラインは労災認定の際、長時間労働が発症の原因といえるかを判断する目安だ。発症前2~6カ月の月平均で残業が80時間、または発症前1カ月で100時間を超えた場合、関連性が強いと判断される。

 新しい基準は、過労死ラインに近ければ、他の要因も勘案しながら総合的に労災認定できると明記した。他の要因とは、終業から次の始業までの休息が11時間未満だったり、身体的負荷、連続勤務といった労働時間以外の要因が認められたりした場合などとした。

さて、20年ぶりの過労死認定基準の見直しです。労働基準監督署の現場ではどのような対応をしているのだろうと思い、知り合いの監督署の労災担当官にさっそく電話取材してみました。

(注)2年前までは、こんな時には担当官を呼び出して、ベロンベロンに酔わせてしまって、本音を聞き出していたのですが、コロナ禍の現在では、その手が使えず難しい取材となりました。

以下、私と彼(A氏)のやり取りです。因みに電話したのは9月17日です。

私 )おい久しぶりだな。

A氏)なんの用だ。下らないブログネタを探しているのなら電話切るぞ。

私 )過労死の認定基準の見直しについて聞きたい。もちろん、私の質問だから、「認定基準の見直しの意義」とか、「認定基準の見直しについて、現場がどのような心掛けで仕事をするのか」とか、そういうことを尋ねているのではない。そんな記事は、私より正確で、詳細で、うまくて、意欲をもって解説する奴がいるだろう。私は、現場の職員のこぼれ話的なことを聞きたいんだ。

A氏)そのことなら機密事項だから、何も話せない。

私 )機密事項のことを聞こうというのでなく、厚生労働省が火曜日(9月14日)に発表した、新認定基準について話を聞きたいんだ。

https://www.mhlw.go.jp/content/11201000/000832042.pdf

A氏)えっ?火曜日に発表されていたのか?署に来たのは今日だぞ(9月17日、金曜日)。

そうなんです。役所ではよくあることなんですが、正式に通達となって署に情報が来るのは、本省が報道発表した後なんです。ですから、トラブルが発生する場合があります。新聞報道があった事案で、労働基準監督署に問い合わせしたところ、監督署が何も分からなくて、相談者は「ここの監督署の職員は勉強不足だ」と言って怒るケースがけっこうあるんです。

でもそれは監督署の職員が悪い訳ではありません。

厚生労働省の組織は本省の下に各県にひとつ地方労働局があって、その下に各労働基準監督署というものがあります。神奈川県の場合では、

「厚生労働省―神奈川労働局―各労働基準監督署」

という流れになります。前述の通達を見てもらえば分かると思いますが、通達の差出人は厚生労働省労働基準局長で受取人は地方労働局長です。要するに、本省から地方労働局局長へは報道発表と同時に情報が通達が電子システムで流れますが、地方労働局ではそれを2,3日留め置いてしまうので、署で通達を読むことが遅れるというような事態が発生してしまうのです。(稀に2,3週間以上遅れることがあります)

局に留め置く理由はそれぞれですが、一番多い理由は「一番最初に通達を読む局の担当官が、署からや局長からの問い合わせやが来ても回答できるように、詳細に読み込むので時間がかかる」というやつです。

後、他の理由としては、局の担当者が直ぐに署に送ろうとしても、基準部長や局長が不在で決裁がとれなくて遅れるということがあります。気の利いた部長、局長になると、「オレがいない時に、署にとって重要な通達がきたら、正式派出の前に情報という形で署に伝えてもいい」と命令していますが、多くの局長達は「オレが目を通していないのに勝手なことをするな」という態度を示します。(そういう上司に限って、仕事ができないのは、当然のことです)

通達の伝達方法は、10年くらい前から紙媒体による通知から、電子メール方式に変更されましたが、組織の在り方自体を変わっていないので、仕事の効率は良くなっていません。ようするにお役所仕事の本質は変わっていないということです。

さてA氏に、「過労死の認定基準見直し」についての現場の感想を尋ねようと思いましたが、まずは「なぜ本省は署へそういう情報を早く流さないのか?署では、なぜ本省のHPをみないと、そのような情報が分からないのか」という、A氏の組織への怒りの言葉を聞いてしまいました。

「過労死の認定基準の見直し」の件については次週書きます。

大学教員の業務委託契約について

青梅鉄道公園

授業任すなら「直接雇用」に 大阪大の非常勤講師訴え 文科省も調査

2021年9月9日 朝日新聞

 大阪大学が業務委託契約を結ぶ非常勤講師に成績評価などを含む授業を任せていることに対し、文部科学省が「大学が直接雇用した教員以外が授業を担当するのは不適切だ」として実態を調査していることが分かった。講師らも「実質的に授業を担っているにもかかわらず不安定な雇用を強いられている」として、直接雇用への転換を求めている。

 阪大の講師を含む関西圏大学非常勤講師組合が9日に会見し、明らかにした。

 組合によると、阪大は最長10年を上限に、講師と業務委託契約を結んでいる。文科省は業務委託自体は認めているが、想定されているのは授業の補助で、4月には各大学に「直接雇用していない者に実質的に授業を担当させるのは不適切」とする事務連絡を出した。

 組合は、非常勤講師が授業の計画作りや成績評価などを単独で担っている阪大のような状態は問題だと主張。文科省も実態の確認を進めているという。

この件は100%大学側が悪いと思います。労働組合もかなり紳士的に対応していますが、もっと別な方法もありそうです。

「業務委託契約」っていうのが何かというと、働く人を「労働者」でなく「個人事業主」として取扱うというものです。典型的な「業務委託契約」が「ウーバーイーツ」のそれです。私が何回かこのブログでも取り上げましたが、「ウーバーイーツの配達員は労災保険に加入できない」等の問題が大学の職員でも発生しているということなのでしょう。ウーバーイーツのように加入職種が限定される一人親方の労災制度も利用できないし、職場でケガをした時にはいったいどうしているんでしょうか。非常勤講師は国民健康保険でも加入して費用の負担をしているのでしょうか。

「ウーバーイーツの配達員の業務委託契約は、デリバリー店と配達員が交わすもので、ウーバーイーツはその仲介を行っているだけだ。大学側と非常勤講師が交わす契約とは違うものだ」

そんな反論があるかもしれませんが、働く者にとっては「労働契約」ではないので、どちらも同じことです。

最近、この「業務委託契約」が増えているような気がします。働く者にとって、不利益が多いような契約を、旧国立大学が締結し文科省がそれを認めていることはおかしいことだと思います。

また、業務委託契約者が「実質的に授業を担っている」のだとしたら、さらに大きな問題です。要するに、大学側は授業を「下請け」に出していることになります。例えば、大学の名前で行う授業が、どこか「別の組織」(例えば「資格取得の予備校」等)に丸投げされていることと同じことです。

労働組合はこの問題について、「適切な業務委託契約の執行」を要求することより、「業務委託契約を労働契約」とすることを求めているようですが、私はこの要求は妥当なものと思います。

と言うより、「実質的に授業を担っている」という段階で、「授業時間に関する指揮命令」を大学側から受けているので、実質的に「時間的な拘束」を受けている訳で、すでに「労働者性」は「有り」と判断してかまわないと思います。

労働組合が取る戦術としては、「既に労働者だ」だから「労働者としての権利を与えろ」という手段が今後にはあるのではないでしょうか。例えば、組合員の誰かに「通災」か「労災」になった者はいないのでしょうか?そのような者がいたら、労働基準監督署に労災申請するという手があります。監督署は、業務量が増えるので、あまりいい顔はしないかもしれませんが、「労働者性の判断」は、しっかりと行うはずです。行政判断で、「業務委託契約」でなくて「労働契約」であったとなれば、働く者の勝ちだと思います。

なぜなら、「組合員は既に労働者なのだから解雇等はできない。他の職員と同じ権利を与えろ」という主張ができるからです。

私が監督官現役の時も、そんな事件は時々起きていました。

解雇通知

(池の平林道からみずがき山を望む・山梨県甲府市,by T.M)

パラリンピックのトライアスロンで銀メダルに輝いた宇田秀生さんは、2013年に結婚式5日後に労災事故に合い右腕を肩から切断したそうです。そんな悲惨な事故から8年後に、こんな記録を樹立するなんて、労働災害の調査等に長年関わってきた者としては、本当に彼を尊敬します。

パラリンピックの開催の是非については、色々意見があったようですが、テレビで選手やそれを支えるスタッフの姿を観ていると、自然と涙がでてきます。参加者全員に金メダルを授与する訳にはいかないのでしょうか・・・

「勝つことよりも参加することに意味がある」そんなオリンピックの精神はパワリンピックな中にこそ生きているような気があいます。

さて、話題は変わり、コロナ被害のことです。

読売新聞オンライン・8/24

青森県八戸市の百貨店「三春屋」が、新型コロナウイルスの感染拡大などで経営不振になり、全従業員約140人の約7割にあたる約100人に解雇通知を出したことが23日、わかった。従業員の労働組合は「希望退職者を募集するなど努力義務を果たしておらず、不当だ」と撤回を求めている。

 三春屋を経営する「やまき三春屋」によると、通知は11日付で、解雇日は9月10日付としている。

 土谷与志晴社長は読売新聞の取材に対し、「新型コロナウイルスの影響で売り上げが落ち、今秋に予定していた改装計画にも支障が出ている。経費削減に取り組んだが三春屋ののれんを残すため、さらに人件費削減が必要」と述べた。希望退職を募らなかった点には「それほど財務状況が逼迫(ひっぱく)している」と釈明。従業員の再就職は「積極的に支援したい」としている。

労働契約法第16条には、「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」と規定されています。現在のようなコロナ禍において、経営不振を理由に解雇するためには、次の条件が必要です。

「人員削減の必要性」人員削減措置の実施が不況、経営不振などによる企業経営上の十分な必要性に基づいていること

「解雇回避の努力」配置転換、希望退職者の募集など他の手段によって解雇回避のために努力したこと

「人選の合理性」整理解雇の対象者を決める基準が客観的、合理的で、その運用も公正であること

「解雇手続の妥当性」労働組合または労働者に対して、解雇の必要性とその時期、規模・方法について納得を得るために説明を行うこと   等

前述の新聞記事引用の解雇事案について、「解雇事由が妥当であるか」の判断は私にはできません。

しかしどうも、私の経験から照らしてみて、「やり方が強引」なので、今後泥沼になるような気がしています。

まずかった点は2点あります。

ひとつ目は「解雇通知が文書で行われ、予告日は8月11日付で、解雇日は9月10日付」であることです。これは労働基準法第20条で示された「解雇予告」期間の30日間をクリアしようとしたのでしょうが、いかにも唐突な解雇通知です。経営陣が「刑事告発」されないことだけを考慮した手続きのように思えます。別の新聞記事には次のようなものがあります。

朝日新聞記事

同労組によると、会社側から、正社員や契約社員を対象に

8月11日付で解雇の予告通知書が送られてきた

という。18、19の両日には全従業員に対して説明会などを実施したが、解雇に対する明確な理由がなかったという。大量解雇は、規模を縮小して営業を続けるためだとみている。

文書の送付だけで解雇が通知されるとは、経営側の怠慢としか言えないでしょう。解雇される者、一人一人と管理職が面談し、事情を説明し、解雇通知を手渡すことが「誠意」です。文書一枚の解雇となれば、労働者の反発もより強くなります。また、労組側の主張の「希望退職者を募集するなど努力義務を果たしておらず、不当だ」という主張の根拠ともなります。

ふたつ目の会社側のまずい点は、社長の「三春屋ののれんを残すため」という言葉です。解雇される労働者にとって、「のれん」などどうでもいいことです。もちろん、社長は「事業継続のため」という意味で「のれん」という表現をつかったのでしょうが、取りようによっては、「永禄年間から続く三春屋の名前を残すためには労働者の解雇は仕方がない」と経営側が上から目線で思っているとも見えてしまいます。

「解雇は避けられないものだから、人間どおしの感情の問題や修羅場は無駄だ」ということを、もし経営者が考えているとしたら、地域の協力を得て存続するデパートのとしては失格ということでしょう。

今後の問題点は2つでしょう。

  • 解雇された労働者に「特別退職金」はあるのか(無理なような気もします)
  • 経営側で責任をとって辞任する者がいるのか

昭和25年、朝鮮戦争前にトヨタは経営危機に陥りました。「乏しきを分かつ精神に立ち、人員整理は行わない」との方針で労使と話し合いを続けてきましたが、銀行からの融資がなく倒産する危機に直面し、人員整理が避けられない状況となり、約2,000人が退職しました。そして、社長の豊田喜一郎は辞任をしました。

「整理解雇」を行うということは、企業の信頼の危機です。それを救う者がいるとしたら、経営者の進退の覚悟のような気がします。

この「三春屋」の従業員の再就職手続きが、早期に進みますことを祈ります。